SLAB

 SLABとは床板のことである。床板がなければ,2階以上の建物は使えない。基礎foundationは,大地の上に据えられるが,SLABは抜け落ちたりすることがある。

 カリフォルニアの南,サンディエゴの東にSLAB CITYと呼ばれる,SLABの瓦礫の上に建てられた街がある。

 

  • スミルヤン・ラディッチ・クラーク:2026年プリツカー建築賞受賞 記念講演&パネル 2026年5月12日

    Smiljan Radić Clarke | The Pritzker Architecture Prize

    Smiljan Radić Clarke | The Pritzker Architecture Prize

    Smiljan Radić to Lead 2026 Pritzker Laureate Lecture and Panel on “Architecture: Distraction and Knowledge” | ArchDaily

    アントニア・ピニェイロ 2026年5月6日

    3月12日、クロアチア系チリ人建築家スミリャン・ラディッチ・クラーケが2026年プリツカー建築賞を受賞しました。審査員は彼の「型破りなデザインアプローチ」を強調し、「最初は異例で予想外、時には反抗的に見えるかもしれない;しかし、疎外や疎外感を生み出すどころか、彼の反正典的立場は新鮮で前例のないものに感じられます。それは新しいものに出会ったという間違いようのない感覚を伝えている。」この評価は、2026年5月12日にメキシコシティ国立自治大学(UNAM)建築学部テアトロ・エステファニア・チャベスで開催される年次プリツカー建築賞受賞講演およびパネルディスカッションで祝われます。

    直角の詩の家、チリのヴィルチェス。画像©:ゴンサロ・プガ

    今年の講演とパネルディスカッションは「建築:気をそらすと知識」というテーマで開催されています。基調講演者は2026年のプリツカー賞受賞者で、組織によれば、旅行を建築実践の形成的かつ継続的な側面として振り返ります。建築家は、建築は形式的な知識だけでなく、実体験の蓄積によっても形作られるという立場を詳しく述べます。このイベントは従来の議論ではなく、「建築を個人的かつ内省的な追求として取り組むこと、理解が観察、動き、個人の知覚から生まれることを示唆する」招待状を約束しています。

    旅行中は写真を集めません。むしろ、その時は些細で説明が難しい、あるいは一見普通に見える瞬間を集めています。それでも、これらの参照は私の中に残り、注意を向けることで明確な意味を獲得し、ある種の知識へと積み重なっていきます。スミリャン・ラディッチ


    スミリャン・ラディッチ:儚さと永続性の間の物質的探求


    講演後、ラディッチは劉嘉坤(2025年)やフランシス・ケレ(2022年)ら受賞者と共に、キャリアの成功と課題について議論します。ラディッチについて、2025年のプリツカー賞受賞者である中国人建築家の劉嘉昆は、彼の作品について「強い独創性と、複雑で独特な文化的気質を持っている」と述べています。それは過激で、深遠で繊細で妥協を許さず、繊細でありながら魅惑的で、想像力と詩的な優雅さに満ちています。彼は建築の組織手法を革新し、素材の真の本質を明らかにし、個人の認識を目覚めさせ、表現の言語を広げました。建築は芸術であり、スミリャンは建築芸術の追求において大きく前進しました。」

    ナヴェ、パフォーミングアーツクリエイションセンター、サンティアゴ、チリ。画像:©マリア・ゴンザレス

    ヴィク・ミラフエ・ワイナリー。ミラフエ、チリ。2013年。イメージ©・クリストバル・パルマ / エスタトゥート・パルマ

    講演とパネルディスカッションは、5月12日火曜日午前10時(CST)にメキシコシティのUNAM建築学部テアトロ・エステファニア・チャベスで開催されます。学部長のモニカ・セフド・コレラは、UNAM建築学部でスミリャン・ラディッチを迎えることに熱意を示し、彼の建築に対する独自のビジョンと、建築作品や著作に反映された批判的思考がUNAM学生の形成段階の基盤であると強調しています。このイベントは無料で一般公開されていますが、収容人数は限られています。登録はこのフォームから受けることができます。プログラムはライブストリームでも利用可能です。この教育イベントは、歴史的記念物カスティージョ・デ・チャプルテペックで開催された2026年の式典に続くものです。式典の映像は今秋公開予定です。

    グアテロ、建築ビエンナーレ2023パビリオン、サンティアゴ、チリ。画像:©クリストバル・パルマ / エスタトゥート・パルマ

    スミリャン・ラディッチは、ArchDaily読者調査で4人目の受賞者に選ばれた建築家でした。彼は彫刻的なデザインアプローチと、都市および芸術の文脈における様々な公共施設における素材の探求で評価されています。彼は、材料実験、空間認識、そして風景や文脈への慎重な取り組みを通じて建築を探求した作品群に対して受賞しました。今後のイベントでは、6月28日から7月2日までバルセロナで開催されるUIA世界建築家会議2026でスピーカーとして登場し、今年のコンセントリコ都市実験室にも参加します。これはチリの「貧しいサーカス」という概念に倣い、工業用プラスチック繊維で作られた軽量で折りたたみ可能な仮設構造物を設計します。

  • 建材の危機 ― ホルムズ海峡が建築へ与える影響 香月真大

    香月真大の建築ノート01

    建材の危機 ― ホルムズ海峡が建築へ与える影響

    香月真大

    建築は土地に根差した行為である。しかし現代の建築は、その土地だけで成立しているわけではない。鉄、アルミ、ガラス、断熱材、塗料、設備機器、配管、接着剤、樹脂製品など、建築を構成する多くの材料は、石油化学産業と国際物流によって支えられている。私たちは建築を「空間」や「デザイン」の問題として考えがちだが、実際には建築はエネルギー、海運、化学工業、国際情勢と密接に結びついている産業でもある。その構造を象徴する場所の一つが、中東に位置するホルムズ海峡である。

    私は建築家として日々、設計や改修、施工調整に関わっているが、近年強く感じるのは、「材料は発注すれば届く」という前提が崩れ始めていることである。以前であれば、多少価格が上がっても最終的には現場へ材料が入ってきた。しかし現在は、「価格が高い」以前に、「そもそも納期が決まらない」「材料自体が入らない」という状況が珍しくなくなっている。

    建築は図面だけでは成立しない。材料が届き、職人が施工できて初めて空間になる。しかし今、その最も根本的な部分が不安定化している。

    ホルムズ海峡は、世界の原油輸送の大動脈であり、日本へ輸入される原油の多くもこの海峡を経由している。もし軍事衝突や封鎖、航行制限などが起これば、原油供給は大きく不安定化する。そしてその影響は、単なるガソリン価格の高騰だけでは終わらない。建築業界全体を支える石油化学原料、特にナフサ供給へ直接影響を与える。

    ナフサは、原油精製の過程で得られる石油化学原料であり、プラスチックや合成樹脂、接着剤、塗料、断熱材などの原料となる。つまり現代建築の多くは、実質的にナフサによって成立していると言っても大げさではない。

    実際、建築現場では石油由来材料が非常に多く使われている。防水材、コーキング、接着剤、断熱材、塩ビ配管、塗装材料、養生材、化粧板、キッチンパネル、ユニットバス、雨どいなど、その多くが樹脂製品である。

    近年問題となっているのは、こうした樹脂原料価格の高騰と供給不安定化である。コロナ禍以降、世界的な物流停滞、原油価格変動、石油化学工場の稼働調整などが重なり、多くの建材で納期遅延や価格上昇が発生した。その影響は、現場のかなり細かい部分にまで及んでいる。

    例えば塗装工事では、塗料だけでなくシンナーが不可欠になる。シンナーは希釈や洗浄に使用される石油由来溶剤であり、ナフサ供給と密接に関係している。

    実際、武蔵高砂ビルの大規模修繕工事では、屋上塗装工程で使用するシンナーの供給が不安定となり、工程調整が必要になった。塗料自体は確保できていても、シンナーが入らなければ施工が進まない。塗装工事は最終工程に近いため、そこで止まると足場解体や引き渡し工程まで影響が出る。現場では「あと少しなのに終われない」という状況が実際に起きていた。

    また、浅草のタワーマンション改修工事では、TOTO製ユニットバスの納期が未定となり、工程変更を繰り返す状況があった。ユニットバスは単純な設備製品ではなく、FRP、防水部材、樹脂配管、化粧パネルなど、多数の石油化学製品によって構成されている。そのため、半導体不足だけではなく、樹脂原料不足や物流停滞の影響も受けやすい。

    現場では、「設備がいつ入るかわからないので、先に別工程を進めてください」という調整が増えている。本来であれば、設計者は空間や体験を考える立場である。しかし最近は、「そもそも材料が入るのか」という問題と向き合わなければならなくなっている。

    断熱材も同様である。住宅や施設で大量に使用される断熱材の多くは、発泡プラスチック系材料であり、ナフサ由来原料を使用している。ウレタンフォームや押出法ポリスチレンフォームなどは典型例である。

    近年、断熱材価格は急激に上昇した。これは単純な需要増加だけではなく、ナフサ価格上昇と供給不安が背景にある。さらに省エネ基準強化によって断熱材使用量自体も増えているため、建築コスト全体へ与える影響も大きい。

    設計段階では成立していた予算が、着工時には成立しなくなっていることも珍しくなくなった。これは単なるインフレではなく、建築を構成する供給網そのものが不安定化しているということだと思う。

    また、雨どい製品の納期未定問題も象徴的である。雨どいは単純な部材に見えるが、実際には塩化ビニル樹脂製品であり、石油化学原料へ依存している。原料不足や樹脂供給制限が起これば、生産そのものが不安定化する。

    現場では、「建物本体は完成しているのに、雨どいだけ入らず足場を解体できない」ということも起きている。一つ一つは小さな部材でも、建築全体へ与える影響は大きい。

    建築は数百、数千の部材によって成立している。そのうち一つでも欠ければ、全体工程が止まる可能性がある。巨大な構造物に見えても、実際には非常に繊細な供給網の上に成立している。

    特に近年深刻なのは、「価格上昇」よりも「納期未定」である。

    従来の建築では、「材料は発注すれば届く」という前提が存在していた。しかし現在は、その前提自体が崩れ始めている。

    サッシが来なければ外装が止まり、断熱材が入らなければ内装へ進めず、ユニットバスが納品されなければ設備工事全体が止まる。つまり建築の危機とは、単なる物価上昇ではなく、建築を成立させる供給網そのものの不安定化にある。

    特に日本は、エネルギーと石油化学原料の多くを海外輸入へ依存している。ホルムズ海峡の不安定化は、遠い中東の問題ではなく、日本国内の建築価格や工期へ直結している。

    例えば原油供給が不安定化すれば、ナフサ価格が上昇する。すると樹脂製品価格が上がり、断熱材、防水材、塗料、配管、雨どい、設備機器など、建築全体へ連鎖的に影響が出る。

    さらに物流そのものが停滞すれば、「高くなる」のではなく、「そもそも入ってこない」という状態になる。

    実際、近年の現場では「代替品へ変更してください」という話が頻繁に出る。本来採用予定だった建材が欠品し、別製品へ変更される。しかし建築では、材料変更は単純な置き換えでは済まない。

    寸法、納まり、下地、施工方法、防水性能、メンテナンス性など、さまざまな条件が連鎖的に変わる。そのため、たった一つの材料不足が、設計変更や工程遅延、追加コストへつながる。

    こうした状況は、建築の考え方そのものを変え始めているように感じる。

    これまでの建築は、「新しい材料を、安価に、大量に、安定供給できる」という前提で成立していた。しかし現在、その前提が少しずつ揺らいでいる。

    だからこそ近年、既存建物の改修やコンバージョンが再評価されているのだと思う。これは単なる環境配慮ではなく、新規資材投入量を抑え、供給リスクを下げるという意味も大きい。

    また、設備依存型建築の限界も見え始めている。現代建築は高度な設備機器によって快適性を維持しているが、それらは半導体や樹脂部品に強く依存している。供給停止時には修理や交換すら難しくなる可能性がある。

    だからこそ、自然換気、通風、日射制御、庇、断熱、蓄熱など、「建築そのもの」で環境を調整する設計が改めて重要になっているように感じる。

    ホルムズ海峡の問題は、一見すると遠い地政学的問題に見える。しかし実際には、日本の住宅一棟、断熱材一枚、雨どい一本、ユニットバス一台、シンナー缶一つにまでつながっている。

    建築はローカルな行為でありながら、同時にグローバルな石油化学供給網の末端でもある。そして現在、その供給網そのものが揺らいでいる。その影響は、すでに現場レベルではかなり現実的な問題として現れ始めている。

    参考文献
    経済産業省・資源エネルギー庁「安定供給」
    国土交通省「建築・住宅関係統計」
    国土交通省「建築着工統計調査報告」
    ・TOTO 商品供給・納期に関する案内
    ・LIXIL 商品供給遅延に関するお知らせ
    ・Panasonic 住宅設備機器 納期関連情報
    日経クロステック 建材不足関連記事

  • コミュニティを力づける建築:フランシス・ケレ:プロジェクトの物語

    Architecture that Empowers Communities: The Stories Behind Francis Kéré’s Projects | ArchDailyセーブ

    伝統的な複合施設の空撮図。画像©:フランシス・ケレ

    グスティナ・イニゲス                             2026年5月4日

    フランシス・ケレは著書『フランシス・ケレ:物語を築く』の中で「私の唯一の関心事は、自分の作品が根付いているコミュニティに良い影響を与えなければならないことだ」と述べています。彼自身の人生、育った環境、そして経験が建築へのアプローチに影響を与えています。それは人々や彼らが故郷と呼ぶ場所にも及ぶコミットメントであり、物質性、集団的学び、知識の交換を重視するものです。ガンドの小学校ナバ・ベレム・グンマ中学校のようなプロジェクトの背後にある物語を知ることは、真に人類に奉仕する空間を設計する方法についての考察を促します。

    フランシス・ケレの物語はサハラ以南のアフリカの村から始まり、多くの場所に広がります。ガンドは彼の最初の教育の舞台であり、そこで彼は後にキャリアの核心的価値観を形成する本質と原則を吸収し、他文化の影響も受けました。ガンドの構造は、確立された慣習に従い、サバンナに点在する中庭内で組織化する異なる家族によって形成されています。ブルキナファソのサバンナにあるこの辺鄙な村で育つことで、すべての中庭の住人が全体の生活の一部であるという理解によって、強いコミュニティ意識が育まれます。

    地形、土壌組成、樹木、眺望、周囲環境との関係を分析するだけでなく、遺跡の解釈は太陽の動き、木々の影、雨季の影響を体験することも含まれます。それは、利用者、地元の素材、地域の建築遺産、世代を超えて受け継がれる建築技術、そしてコミュニティの生活を形作る習慣を理解することを意味します。


    多知性の建築へ:集合的知識が構築環境を形作る仕組み


    ガンドのナアバ・ベレム・グンマ中学校の屋根工事中に、画像©:フランシス・ケレ

    建築の本質と本物らしさを通して解釈することで、フランシス・ケレの作品は人々をデザインプロセスの出発点であり究極の目的と見なしています。ガンドでの最初の学校プロジェクトから始まり、ドイツの友人たちから建設資金を集め、村の女性たちが頭に石を乗せて助けに来た時から、彼の実践は集団的な努力と参加によって形作られてきました。

    ナアバ・ベレム・グンマ中学校:作業員たちが共同で屋根トラスを上げています。画像©:フランシス・ケレ

    相互学びの過程を明らかにし、『フランシス・ケレ:物語を築く』は彼の哲学、26の最も重要なプロジェクトの背後にある物語、そして創造的なプロセスの広範な旅を提供します。個人的な省察、未発表のスケッチ、写真、ドローイングを通じて、この本は協働、地域の知識、社会的責任が彼の制作にどのように影響を与え、彼の建築がサバンナの村、大都市の中心部の近隣、あるいはバルト海を見下ろす平原の小さな町においても、コミュニティにどのように貢献できるかを示しています。アムステルダムを拠点とするスタジオ、イルマ・ブームがデザインし、レスリー・ロッコユハニ・パラスマーによる考察が収められたこの巻は、ユーカリの葉で綴じられ、アイデアやプロセス、目的を綴じた個人的なノートとして位置づけられています。

    「建築家としての私の責任は、文化の中で聞き、理解し、作業することから始まると信じています。そこから変化が始まる」と述べました。フランシス・ケレ

    7歳の時、フランシス・ケレは父により読み書きを学ぶために天科郷に送られました。その瞬間から、彼はガンドから遠く離れた場所に住むようになった。奨学金のおかげで、20歳で大工の訓練プログラムのためにヨーロッパへ渡り、ドイツが彼の第二の故郷となりました。ベルリン工科大学は彼の建築学の申請を受け入れました。しかし、彼の努力は常にブルキナファソの中心にある自分の村に向けられていました。彼は地域社会に何かを負っていると感じ、村のために学校を建てたいと考えていました。彼はブルキナファソの建築技術を革新し、それによって人々の生活条件を改善したいと考え、建築を学ぶことを選びました。

    ガンドの小学校。画像©:エリク・ヤン・オウヴェルク

    少しずつ、プロジェクトは形を成し始めました。ガンドの新しい学校の設計は、照明や換気の悪さを解決するとともに、コスト、資源の利用可能性、建設の実現可能性も考慮する必要がありました。同時に、学習のための快適で刺激的な環境を提供しなければなりませんでした。

    気候に配慮したアプローチのもと、この設計は屋根下の空間を一つの屋根の下に分け、3つの教室と高台上の屋根付きエリアを交互に配置しました。日陰のゾーンは学習スペースの換気に役立ち、子どもたちが日差しや雨から守られて遊んだり、屋外で授業を受けたりできる涼しい屋根付きの屋外空間も作り出しました。この日陰ゾーンは教室間の音響干渉を減らす音響効果も果たしていました。このプロジェクトで下された多くの設計決定には二重の意味がありました。実際、洪水や浸食から空間を守る高くなった基礎は、建物を高くすることで学生たちに地域社会とのつながりを思い出させ、教育がすべての人と共有される特権であることを象徴していました。

    ガンドの小学校の基礎建設中。画像©:フランシス・ケレ

    提案の最も複雑な部分は、教室に巨大な壁を設置し、暑い気候から熱を守るための建設技術の決定でした。粘土などの地元素材の使用が最初の選択肢でしたが、最も効果的な技術的解決策を見つけ、賢く活用するには慎重な熟考が必要でした。ドイツの生態学理論はアドビを「過激」な形で推進しましたが、ブルキナファソ政府の規制では学校建設に使われない粘土の使用を非恒久的な材料とみなしていました。厳しい気象条件に耐え、メンテナンスも少なくて済む建物を作るために、圧縮土ブロック(CEB)が選ばれました。これらのブロックは、少量のセメントと現地で採取された粘土を組み合わせていました。これにより、粘土は政府の規制を満たし、恒久的な材料として認められるだけでなく、限られた資源で構造的に健全で耐候性のある壁を建設することが可能となりました。

    ガンド小学校のプラットフォームは、子どもたちが日陰でおしゃべりする座席エリアとなっています。画像©:エリク・ヤン・オウヴェルク

    屋根には、国内で溶接が広く行われていること、そして家族の中にはすでに溶接に熟練している者もいることを認識し、金属が選ばれました。フランシス・ケレ自身が『フランシス・ケレ:建築物語』で説明しているように、設計の決定は材料の入手可能性だけでなく、地域の技術的知識によっても決まることがあります。ケレは溶接鉄筋で作られた精巧で軽量なフィリグリートラスを設計し、波板金属板を支えました。乾燥した積み重ねられたレンガの天井のおかげで、冷たい空気は窓から入り、熱い空気は粘土屋根の隙間から逃げ出していました。電気なしで十分な日光を確保し、直射日光を防ぐために、時間帯や季節に応じて異なる開閉可能な折りたたみ式システムを用いたスチール製窓用シャッターが開発されました。3年以上の研究開発を経て、この設計は伝統的な建築技術と現代工学的手法を巧みに融合させ、建設と維持が容易な構造を実現しました。

    しかし、プロジェクトの課題はまだ終わっておらず、コミュニティの信頼と支持を得ることは複雑な課題でした。建築家の役割が存在せず、建設者の役割があった文化の中で、ケレの学んだことを地域社会に納得させる努力は最終的に実を結びました。

    ガンドの小学校拡張:ヴォールトの試作品を踏むことで、コミュニティがそれをテストし、技術を信頼できます。イメージ©・ケレ建築アーカイブ

    建設初日は、女性、高齢者、若者、さらには子どもたちまで、コミュニティ全体が主導しました。各人が独自のスキルを提供し、個々の強みや能力に応じてほぼ自然にグループが形成されました。リーダーシップの資質から、活動の組織化と調整を担う者もいました。最も強い者は数キロ離れた採石場へ向かい、砂利、砂、粘土、石などの原材料を集めました。一輪車やロバを所有する人々は、現場まで資材を運ぶことを申し出ました。女性たちは驚くべきバランス感覚を持ち、水や物資を頭に乗せ、皆のために昼食を用意しました。一方のグループは基礎のために地面を掘り、他のグループは砂や土、砂利をふるいにかけていました。

    「場所を知ることは、その場所の人々を知ることを意味する」。— フランシス・ケレ、著書『フランシス・ケレ 』より物語の構築

    ガンド小学校図書館:地域の住民が図書館の屋根用に使う壺を運び、中庭に集めます。画像©:フランシス・ケレ

    ガンド小学校図書館:地域の住民が図書館の屋根用に使う壺を運び、中庭に集めます。画像©:フランシス・ケレ

    コミュニティのすべてのグループの参加――彼らの強さ、エネルギー、そして熱意――が体験を生き生きとさせました。ガンド小学校には多くの入学希望があり、完成からわずか2年で拡張計画が動き出しました。新しいプロジェクトの設計において、最初の学校建設で得た教訓が活かされ、建設過程はその経験を通じてコミュニティのメンバーが身につけたスキルの恩恵を受けました。地元住民も再びこのプロジェクトに参加しました。例えば建設開始前は、各生徒が毎朝石を学校に持っていき、新しい建物の基礎材料を手伝うよう求められていました。この具体的でありながら象徴的な貢献は、生徒たちの参加意識を育み、コミュニティ構築における個々の役割の価値を認識させるのに役立ちました。

    ガンドの小学校図書館:壺は切断され、将来の図書館の屋上に運ばれます。画像©:フランシス・ケレ

    小学校その拡張教員住宅図書館の物理的・環境的・社会的特徴に特別な配慮が払われた一方で、中学校はさらに一歩進みました。この場所にある丘は、学校の建物を最も強い風から守り、快適な微気候を作り出す役割を果たします。以前のプロジェクトから学び、保護され歓迎的なグリーンシェルターとして学校を作ることが決定されました。場所の解釈はプロジェクトごとに進化し、最初の設計は主に建築的・建設的な制約に基づく気候的制約から、景観、植生、地形を包括的なデザインの一部として取り入れるより広範なアプローチへと移行しました。このプロジェクトの目標は、学生に快適な学習環境を提供するだけでなく、生態系の調整にも重要な役割を果たす緑豊かなオアシスを再現することでした。

    フランシス・ケレの兄が、今後ガンド小学校の図書館となる場所の中にいます。画像©:フランシス・ケレ

    新しい建設技術が試験され、プロセスを簡素化し、新たな知見とともにさらなる研究を導入しました。作業を迅速化し、レンガ作りの長い工程を避けるために、木製型枠の中に固めたから壁を築くピ法の実験が行われました。少量のセメントを生の土に加えることで、耐久性が高く扱いやすい混合物が開発されました。ここからフランシスが「テール・クーレ(土を鋳造する)」と呼んだ技法が生まれました。同時に、自立型鋼製型枠システムも設計されました。やや凸状で、教室を構成する基本的なモジュールを形成していました。

    技術が洗練され、教室のコンクリート基礎が完成すると、地域全体が一つになりました。女性、男性、ティーンエイジャー、高齢者が現場に集まり、最初の型枠を打設し、土、水、セメントを集めて人間の鎖を作り、バケツを型枠まで運び、最も力強い作業員が混合液を注ぎました。それは皆にとって形成的な出来事となりました。コミュニティにとって、プロセスを理解し、その一部であると感じる機会となり、労働者が活動の組織化を始めるために、フランシス・ケレ自身のためにもそうでした。

    フランシス・ケレ。物語を築くこと。画像

    ケレの視点から見ると、建築は人々が自分たちの空間を作り始めるときに始まります。彼の仕事は、建築の寿命を通じて設計を継続的に洗練させながら、段階的にプロジェクトを発展させていくことを含みます。ガンド小学校ナバ・ベレム・グンマ中学校は、場所、気候、物質性、時間を理解することで地域社会と協力する深いコミットメントを示しています。この共同体との共同作業の概念は、彼の多くのプロジェクトに見られ、非常に異なる文脈や気候、経済、社会的条件が異なる場合にも見られます。例えば、2014年にロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開催されたインスタレーション『センシング・スペース』は、人々が建築制作に参加することを促し、それ自体が一つの集合作品となりました。2015年、デンマークのフムレベックにあるルイジアナ近代美術館のルイジアナ・キャノピーは、保護とコミュニティの集まりのための日陰の重要性を探求しました。2016年、ミラノのパラッツォ・リッタにあるコートヤード・ビレッジ・パビリオンは、デザインウィークで疲れ果てた来館者に集まる場所を提供し、主要な要素であるイタリアの原産草や石が、地元の素材や技法の予想外の活用を探求しました。

    「ずっと昔、私は建築家になることを選びました。この言葉は存在しない文化の中で、私たち一人ひとりが建築者なのです。」フランシス・ケレ

    ケレ建築チームベルリン。画像©:マーカス・グラン

    この写真を保存して!

    ケレ建築チーム ブルキナファソ。画像 © Wendnongdo Nataniel Sawadogo for Kéré Architecture

    ケレ建築チーム ブルキナファソ。イメージ©・ケレ建築

    扉の形が文化の物語を語るのと同様に、各建物はその機能以上の存在であることを証明しています。実験、実践、習慣、革新、そして記憶を凝縮しています。フランシス・ケレ:ビルディング・ストーリーズにもあるように、「建築建築とは知識を築くことを意味します」。地元の知識に触発され、ケレは材料から伝統に至るまで、地元の建築慣行のあらゆる側面に積極的に関わっています。しかし、新しい知識を発展させる機会であるだけでなく、各プロジェクトは学習のプロセスを活性化する可能性も反映しています。

    ブルキナファソの彼のチームは、ガンドでの最初のプロジェクトに協力するために集まった若者たちのグループとして始まりました。長年にわたり、彼らはスキルと経験を積み重ね、建築が知識を含むだけでなく、それを広めるものであることを示しています。ケレにとって、デザインの本質は「結果を出すことではなく、アイデアの載体となること」である。建築家は単なる建築者ではなく、価値観を体現し、人々を結びつけ、記憶を呼び覚まし、コミュニティに力を与え、物語や文化を伝え、何よりも変化を促す力を示しています。

  • ORGA カーボンネガティブなバイオベースの住宅プロトタイプ完成 マークネス(オランダ)

    ORGA Completes Carbon-Negative Biobased Housing Prototype in Marknesse, Netherlands | ArchDaily

    ORGA建築家 プレハブ木製スケール可能な住宅プロトタイプ、2026年。イメージ © ニーク・ファン・エンゲレン / リコレクト・フィルムズ

    アントニア・ピニェイロ                        2026年5月4日

    オランダを拠点とする自然に着想を得た建築事務所ORGAは、オランダのフレヴォラント州にある村マルクネスにカーボンネガティブな地区の設計を完成させました。このプロジェクトは、バイオベース素材の割合が高い12戸の手頃な価格の賃貸住宅で構成されています。主な目的は、CO₂排出量を最小限に抑え化石資源への依存を減らすスケーラブルな住宅ソリューションの開発です。このデザインは、赤レンガのファサードとオレンジ赤の屋根瓦が特徴である伝統的なオランダのレンガ造りの家「デルフト・レッド」を再解釈しつつ、コウモリの生息地としても兼ねる木製の煙突を導入しています。住宅協会メルカトゥスによって委託され、2025年前半に建設され、初めての購入者や低所得世帯を対象としています。

    ORGA建築家 プレハブ木製スケール可能な住宅プロトタイプ、2026年。 ニーク・ファン・エンゲレン / リコレクト・フィルムズ

    ORGAのプロジェクトは、特徴的な素材と色彩から「デルフト・レッド」と呼ばれる地域の伝統建築のバイオベース再解釈を提供します。建築的アプローチは、循環型のデザイン原則を取り入れることでこのタイプ論を再考し、手頃な価格の住宅を提供するだけでなく、他の地域にも模倣可能なモデルを確立することを目指しています。文化遺産の観点からは、設計には伝統的な伝統への現代的なオマージュとして、尾部の切妻に木製の「煙突」が設けられ、煙道の代わりにコウモリの巣が置かれています。同時に、このプロジェクトは自然素材を用いた社会住宅のモデルを提案することで、現在の需要に応えています。このプロジェクトは、より広範な文書化、体系化、知識共有の枠組みによって支えられ、最終的な目標はこの分野におけるバイオベース建設の新たな基準を設定することです。

    ORGA建築家 プレハブ木製スケール可能な住宅プロトタイプ、2026年。イメージ © ニーク・ファン・エンゲレン / リコレクト・フィルムズ

    ORGA建築家 プレハブ木製スケール可能な住宅プロトタイプ、2026年。 ニーク・ファン・エンゲレン / リコレクト・フィルムズ

    技術的観点から見ると、このプロジェクトは再生可能かつ循環型の原材料の割合が非常に高く、76%に達しています。基礎のみがコンクリートで作られており、地上構造全体はガラスやファスナーなどの必須部品を除き、主に自然素材で構成されています。建築家たちは木製繊維などの天然断熱材を用いた木骨組みの建築システムを選びました。従来の木骨組み構造とは異なり、このプロジェクトは完全にホイルフリーかつ蒸気透過性のあるアプローチを採用しており、室内の湿度や全体的な快適さをより自然に調整できます。木材要素はプレハブ化され、現場で効率的に組み立てられるため、建設時間と環境への影響を削減します。


    リビングマターを使ったデザイン:バイオベース素材とデジタルファブリケーションを用いた5つのインスタレーション


    材料のライフサイクルは調達だけでなく、建物の全寿命全体にわたって考慮されました。このプロジェクトには、Madasterプラットフォーム内のオンラインリポジトリであるMadasterドシエが含まれており、建物のマテリアルパスポートや関連文書、循環データを保存しています。これらの記録は建物内の材料の正確な位置を指定し、所有者が将来の財務的および循環価値を追跡・再利用・評価できるようにします。また、円形およびバイオベース建設に関するMIA補助金の申請もサポートしています。住民には住宅の持続可能性を維持するための明確なユーザーマニュアルが提供され、得られた知識は他の住宅協会とも共有されます。さらに、木製ファサードの残り資材や切断された廃棄物は、救世軍のソーシャルワークショップで郵便受けとして再利用されました。

    ORGA建築家 プレハブ木製スケール可能な住宅プロトタイプ、2026年。画像 © ORGA 建築家 BV

    このプロジェクトの成功は、バイオベースの建設が住宅協会にとって手頃な価格であり続けられることを示す点にあります。プロジェクトの証拠によれば、プレハブ式の木造構造は従来の方法に比べて建設時間の短縮、軽量構造、そして故障コストの低減を可能にします。断熱性能の向上によりエネルギー効率が向上し、中長期的に住宅費が削減されます。さらに、プロジェクトの規模を活かした地域の関係者との協力が地域経済を支えています。持続可能な建設や都市デザインの他の最近の進展には、MVRDVがブリュッセルの低炭素「ツアー&タクシスタワー」の建設許可を取得したこと、ロンドン、ニューヨーク、ヒューストン、ストックホルムなどの都市を変革する歩行者天国化イニシアチブ、そしてパリのパルク・ド・ラ・ヴィレットでの新しい都市農場と自然保護の景観の開設などがあります。

  • 塩原再生の風景:アルゼンチンにおける採掘再考

    ArchDaily学生プロジェクト賞受賞作

    Regenerative Salt Landscapes: An ArchDaily Student Project Awards Winner Rethinking Extraction in Argentina | ArchDaily

    浄化エリア。      画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    イセス・カラスコ                               2026年4月29日

    アルゼンチンと聞くと、人々はしばしばブエノスアイレスのオベリスクのようなランドマークを思い浮かべます。しかし、この国は2,780,400 km²以上に及び、南アメリカでも最大級の国の一つであり、しばしば見過ごされがちな多様な風景や現実の舞台となっています。実際、アルゼンチン北部のフフイ州はリチウムトライアングルに位置しています。これはボリビアチリと共有する高地地域で、世界のリチウム埋蔵量の約54%を含んでいます。この地域内にはオラロス塩原があり、現在では工業的リチウム採掘の拡大と、コラアタカマのコミュニティが住む祖先文化や土地の保存という二つの相反する動態が交差しています。これにより、高容量の工業採掘と伝統的な低影響の農業慣行が衝突しています。

    この問題を受けて、ArchDaily学生プロジェクト賞の受賞チームの一つであるエセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデスがこの問題を調査することにしました。これは、コルドバ国立大学建築学士課程の卒業論文プロジェクトの一環として行われました。彼らの研究は、建築の議論から周辺的な領域に関わることへの関心から生まれ、論文を持続的かつ深い研究の機会として活用しています。これにより、地域的かつ社会経済的現実に基づいた情報に基づいた設計対応を策定することが可能となりました。採取と保存の二元論を拒否し、このプロジェクトは空間的・技術的仲介を通じて両者が共存できるシステムとしてこの領域にアプローチしています。

    彼らの活動は一学年度にわたり続きました。この期間中、彼らの焦点は問題についてできるだけ多く学ぶためにいくつかの分野に向けられていました。彼らはまず、アルゼンチンの採掘主義をより広く調査しました。南部の石油生産から北部のリチウム採掘まで、地域ごとに異なる形で現れます。研究は塩原に関する文書、規制、文献の閲覧を通じて続き、最終的には現地訪問に移り、過程をよりよく理解するようになりました。


    エネルギーランドスケープ:南米におけるインフラが領土をどのように再形成するか


    オラロス塩原の学生たちの肖像画。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    このアプローチを通じて、彼らは地域の動態を直接体験し、介入する風景に没入することができました。同時に、リチウム産業や塩原地域に関連するさまざまな分野の多くの専門家にインタビューを行い、現在この地域に存在する複雑な産業プロセス、副産物、地域人口動態をより深く理解しました。これらの条件に焦点を当て、プロジェクトは採掘と保存を本質的に両立しないものと見なすことから離れることに重点を置きました。代わりに、ステークホルダー間の資源利用を最適化することを目的とした、領域の空間的・技術的再編成を提案しました。これにより、サイトを純粋に採取的な景観から、より統合的で生産的な土地利用モデルへと再編成します。

    産業活動。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    オラロス塩原 – ルートからの眺め。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    現在の領土。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    第二に、サラール・デ・オラロスでのリチウム抽出プロセスは主に水に依存しています。塩水は塩原の地下からポンプで汲み上げられ、大きな蒸発池に流れ込みます。そこでは太陽光が炭酸リチウムの濃度を促進します。実際、最近の水文学的モデリングは塩水抽出プロセスが地域の地下水位に影響を与え、隣接するコミュニティの淡水供給に競争圧力を生み出していることを示しています。この文脈では、伝統的な牛の放牧や小規模農業は、多くの地元家族の経済基盤であり、同じ帯水層に依存しています。したがって、課題は単に抽出される水の量だけでなく、長期的に持続可能な生態学的・社会的バランスを維持するための景観の限られた能力でもありました。

    変貌したアンデス塩原。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    したがって、学生たちの介入はリチウム抽出の物理的なフットプリントを再編成することを目指しています。孤立した工業拠点を維持するのではなく、この提案は生産と伝統的な居住の間に共生関係を築くために設計された4つの相互連結要素のシリーズを提案しています。目的は、単一採掘地から、工業エネルギー、残留物資、水資源を活用して地域の農業活動を支援する、より多様な生態系へと移行することです。

    左から右へ:生理食塩水処理ステーション、気候塔、農業生産ノード。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    パート1:生理食塩水処理ステーション

    制御蒸発場。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    生理食塩水処理ステーションは、リチウム抽出の副産物を処理する分散型ろ過ノードとして構想されています。これらの残留物にはマグネシウムなどの貴重な鉱物が含まれており、二次産業や農業用途に再利用することができます。また、淡水化と蒸発プロセスを通じて水回収も可能となり、灌漑に適しています。この意味で、この施設は地域の淡水源への圧力を軽減するユーティリティハブとして機能し、抽出プロセスを水資源の管理と再循環のシステムへと効果的に変えています。

    パート2:居住可能な物流プラットフォーム

    居住可能な物流プラットフォーム内の共有空間。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    居住可能な物流プラットフォームの等長性です。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    この要素は実験や試作のための屋外実験室として機能します。このサイトは、リチウム副産物から派生したプロセスをコミュニティがテストできる専用スペースや、業界に関連する他の生産的イノベーションの形態を検証できる場を提供します。これらのシステムを即座に本格的に導入するのではなく、プラットフォームはパイロットテストを支援し、その後地域全体に拡大可能です。

    居住可能な物流プラットフォームのセクションです。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    プログラム的には、構造は2つのレベルに組織されています。地上階は生産と農業実験に充てられています。上層階は、オフィスや密閉作業スペースなど、より管理された環境を収容しています。

    パート3:農業生産ノード

    共存のインフラ。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    農業生産ノードはシステム内の収集および再分配センターとして機能しています。実験段階が終わると、農業技術は広大な畑に適用されます。その場合、これらの要素は収穫量の収集と貯蔵に必要なインフラを提供し、資源の効率的な移転を可能にし、作物生産を促進するプロセスを支えます。

    パート4:気候の塔

    ハビタブルプラットフォームの前方のキヌア畑。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    交換エリア。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    気候塔は環境装置であると同時に領土的なランドマークとしても機能しています。塩原の平坦な広がりからそびえ立ち、景観の中で垂直な基準点を確立しています。その高台構造は展望デッキとして機能し、周囲の地形やそこで展開される過程を視覚的に見ることができます。

    生産的な未来。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    同時に、この塔は信号の役割を果たし、地域を通る人々に工業や共同体の活動の存在を明確に伝えます。均質な環境に階層と可視性を導入することで、サイトとその変容への意識を高め、プロジェクトをより広い空間的・文化的物語の中に組み込みます。

    オラロス・チコからのオラロス塩原の眺め。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    最終的に、この提案は建築の焦点を産業的な足跡の受動的な受け入れから、資源インターフェースの能動的な設計へとシフトさせます。技術機能を産業と地域住民の両方にサービスを提供する空間的枠組みに組み込むことで、このプロジェクトはオラロス塩原を単一採掘モデルを超えて前進させています。今日、このアプローチの重要性はエネルギー貯蔵技術の急速な変化によってさらに高まっています。世界的なバッテリー容量需要が激化する中、塩原の産業的役割も強化されています。同じ塩分環境から供給されるナトリウムイオン電池の最近の登場は、これらの地域が今後もエネルギー転換の中心であり続けることを示唆しています。したがって、持続可能で統合されたインフラの導入が不可欠です。これらの場所を一時的な採掘ゾーンと見るのではなく、市場の変化に伴い進化できる長期的で多機能なハブとして計画されるべきです。

    居住可能な物流プラットフォーム計画。画像提供:エセキエル・ロペス、マリア・ビクトリア・エチェガライ、アグスティナ・ドゥランデス

    同時に、このようなアプローチは、若い世代がすでにプリツカー賞で認められた軌跡に沿い始めていることを示唆しています。近年の受賞者は、景観、産業、人口の複雑な関係に取り組んだことで評価されています。新興建築家たちは、マクロスケールの地域計画にますます関わり、社会経済的緊張を産業と地域社会の両方にサービスを提供するインフラの形態へと変換しています。この意味で、ロペス、エチェガライ、デュランデスの作品は、領域を保存・搾取すべき固定条件としてではなく、デザインを通じて再編成される動的なシステムとして捉えた、より広範なアプローチの変化を反映しています。

支配と被支配/文明と土着

―ヴァナキュラー建築のレガシー

投稿の編集 “低地・社会住宅・スーパーダッチ” ‹ SLAB — WordPress

近代建築のグローバルヒストリー 02

 2-1 アフリカの近代建築-サブサハラ                   

 布野修司

  

「未開の地」

人類(ヒト科,ヒト亜科,ヒト族,ヒト亜族,ヒト属)は,長い進化の過程で様々な能力を獲得する。ヒト上科からホモ・サピエンス(現生人類)が生まれる過程はホミニゼーション(ヒト化)と呼ばれるが,ヒトは,まず「二足歩行」によって物を「手」で持って長い距離を移動することができるようになる。そして,「脳の大型化」「道具の使用」「体毛の喪失」「言語の獲得」といった適応形質を身につけていく。建築する能力すなわち人工的に空間を創り出す能力は,ヒト科の進化の過程で,ホモ・サピエンスのみが獲得した能力である。建築する能力とは,意志を共有するための言語能力すなわちコミュニケーション能力,抽象化・概念化の能力,文字・図像による表現能力,すなわち,予め空間をイメージし,2次元の図面(絵,表象)として表現する設計能力,そして3次元の空間を創り出す建設能力である。

ヒト(ホモ)属は,およそ200万年前にアウストラロピテクス属から分化し,ホモ・サピエンス(現生人類)は30万~20万年前に出現したとされる。その進化の舞台となったのがアフリカである。ホモ・サピエンスの起源については,アフリカ単一起源説と多地域進化説が唱えられてきたが,アラン・ウィルソン(1934~1991)が,1980年代末に,ほとんどの生物に含まれ,その変異パターンを追跡することで,母系統の祖先を辿ることが出来るミトコンドリアDNA(ミトコンドリア・ゲノムmtDNA)に着目したジェノグラフィック(遺伝子系統樹)分析によって,すべての人類は母方の家系をたどると,アフリカに約12~20万年前に生きていた一人の女性にたどりつくという「イブ」(ミトコンドリア・イブ)仮説を提出して以降,雄のみが遺伝によって組み換えられず世代から世代へ伝えられるというY染色体に着目して,ほぼ同時代の「人類共通の男系祖先」を仮定する「Y染色体アダム」仮説も加わり,アフリカ単一起源説がほぼ揺らがない仮説になっている。その誕生の地については,考古学的遺構から東アフリカ,エチオピア周辺と考えられてきたが,その後,北アフリカまた南部アフリカからホモ・サピエンスの化石が出土したことから,アフリカ全域に分散した複数集団が遺伝的・文化的に交流しながら徐々にホモ・サピエンスに進化したというパン・アフリカ説すなわちネットワーク的進化説が有力である。アフリカに誕生したホモ・サピエンスは誕生すると,7万年前頃アフリカを出立し(出アフリカ),グレート・ジャーニーと呼ばれる移住を開始する。採集狩猟によって食糧を獲得できるエクメーネ(居住可能地域)をたどりながら1.5~2万年前には南アメリカの南端に達していたとされる。

しかし,その後のアフリカについては,といっても以上の知見はごく最近の知見にすぎないが,その歴史が全体として書かれることはつい近年までほとんどなかった。「アフリカには歴史はない」「アフリカは世界史の一部ではない」と書いたのはドイツの哲学者ゲオルグ・ヘーゲル(1770~1831)である。「ヘーゲル・テーゼ」(『歴史哲学講義』1837)と言われるが,アフリカ社会は「文字を持っていなかった」すなわち「理性を欠如」してきたと断言する。ヘーゲルにとって歴史は「世界に対する理性の介入によって引き起こされる変化の過程」であり,アフリカにはそもそも歴史は存在しないというのである。ホモ・サピエンスの基本的な能力として,文字を持つかどうかは関係がない。コミュニケーション能力として口承によって伝えられる歴史も確認される。予め建築をイメージする能力も文字とは関係ない。図像による表現もある。アフリカ歴史学は,『無文字社会の歴史』(川田順造1976)を解明する一方,さまざまな文字が使われてきたことを明らかにしつつある。

アフリカとはそもそも何か。アフリカの語源については定かではないが,古代ローマがカルタゴ(チュニジア)周辺につけた地名でアフリAfri族(ベルベル語)の地Africaに由来するという。フェニキア語のafar(土・塵),ラテン語のaprika(陽光の地)に由来するという説もある。いずれにしろ,北アフリカの特定の地域を呼んだ地名であった。アラビア語 إفريقية(ʾifrīqīyah)に由来するというが,イスラーム世界でチュニジア周辺の行政地をそう呼んだもので,アラビア語の方が後である。

アフリカが,ひとつの大陸であることが認識されるのははるか後世であり,15世紀末から16世紀にかけてヨーロッパ諸国の海外進出によって,アフリカが回り込める陸塊であることが発見されて以降である。しかし,中世ヨーロッパの世界図TOマップには, Afrikaの名前が書かれ,ハム族の領域とされる。すなわち,ヨーロッパのキリスト教の世界観では,世界はアジア,ヨーロッパ,そしてアフリカの3つに分割されていると考えられた。ただ,サブサハラ(サハラ以南)はほぼ未知であった。アル・イドリースィー(12世紀),イブン・ハルドゥーン(14世紀)などのイスラーム地理学者も,地中海沿海を文明圏として,サブサハラは別世界としている。TO図は,象徴体系であり,アジア=楽園(エデン),ヨーロッパ=キリスト教世界,アフリカ=周縁・異界という位置づけである。実際に知られていない広大な土地にアフリカという名前が先に与えられ,地理上の発見とともに大陸全体がそう呼ばれるようになるのである。

 こうして,アフリカ大陸は,「歴史以前の地」「未開の地」「暗黒大陸」などと呼ばれ,人類が生まれた地であるにも関わらず,人類史から最も遅れた大陸と見なされてきた。アフリカは国家形成以前,都市形成以前の段階にあると長い間思われてきたのである。,今では,サヘル地域には8世紀頃のガーナ以降,19世紀のソコトに至るまで諸王国・帝国が継起したこと,また中部アフリカのコンゴ王国やクバ王国,さらに東南アフリカのジンバブエ王国などの存在が知られている。ヨーロッパ列強の植民地支配からアフリカ諸国が独立を果たした1960年代以降,アフリカの歴史を植民地化以前に遡って掘り下げる試みが続けられている。ホモ・サピンスの起源に遡って人類史のオールタナティブを突きつけるのがアフリカである。

プリミティブ・アーキテクチャー

 世界史の通常の時代区分によれば,アフリカの歴史は「植民地化以前」「植民地期」「植民地期以後」あるいは「古代・中世・近代」に区分されることになる。近代建築の歴史を問う本書では「植民地期」以降,すなわち19世紀以降を扱うことになる。先進諸国では,既に産業革命が既に進行中であった。しかし,アフリカにはごく少なくなったとは言え,今日でも採集狩猟民が存在しており,産業革命以前の住居に住み続けている。アフリカだけではない,アフリカ諸国が植民地支配を脱して独立した1960年代にも、地域で産する建築材料によって建て続けられてきた建築は世界中に存在してきた。

バーナード・ルドフスキー(1905~1988)が,ニューヨーク近代美術館MoMAで「建築家なしの建築」と題する展覧会をキュレートしたのは1964~65年である。解説のない200枚の白黒写真で構成されたその展覧会は,近代建築のプロモーションを担ってきたMoMAで開催されることにおいて大反響を呼んだ。ルドフスキーは,『建築家なしの建築』(1964, 1976)の冒頭に,世界中に建てられた建築のうち建築家が関与した建築は1割に満たないと書く。世界中の素晴らしい建築のうち建築家が関与したものはほんのわずかにすぎないというのがその強烈なメッセージであった。彼には別に『驚異の工匠たち』(1977, 1981)があるが,ほとんど全ては工匠たちによって建てられてきたのである。「建築家なしの建築」は「ヴァナキュラー建築」と呼ばれるようになるが,ヴァナキュラーとは,根づいていること,自家製,家で育てたという意味である。「土着建築」「風土建築」「伝統建築」として建築界では一般的に用いられるようになる。この「ヴァナキュラー建築」の世界が,建築家によって鉄とガラスとコンクリートの近代建築に置き換えられてきたのがこの150年程の歴史である。

アフリカ中央部の赤道の南北は巨木の林立する熱帯雨林であり,その南方また東方にはウッドランド(乾燥疎開林)そして樹木の少ないサバンナが続いている。約2万年前の最終氷期最盛期には北半球には大規模な氷河が発達したが,アフリカでは激しい乾燥化が進み,サハラ砂漠は現在よりも数百km南下し,熱帯雨林の大部分がウッドランドやサバンナになった。そして完新世になると,温暖湿潤な気候になり,熱帯雨林は急速に回復し,サハラ砂漠は縮小し,1万年前から8000年頃には,その南限は北回帰線まで北上する。「緑のサハラ」の時代があったのである。しかし,4500年前頃になるとサハラは再び乾燥化する。すなわち,アフリカは激しい気候変動に翻弄されてきたのである。

 建築の起源は,外敵から身を守るための,また,日々変化する自然,風雨,寒暖などを制御するための構築物(シェルター)である。ホモ・サピエンスすなわちわれわれ人類は,身近に利用可能な自然材料(土・粘土,石・岩,木・草・竹・アシ,骨・糞・毛・皮・貝)を用いて,珠玉のような住居そして集落を(図3-2①)、またそれぞれの地域にユニークな都市を建設してきた。建築や都市は基本的に「地」のものである。「地」とは,地域の自然生態系に拘束された「特定」の「場所」のことである。「建築家なしの建築」「ヴァナキュラー建築」を「プリミティブ・アーキテクチャー」と呼んできた。すなわち原始的であり,素朴であり,幼稚であるというニュアンスがある。しかし,「プリミティブ」とは「原初的」であり,根源的であり,基本的という意味合いもある。

図3-2① ソンガイ村 ニジェール川 マリ Colin Duly 1979

 「プリミティブ・ハット(原始小屋)」という概念がマルク・アントワーヌ・ロージェによって提起されたのは18世紀半ばである(『建築試論』1753)。過剰な装飾と宗教的図像で溢れるバロック建築に対して,建築はその起源である「素朴な小屋」に帰り,建築創造の根本的基盤として人間と自然環境との人類学的関係を見直すべきだというのである。

アフリカ分割

15世紀に入って,海外進出に先鞭をつけたポルトガルは,アフリカ沿海部に次々に植民拠点を建設していった。アゾレス(1427),ボジャドール岬(1432),ヴェルデ岬(1444),ギニア(1460),ミナ(1471),サン・トメ(1475),コンゴ川(1483),アンゴラ(1483),喜望峰(1488),ナタール(1497),ケリマネ川(1498),メリンデ(1498),マダガスカル(1500),オルムズ(1507)などである。その後,オランダ,イギリスなどが後を追うが,19世紀末まではアフリカ内部へ侵攻することはなかった。ヨーロッパ諸国の関心は,専ら奴隷交易であり,象牙などの珍品,また若干の補給物産も内陸部の王国との取引で賄え,内部に侵攻する必要はなかったのである。

しかし,18世紀末以降,アフリカ内部へ眼がむけられるようになる。ひとつには,イギリスで奴隷貿易を禁止する奴隷貿易法(1807),そして奴隷制度廃止法(1833)が成立したように,奴隷制度反対の流れが大きくなったということがある。そしてもうひとつには,産業革命の進展により,アフリカ大陸は原料の供給地,また,工業産品の消費地とみなされるようになったということがある。沿海部の交易拠点から内陸部への侵攻は18世紀後半から徐々に行われたが、ヨーロッパ人として初めてニジェール川を探索し、トンブクツーの存在を確認したのはイギリス人のマンゴ・パークである(1795)。19世紀半ばには,デイヴィッド・リヴィングストン(1813~73)、ヘンリー・スタンリー(1841~1904)らイギリスの探検家が内陸部の探検を行ってきた。

そして,1880年代から第一次世界大戦前の1912年にかけて、ヨーロッパ帝国主義列強によって激しく争われたアフリカ諸地域の支配権争奪と植民地化は「アフリカ分割」と呼ばれる。1912年にイタリアがリビアを獲得したことによって、リベリアエチオピアを除くアフリカの全土がヨーロッパのわずか7か国(イギリス,フランス,ドイツ,ベルギー,イタリア,スペイン,ポルトガル)によって分割支配されることになるのである。リベリアはアメリカ合衆国保護国であり、エチオピアも1936年イタリア領東アフリカとして実質的な植民地となった。主だった植民地は,フランス領アルジェリア,イギリス領南アフリカ,南ローデシア(ジンバブエ),東アフリカ(ケニア),ドイツ領南西アフリカ(ナミビア)である。

「アフリカ分割」でその先陣を争ったのは二大植民地帝国イギリスとフランスである。両国はナポレオン戦争(1799~1815)以降エジプトの支配権をめぐって争ってきたが,フランスの協力で完成したスエズ運河(1869)の株を購入したイギリスがエジプトを保護国化し(1882),さらに南のスーダンへ侵攻していった。イギリスは,それに先駆けて,フランス革命軍の侵攻を受けたオランダのケープ植民地を奪取しており(1815),南アフリカの内陸部に侵攻しつつあった。イギリスは,エジプトとケープ植民地の南北二つの拠点をつなぐように植民地を拡大していったのでアフリカ縦断政策といわれる。

文明化の使命とセグリゲーション

テキスト ボックス:  
図3-2② フィアット・タリェーロFiat Tagliero 1938 アスマラ ジュゼッペ・ペッタッツィ設計

異質な文化が接触する場合,受容―排斥/同化―異化/融合・結合・複合―併存・共存・両立など様々な相互反応が行われ,時間の経過とともに文化変容が生起する。徹底的に対立し戦争が起こる場合もあれば,お互いの文化を受け入れながら共生社会が生み出される場合もある。しかし,圧倒的に優位に立つ西欧列強による植民地化の場合,西欧的な価値観を絶対的なものとしながら,現地の住民を安価な労働者として扱い,未知で未開発の資源を搾取する体制を作り上げていくことになる。当然,激しい抵抗が行われるが,植民地化された諸地域が独立するのは,第二次世界短戦後,1960年以後を待たなければならなかった。

アフリカは,植民地初期において,建築・都市のあり方については近代建築・都市計画のまさに実験場となった。各地域の現地社会との関係また気候風土・自然生態環境への対応は近代建築の基本的問題であり続けている。

イタリアは,スエズ運河が開通すると(1869)、エチオピアに介入し占領する(1885)。エチオピアはエリトリアをイタリアの支配に委ね,アスマラはイタリア人移民が人口の60%を占めることになる。イタリア首相ムッソリーニは「第2のローマ(ピッコラ・ローマ)」を目指し、1920〜1930年代にイタリアの新進気鋭の建築家達によってアール・デコ建築や未来派建築が多く建設された(「アスマラ :アフリカのモダニスト都市」(図3-2②)として世界文化遺産登録 2017)。しかし,アスマラは例外的な事例と言っていい。

アフリカ植民地のなかでも経済的重要性でも白人入植者の数においても突出したのは南アフリカである。1840年代からのサトウキビ・プランテーション,1860年代からのダイヤモンド採掘、1880年代からの金の採掘が開始され,大量のインドや中国からの契約労働者や内陸部からの移民労働者が導入され,大きく発展するのである。この南アフリカを拠点に活躍した建築家がハーバート・ベイカー(1862~1946)である。ベイカーはAAスクールそしてロイヤル・アカデミー・スクールで建築を学び,ロンドンの建築家事務所(1882~1887)を経て,生まれ故郷のケントに自分の事務所を開設したが(1890),1892 年には南アフリカへ向かう。セシル・ジョン・ローズ(1853~1902)からテーブル・マウンテン中腹のローズ邸と南アフリカ首相官邸の改築を依頼されるのである。ベイカーの後ろ楯となったセシル・ローズは,ダイヤモンド鉱山,金鉱山を独占して巨万の富を得た富豪であり,ケープ植民地首相(1890~96)にもなり,中央アフリカを征服し,自らの名に因んで「ローデシア」と名づけた植民地政治家である。ベイカーは,1913年に帰国するまで20年にわたって南アフリカを拠点に建築活動を行うが,南アフリカのみならず,ケニア,ジンバブエ,また,イギリス,フランス,ベルギーなどヨーロッパでも,さらにインド(ニューデリー国会議事堂),オーストラリアでも数々の作品を残した。基本的には新古典主義の様式建築であるが,代表作とされるのはプレトリアの南アフリカ連合 (1910 年 5 月 31 日設立) の政府庁舎ユニオン ビルディング(図3-2③)である。ベイカーはナイトの称号を授与され (1926),王立アカデミーの会員に選出されに英国王立建築家協会RIBAの王室金メダルを受賞している(1927)。ベイカーら英国人建築家が植民地政府の諸施設や白人入植者のための邸宅を設計する一方,大量に移入した労働者が居住したのはバラック建ての労働者住居のコンパウンド(囲い地:カンポンに由来)である。特に,金鉱,ダイヤモンド鉱の労働者は,柵で囲われ,警備員や警備犬で巡回監視される刑務所のような強制収容所であった。

テキスト ボックス:  
図3-2③ ユニオン・ビルディング プレトリア 1913                 筆者撮影

南アフリカそしてナイジェリアで仕事をした建築家・都市計画家として,アルバート・トンプソンAlbert Thompson(1878~1940)がいる。トンプソンは,世界最初の田園都市レッチワース(1903~)そしてハムステッド(1905~)を計画設計したレイモンド・アンウィン(1863~1940)&バリー・パーカー(1867~1947)事務所(1890設立)に勤務した後1914年に独立したが,アンウィンの勧めで1920年に南アフリカに行く。そして,ケープタウン郊外のアフリカ最初の田園都市パインランズ(図3-2④)そしてダーバン・ノースの計画に携わった。パインランズは,しかし,白人のみの居住区が開発された最初の例であり,集団地域法Group Area Act(1950)に30年先立つ人種隔離政策の最初の例として位置付けられることになる。

トンプソンは,1927年に南アフリカを離れ,ナイジェリア土地測量局の都市計画官の職に就いた。首都ラゴスの急激な拡大成長に伴う,スラムの発生,疫病の発生に都市計画的対応が求められていたのである。ナイジェリアは英国のアフリカ植民地であるが,フレデリックJ.K.ルガード総督(1858~1954)によって人種隔離による間接統治の原則が採られた。現地民のための現地機関と入植者のためのタウンシップという二重の地方自治体がつくられるのである。ヨーロッパ人居住区とアフリカ人居住区をインフラも含めて分離する「二重都市」を徹底化したのが南アフリカのアパルトヘイト・シティである。トンプソンは,ラゴスのみならず,南ナイジェリアのワリ,サペレ,ペニン,オニシャについても都市計画案を策定したが,地域の状態をあまり認識していない、地形を全く無視している、商業地域が孤立しているなどと批判され、さまざまな改良を提案したが,結局受け入れられず、1932年に解雇されて帰国している。

テキスト ボックス:  
図3-2④ パインランズ ケープタウン 1923 A. トンプソン    ロバート・ホーム 2001   
西アフリカのガーナ,ナイジェリアで仕事をした建築家としてエドウィン・マクスウェル・フライ(1899~1987)夫妻(ジェーン・ドリュー)がいる。フライは,1920 年にリバプール大学で建築を学び(1920~23),ニューヨークで短期間働いた後イギリスに戻って、都市計画事務所に勤めている。西アフリカに向かったのは1940 年代であるが、1930年代には,ロンドンに亡命してきたウォルター・グロピウスとケンサル・ハウスアパートやインピントン・ヴィレッジ・カレッジを共同設計している(1934~36)。また,1950 年代には、コルビュジエとともにチャンディーガルの計画に 3 年間取り組んでいる。近代建築家の世代に属し,国際建築近代会議CIAMにも影響を受けており、その英国支部である近代建築研究グループ(MARS)にも密接に関与していた。イギリス領西アフリカでの仕事は,都市計画顧問に任命されたことがきっかけであったが,代表作とされるのはナイジェリアのイバダン大学(1949~60)である。フライが注目されるのは,後に『湿潤地帯の熱帯建築』(1956)を出すのであるが,ヨーロッパの近代建築をそのまま輸出はできない,通風,日射制御,日陰など地域の気候条件に適応した軽量で開放的な建築構造とすべきことを設計指針としてまとめていることである。

フランスのアフリカ植民地を代表する建築家・都市計画家はアンリ・プロストHenri Prost(1874~1959)である。パリの北郊サン・ドニに生まれ、エコール・デ・ボザールで建築を学んだプロストは,イタリア国立印刷所の設計でローマ賞を獲得した(1902)気鋭の建築家であった。1913年にフランス領モロッコの総督ユベール・リョーティ(位1912~25 1854~1934)の招請でモロッコに渡って10年間滞在,カサブランカ、フェズ、マラケシュ、メクネス、ラバトの都市計画に当たった。プロストは,1910年にアントワープ改造計画国際コンペで最優秀賞を受賞したことを契機として、レオン・ジョセリー(1875~1932)、エルネスト・エブラール(1875~1933),アルフレッド・ラガシュらとともにフランス都市計画家協会を設立する。ジョセリーもエブラールもエコール・デ・ボザール出身でローマ賞受賞者である。ジョセリーは,出身地のトゥールーズを中心に都市計画を手掛け,長らく会長職を務めた。エブラールは,1921年にハノイの インドシナ建築都市計画局の局長に任命され、1920年代後半に数多くの著名な建築物を設計することになる(→3-7)。

何故,エコール・デ・ボザールのローマ賞受賞者がフランス都市計画協会を設立するに至ったのか。プロストらの数年先輩となるローマ賞受賞者トニー・ガルニエ(1869~1948)が展示を拒否されながら「工業都市」案を発表したのは1904年である。彼らはローマ賞の評価基準に対する基本的な不満があった。建築の構成に関する習熟や歴史的建造物に関する知識のみでは,優れたデザインを生み出す基盤とはならない,最も美しい建物でさえより大きな都市の文脈から切り離して考えることはできない,個々の建物から都市全体へと重点を移す必要性について意見が一致したとプロストは書いている(Gwendolyn Wright 1991)。プロストは,1923 年にフランスに戻ると,地域計画担当としてリヴィエラのコート ヴァロワーズにおける一連の包括的な都市計画を策定し,1932 年にはパリ大都市圏の都市地域計画を指揮することを求められ,そのパリジェンヌ地域改善計画は 1939 年に承認されている。さらに,プロストは,イスタンブール再開発の壮大な計画を策定するためにムスタファ ケマル アタテュルクからトルコに招待され15 年間滞在,市の計画局の責任者としてマスタープランを作成している。

フランスの植民地化の中心イデオロギーとされたのは「文明化の使命 la mission civilisatrice」である。全国植民地会議や国際植民地協会会議において確認されているのは、言語、法律、建築様式など全てにおける文化的な優位性であり、先住民の都市や町を破壊しうる軍事力の優位性である。一方,先住民族との文化的差異を認め、独自の地域文化の尊重と保存を主張した連合主義(アソシエーショニズム)が唱えられてもいた。植民地政府が採ったのは,むしろ土着様式style indigèneを推奨する施策である。土着様式とは,もとよりアフリカが育んできたヴァナキュラー建築ではない。現地の伝統様式(特にイスラム建築)の要素(馬蹄形アーチ、装飾(幾何学模様)、スタッコ・タイル,ミナレット),形態,平面(中庭型)を,フランス植民地政府が選択・整理・規格化したものをいう。「現地文化を尊重している」という演出・アピールである。その理論を編み出したのは,上述のモロッコ総督ユベール・リョーティである。都市計画については,旧市街(メディナ)=現地人の空間,新市街(ヴィル・ヌーヴ)=ヨーロッパ人の空間,近代都市の分離は前提とされ,その中間に土着様式の空間を配置するのが方針である。土着様式の代表的建築家となったのはオーギュスト・カデットAuguste Cadet(1881~1956)である。

 ドイツ,ベルギー,ポルトガル,スペインのアフリカ植民地で活動した建築家の仕事については他に委ねよう。植民地期の建築・都市計画の基本的テーマは以上で理解できるであろう。

アフロ・フューチャリズム

アフリカ諸国は,独立以後,大きな流れとしては先進諸国の近代建築の展開を追うことになる。ポルトガル人建築家アルベルト・ソエイロ(1917~)の集合住宅「モンテピオ・デ・モザンビーク」(a マプト 1960)がその嚆矢とされるが,ジャン=フランソワ・ゼヴァコ(1916~2003)の「ティト・メリル・リハビリテーション・センター」(b カサブランカ 1960)も初期の例である。,アブデルモネイム・ムスタファのエル・イクワ・ビル(c ハルツーム 1970), イタリア人建築家のリナルド・オリヴィエリ(1931-98)のラ・ピラミッド(d コートジボアール 1973),タンザニア人建築家のB.J.アムリ(1938)のカリアコー市場(e ダルエスサラーム 1974), ジャック・バーネット(Jack Barnett)とレスリー・ブロー(Leslie Broer)のバクスター・シアター・センター(f ケープタウン 1977)など,力強い建築が設計されてきた(図3-2⑤ abcdef)。

テキスト ボックス:  
図3-2⑥ ガンド小学校 2001 フランシス・ケレ   

一方,1980年代から20世紀末にかけてアフリカ諸国は急速な都市化に見舞われ、ナイロビ,キンシャサ,ラゴスなどの大都市には大規模な「インフォーマル居住地」が形成されてきた。もちろん,「貧民街」「スラム」「不法占拠地」というネガティブなトーンの物理的な貧しさを強調する言葉も少なくはない。北アフリカでは,フランス語でビドンビルbidon villesというが,bidon =「ブリキ缶の都市 という意味である。石油缶などブリキ缶を利用して建てたトタン屋根の粗末な住居(バラック)が集まった貧民街をいい,チュニジアあるいはモロッコで1930年代から使われていたとされるが,特にアルジェリア独立戦争の時期(1950~60年代)に、アルジェの郊外やパリ周辺に移民労働者の ビドンビルが広がり、ネガティブなニュアンスをもつ「スラム」や「不法占拠地区」とほぼ同義の言葉で一般的に使われるようになった。アフリカでもさまざまな呼び方があり,ガボンではマパネmapaneまたはマティティmatiti,アンゴラでムセクmusseques,ケニアでキジジkijijiである。マパネはコンゴ川流域に分布する熱帯植物である。掘立て小屋の壁材や屋根材に使った。「マパネ小屋」=「粗末な住居」→「スラム街」となるのである。マティティは,バントゥー諸語で「草地」「サバンナの草」「荒れ地」を意味する ティティtiti に由来する。草葺きの住居建ち並ぶ居住地を「マティティ」→「不法占拠のバラック街」となるのである。ムセク は,キンブンド語(アンゴラのバントゥー系言語)で「赤土」を意味する。アンゴラの都市周辺に赤土の土地に、低所得者が不規則に建てた家々をムセクと呼ぶようになり、「スラム街」の意味に転じるのである。キジジ は,スワヒリ語で「村」を意味する。「都市の中に自分たちの村」をつくる感覚でそう呼んだ。キジジのように、タンザニアではウスワヒリーニuswahilini(スワヒリ人地区),ガーナではハウサ語でゾンゴzongo(宿営地,隊商宿)など通常の居住地に近い呼称である。やや皮肉で逆説的なのがナイジェリアで,ヨルバ語でアジェグンレajegunle(豊かに生きる地)である。深刻な住宅不足は都市計画対応を超えていたが,居住者の近隣組織をベースとする自力建設や段階的な環境改善を行う試みが様々に展開されてきたことが注目される。

テキスト ボックス:     

    
図3-2⑦ マココ・フローティング学校(ナイジェリア 2013) クンレ・アデイェミ
1970年代以降,近代建築批判のグローバルな流れが「ポストモダン」建築に向かうと、アフリカ建築界も近代建築からの離脱を模索始める。すなわち,植民地的な建築様式への従属から脱却し、アフリカの建築レガシーに根ざした独自の建築言語を探求し始めるのである。その代表が,ブルキナファソの貧困地域における学校を地域の土材と伝統的建築技法を活用して設計し,アフリカで初のプリツカ―賞を受賞(2022)したディアエド・フランシス・ケレ(1965~)である。

ケレは,オートボルタ共和国(1960年独立,ブルキナファソ共和国に改名 1984)のガンド村の村長の息子として生まれた。オートボルタ共和国の領土はもともとフランスのコートジボアール植民地の一部である。ガンド村には学校がなく7歳で親元を離れ、モシ王国(11世紀~)の都があった首都タンドコの叔父の元で教育を受けた。大工修行していて開発援助の実習生としてドイツに留学,苦学の末にベルリン工科大学に入学する。そして,大学在学中の1998年に学生仲間とともに「ガンド小学校」を建設した。ベルリンに拠点を置くが(2005~),ブルキナファソのみならずスーダン,トーゴ,ウガンダ,セネガルなどでも活動している。

もちろん,ケレのみに留まるわけではない。若い建築家が様々なアプローチを展開しつつある。OMA出身のクンレ・アデイェミ(1976~)は水上スラムの教育環境改善を目的とした実験学校マココ・フローティング学校(ナイジェリア 2013)で知られる。第一に,ケレが取り組む,地域産材と気候対応,パッシブ・デザインと伝統技術への着目がある。また第二に、アフリカン・ヘリテッジ(歴史・記憶),アフリカン・アイデンティへの着目がある。アフリカの建築家たちが、西欧的な国際建築スタイルに対抗し、国家的・地域的・民族的なアイデンティティに基づいた独自の建築言語の確立を目指すのは自然である。しかし,植民地遺産をどう評価するのか,アフリカの多元的な構成や多様な価値観を単一の「アフリカ」性に帰すのでもなく,排他的なナショナリズムに還元するのでもなく,どう掘り下げるかがそこでは問われている。そして第三に,急速な都市化に伴う大量な貧困者のインフォーマル居住地の改善に対する創意工夫の取り組みがある。

主要参考文献

Maxwell Fry & Jane Drew(1956), “Tropical Architecture in the Humid Zone”, Reinhold.

Bernard Rudofsky(1964),  “Architecture Without Architects”, University of New Mexico Press(バーナード・ルドフスキー(1976)『建築家なしの建築』渡辺武信訳,鹿島出版会,SD選書、1984年

Bernard Rudofsky(1977),“The Prodigious Builders,A Harvest/HBJ Books“ (バーナード・ルドフスキー(1981)『驚異の工匠たち 知られざる建築の博物誌』 渡辺武信訳、鹿島出版会)。

Colin Duly(1979), “The Houses of Mankind”, Thames and Hudson.

Gwendolyn Wright(1991), “Politics of Design in French Colonial Urbanism”, The University of Chicago Press.

Robert Home(1997), “Of Planting and Planning The making of British colonial cities”,Taylor& Francis Books, Ltd.(ロバート・ホーム(2001)『植えつけられた都市 英国植民都市の形成』布野修司+安藤正雄監訳:アジア都市建築研究会訳,京都大学学術出版会)。

ピーター・ベルウッド(2008)『農耕起原の人類史』長田俊樹・佐藤洋一郎訳,京都大学学術出版会。

永原陽子責任編集(2022)『アフリカ諸地域~20世紀』岩波講座「世界歴史」18巻,岩波書店。

Stewart, John (2022), “ Sir Herbert Baker: architect to the British Empire”, Jefferson, North Carolina: McFarland & Company, Inc.

Kéré, D. F. (2022). African Architecture: Reclaiming Tradition in the Modern World. Thames & Hudson.

全体企画 青井哲人

建築の世界近代史 —— 世界を建設した力

AFプロダクション=編著

A=青井哲人/F=布野修司

目次案

序 「世界」をつくったのは誰か ── 帝国と国民国家(A) Mサイズ 12pp

         近代世界システム、脱植民地化の4波、大小「世界」の乱反射、統治を伴わない影響・・・

1 まず私たちの視野を広げよう Lサイズ 18pp

    1 日本近代建築史を世界史のなかへ(A)

            ── 改革 restoration・膨張 expansion・爛熟 involusion 

2 世界に押し広げられる「建築の近代」 Lサイズ 18pp✕5=90pp

    1 産業革命と帝国のデザイン ── イギリス(F)

    2 普遍性の帝国 ── フランス(A)

    3 国際性と土着性の近代 ── オランダ(F)

    4 産業政策とロマン主義 ── ドイツ(A)

    5 計画の帝国 ── ロシア/ソヴィエト(A)

    インタールード:ハウジング近代史への展望 遍く/偏る(岡部明子)Sサイズ

3 独立してゆく国々を主語とする新たな物語  Mサイズ 12pp✕9=108pp

    1 地中海的なものとフランスのレガシー ── マグレブ(F)

    2 「アフリカの内側」の著しい多様性 ── サブサハラ(F)

    3 イスラームと近代建築 ── 西アジア(F)

    4 スラブ世界とソヴィエトの影響(A→諸喜田)

    5 英国のレガシーとインド性 ── 南アジア(F)

    6 共通性の高さと複雑なアイデンティティ ── 東アジア(A)

    7 重層性の上の色鮮やかな近代 ── 東南アジア(F)

    8 コモンウェルズの果てで ── オセアニア(F→安藤)

    9 ラテンアメリカの近代建築 ── ラテン・アメリカ(F)

    インタールード:辺境的近代建築の骨と色(伊藤暁・福島加津也)Sサイズ

4 物語の破壊/破壊の物語  Lサイズ 18pp✕4=72pp

    1 文化帝国あるいは道化としてのUSA — 20世紀後半の栄華と凋落(江本弘)

    2 MOMA史観のすきま 南欧・中欧(A)

    3 中国の台頭とかげり(市川紘司)

    4 2025年の世界(A)

あとがき(F+A)

原稿ヴォリューム

Sサイズ 4pp✕850字=3,400字 図版4点(6pp)✕2=12pp

Mサイズ 12pp✕850字=10,000字 図版4点(14pp)✕10=140pp

Lサイズ 18pp✕850字=15,000字 図版6点(21pp)✕10=210pp

全362pp+他20pp 384pp(図版108点)

投稿の編集 “低地・社会住宅・スーパーダッチ” ‹ SLAB — WordPress


SLABをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

Posted in , , , , , ,

コメントを残す

SLABをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む