SLAB 創刊号 特集 コモンズ・コミュニティ・コミューン

ローカル・リパブリック&テクノ・リパブリック

布野修司

コモンズ(共有地)、コミュニティ(共同体)、そしてコムーネ(コミューン)(自治都市)をめぐる問いは,われわれホモ・サピエンス(人類)の集団生活のための基本単位についての問いである。

何故,そうした基本的な問いが今日要請されるのかと言えば,われわれが依拠してきた基本的な集団生活のための基本単位が揺らいでいるからである。というより,解体されつつあるからである。

恐ろしく単純化して言えば,コミュニティは,ばらばらの個人の単なる集合になりつつある。その解体を主導してきたのは,世界資本主義(グローバリゼーション)である。とりわけ,21世紀に入って圧倒的な推進力となってきたのがテクノ資本主義である。

その起点となるのは産業革命である。農村社会はコミュニティ(共同体)を基礎単位として形成されてきたが,産業革命は,農村社会が依拠するコモンズ(共有地:入会地,入会野,共有林,共同漁場,共用水利,共有資源)を囲い込み,農民と土地との関係を切り離すことによって、賃労働者(プロレタリアート)=消費者を産み出し,都市に吸収していくのである。大量生産・大量消費社会の出現である。そして,今や,世界を支配しているのは,株価や為替レートに依拠する金融資本主義であり,デジタル情報を売買,レント(サブスク)するプラットフォーマーが主導するテクノ資本主義である。日々,株価,為替レートを睨んで利益を得ようとする投資家たち,投資ファンドが世界を操る。個人(消費者)も,自己資産の運用を証券会社や投資ファンドに委ねるマネーゲームにインボルブされつつある。

ローカル・リパブリック

『希望のコミューン 新・都市の論理』(布野修司・森民夫・佐藤俊和2024)は,コモンズ(共有地)、コミュニティ(共同体)、そしてコムーネ(コミューン)(自治都市)成立の原プロセスに立ち返って,コモンズを根拠としてオートノミー(自治,自立,自律)を第一原理とするコムーネ(コミューン)(自治都市)のネットワークで構成される世界を再設計することを提起するものであった。青臭いと言えば青臭い。しかし,具体的な行動原理として,基礎自治体を自律的なコミュニティ(共同体)・コムーネ(コミューン)にしようというメッセージであり,アジテーションである[i]

建築家山本理顕は, 2024年,建築界のノーベル賞とされるプリツカー賞を受賞する。その受賞理由他,全仕事については布野修司責任編集(2025)『都市美 臨時増刊号 特集 山本理顕とは何者か?』(地域社会圏研究所)に譲るが[ii],コミュニティをベースに仕事をしてきた山本理顕に,受賞を契機に数多くの講演依頼や視察などが舞い込むことになった。そのほとんどはグローバル・サウスと呼ばれる国々であるが,以降,山本理顕の世界をまたにかけての疾走はとどまるところを知らない。2025年,世界経済フォーラム(ダボス会議)のクリスタル・アオードCrystal Awards受賞・講演,アラブ首長国連邦Abu Dhabi Festival Award受賞・ニューヨーク大学アブダビ校講演に始まり,ハンガリー,フィリピン,韓国,台湾,そしてベネズエラを飛び回った。もちろん,国内でも数々の講演会,シンポジウムに招かれ,コミュニティとともにまちづくりを行う重要性について発言を続けてきた。そして,横須賀美術館で「山本理顕展 コミュニティと建築」(7月19日~11月3日)も開催された。

 山本理顕は,建築を設計するに当たって,第一に前提とする社会集団を「地域社会圏」という。単にクライアント(施主)に依頼されてその要望を実現する建築家ではない。「地域社会圏」を英訳すればローカル・コミュニティ・エリアlocal community areaである。そして,主宰する「地域社会圏研究所」をローカル・エリア・リパブリックLocal Area Republicと呼んでいる[iii]。直訳すれば,「地域共和制」である。英語のrepublicの語源はラテン語のres publicaに遡る。resは「もの」「事柄」「案件」を意味する。publicaは「公共」である。「王」がいない「もの」「事柄」「案件」がリパブリックである。政治制度としては,君主制Monarchia(monos(一人)+ archein(支配)に対して,誰か一人の「私物」ではない「公共」のものとして管理されるのが「共和制republic」である。「私的支配(dominium)」 vs 「公共的秩序(res publica)」である。

人類は,採集狩猟生活から定住革命・農耕革命を経て,都市革命を実現する。都市—農村共同体(コミュニティ)すなわち都市と食糧を供給する後背農村を一定の単位とする都市国家が世界の構成単位となる。しかし,ギリシャの都市国家ポリスの政体に実は「共和制」はない。ポリスの組織編成について、ヘロドトス(c.484~c,425 BCE)は,民主制(デモクラテス)と寡頭制(オリガルキア)そして君主制(モナルケス)を区別している。プラトンは,民主制,貴族制(アリストクラティア),王制(バシリケア),寡頭制,名誉支配制(ティモクラティア),僭主制(テュランニス)を区別した上で,哲人による貴族制を理想とした。アリストテレスは,民主制,貴族制,王制のそれぞれ堕落した政体を衆愚制(オクロクラシー),僭主制,寡頭制とし,王制が堕落すると僭主制になり,その反動で貴族制が興り,それが堕落すると寡頭制となり,その反動として民主制が興り,それが堕落すると衆愚制となり,その反動として王制が興るという,国制の歴史は堕落と革命を繰り返すという循環論を説いた。

古代ギリシャのポリスの人口規模は、市民,女性・子ども,在住外国人,奴隷をどうカウントするかの問題はあるが,アテネ(アテナイ)総人口(アッティカ全域)25万〜30万人 ,スパルタ市民人口約1万人 ,コリントス数万〜10万人,テーバイ数万〜10万人規模と推定されている。その国制,統治システムが様々であったことは,コミュニティをどうコムーナ(コミューン)に統合するかについて,多様なパターンがあったことを示しているが,都市国家ポリスに「共和制」という仕組みはないのである。

プラトンやアリストテレスは、「誰が支配するか(一人・少数・多数)」を問題にしたが,ローマでは「国家は誰の所有物か」「公共のもの(res publica)はいかに統治されるべきか」という異なる問題設定に基づいている。共和制は,「公共のもの」を法の下で市民が共同して担う政治秩序をいい、その典型は、執政官・元老院・民会が相互に均衡する共和制ローマの混合政体である。この共和主義の伝統は、ルネサンスの都市共和国を経て、近代の立憲主義、権力分立、代表制へと継承され、今日の共和国概念の基盤となっている。

コモンズ、コミュニティ、コムーネ(コミューン)がつくり上げる世界秩序の理想をリパブリック(共和制)としてきたのは,アメリカ合衆国の独立であり,フランス革命以降の欧米社会である。

コムーナ:コミュナル・カウンシル

山本理顕が,ベネズエラ日本大使を通じて,カラカスのバリオの環境改善について相談を受け,初めてベネズエラを訪問したのは2024年11月である。そして,デルシー・ロドリゲス副大統領(現暫定大統領)らと議論を行い,バリオを歩き,住民たちと交流してきた。インドネシアのカンポン、フィリピンのバランガイ同様、バリオにはコミュナル・カウンシルの集合体コムーナを単位とするコミュニティ組織がある。2025年には,2月,7月,9月,11月と4度ベネズエラに飛んだ。バリオ再生の案を練り,11月24~25日には,国連人間居住計画UN-Habitatの事務局長のオンライン参加も得て第一回World Barrio Symposiumを開催したのは2005年の11月末である。山本理顕が,ベネズエラ日本大使を通じて,カラカスのバリオの環境改善について相談を受け,初めてベネズエラを訪問したのは2024年11月である。そして,デルシー・ロドリゲス副大統領(現暫定大統領)らと議論を行い,バリオを歩き,住民たちと交流してきた。インドネシアのカンポン、フィリピンのバランガイ同様、バリオにはコミュナル・カウンシルの集合体コムーナを単位とするコミュニティ組織がある。2025年には,2月,7月,9月,11月と4度ベネズエラに飛んだ。バリオ再生の案を練り,11月24~25日には,国連人間居住計画UN-Habitatの事務局長のオンライン参加も得て第一回World Barrio Symposiumを開催したのは2005年の11月末である。

2025年は,ドナルド・トランプの2度目のアメリカ大統領(第47代)就任で幕を開け,世界は,アメリカ第一主義,MAGAの関税攻勢,不動産取引のディール国際政治に翻弄されてきた。そして,アメリカ第一主義が,実は,西半球を支配下に置くことを含んでいることが明らかになったのが,ベネズエラの石油輸送タンカーへ度重なる攻撃であり,2026年1月3日の秘密工作部隊による電光石火のマドゥラ大統領の拉致拘束であった。加えて,ベネズエラは,大地震に見舞われた(2026年6月24日)。つくづく不運というしかないが,大災害に襲われた場合に,その復興のために頼りになるのはコミュニティである。ドナルド・トランプというひとりの「王」と「ローカル・エリア・リパブリック」を主張する山本理顕は,はからずもその最前線に立っているのである。

第一に言いたいのは,ごく身近なコモンズ-コミュニティ-コムーネ(コミューン)について考えることが,世界秩序のあり方に直結していることである。さらに予め言いたいのは,ほとんど無視され続けてきた圧倒的な貧困者の存在である。現代社会がとてつもない格差社会となっていることは資本主義システムの当然の帰結である。

『21世紀の資本』(2013)で世界の貧富の歴史的拡大を指摘した経済学者トマ・ピケティ(1971~)らが運営する「世界不平等研究所」(パリ)の報告書(2021)によれば,世界の上位1%の超富裕層の資産は,世界全体の個人資産の37.8%を占め,下位50%の資産は全体の2%にとどまる。特に,最上位の2750人だけで3.5%に当たる13兆ドル(約1500兆円)超を保有し,上位10%で全体の75.6%を占める。世界人口の半数が2%の資産しか所有しない貧困者である。世界人口の圧倒的な多数を占める貧困者たちの居住地が,コミュニティの相互扶助活動がなければ成り立たないことについては,別稿[iv]に譲ろう。

しかし,それにしても地球の未来は暗い。

アメリカの生物学者ギャレット・ハーディンが『サイエンス』に「コモンズの悲劇」という論文を書いたのは1968年である。コモンズが誰にも利用可能であり,コモンズの資源が希少で有限であれば,コモンズは枯渇,消滅してしまう,ごくわかりやすいテーゼである。今や,人類にとっての最大のコモンズである地球全体が「悲劇」に向かいつつある。にもかかわらず,世界の富の過半を手にするテック富豪たちは,莫大な情報を蓄えるためのデータ・センターがとてつもないエネルギーを必要とするからと,ひたすら、地球を消費することへまっしぐらなのである。

世界共和国

現在,地球上には80億人を超える人類(ホモ・サピエンス)が居住する。この80億人のほとんどは,基本的には「国民国家Nation State」という単位に属している。国際連合UN(United Nations)に加盟する国家は現在193ヶ国である(2011~)。

国際連合UNが設立されたのは第二次世界大戦が終結した1945年10月であり,加盟国は51ヶ国であった。

『国連憲章』前文は次のように言う。

「われら連合国の人民は、われらの一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念を改めて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和および安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。よって、われらの各自の政府は、サンフランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。」

世界史(グローバルヒストリー)を主導してきた基本原理,世界のあり方,そのめざすべき方向をめぐって積み重ねられてきた諸論考を一貫して読み解いてきた柄谷行人(『世界史の構造』2010『力と交換様式』2022)が,資本=ネーション=国家によって構成される現在の世界を揚棄した世界として想定するのは,カントの『永遠平和のために』(1795)が提唱した「諸国家連邦」,そして「国際連盟」「国際連合」を引き継ぐ「世界共和国」である(『世界史の構造』)。交換様式論 A 互酬(贈与と返礼),B 服従と保護(略取と再分配),C 商品交換(貨幣と商品)で言えば,D Aの高次元での回復,に世界の未来をみる(『力と交換様式』)。『国連憲章』がうたったのも,素朴な理念としては,世界平和=「世界共和国(ワールド・リパブリック)」の実現であったといっていい。

国際連合は,しかし,「ワールド・リパブリック」を目指して結成されたわけではない。第二次世界大戦に勝利し,国際連合を設立して常任理事国となった連合国(英米仏露中)は,その段階で既に世界史の行方をめぐって大きく二分されていた。社会主義か,資本主義か,戦後の国際関係を大きく規定してきたのは,両勢力が相拮抗する冷戦構造である。

この冷戦構造が,1989年のベルリンの壁の解体,1991年のソビィエト連邦の崩壊によって瓦解すると,資本主義の優位が明らかとなり,1990年代以降,本格的なグローバリゼーションの時代が到来する。そして,世界システム論的パースペクティブによれば,世界経済のヘゲモニーを握り,圧倒的な軍事力を誇るアメリカ合衆国が世界をリードしていく時代が訪れたと思われた。しかし,世界は必ずしもそうは動いてはこなかった。

第一に,グローバリゼーションの浸透に対する抵抗,反抗が顕在化してくるのである。資本主義は,基本的に差異を駆動力とするシステムである。グローバリゼーションすなわち資本主義が地球の隅々にまで浸透していけば,格差が拡大するのは当然であり,抵抗が起こるのは当然と言えば当然である。実際,1990年代以降,世界各地で様々な紛争が噴出してきた。もちろん,資本主義の支配に対する反抗という単純な紛争・抗争・戦争ではない。

湾岸戦争1990~1991,ソマリア内戦1991~,ユーゴスラビア紛争1991~2001,スロベニア独立戦争1991,クロアチア独立戦争1991~1995,ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争1992~1995,コソボ紛争1998~1999…など,民族・宗派対立,国家崩壊に伴う長期内戦,テロ戦争と非国家主体の台頭など,むしろ,1990年代以降の方が戦争ははるかに多い。国際連合は,その調停に膨大な時間を浪費することになった。

アメリカ合衆国は,世界の警察官として,各地の紛争に介入してきたけれど,ついに音を上げることになる。アメリカ第一主義MAGA(Make America Great Again)を掲げるトランプ大統領の出現である。同じ2016年,イギリスは,EUからの離脱(ブレグジット)を決定するのであるが,自国第一主義が大きな流れとなった。

さらに,世界は,改革開放路線を突き進み,アメリカ合衆国に並びかける経済大国となった中国,ロシア帝国の夢を追うかのようにウクライナに侵攻したロシアの権威主義国家と国連など国際機関などをないがしろにして,まるで「ワールド・キング)」のように振る舞うトランプ大統領率いるアメリカ合衆国に引き裂かれ,まるで帝国主義の時代に遡るかのようである。193ヶ国が加盟する国際連合The United Nationsは完全に機能不全に陥ってしまっている。

トランプ大統領は,国際ルールどころか、自国の法的根拠を無視するような関税政策を実行し,国際連合のみならず,第二次世界大戦後につくられてきた世界秩序維持のための数多くの国際機関への出資を拒否するなど,自国第一MAGA政策(ディール)を実施する一方,ベネズエラ・マドゥロ大統領の拉致拘束(2026年1月3日),イラン最高指導者ハメネイ空爆暗殺(2026年2月28日)以降,ホルムズ海峡をめぐって世界を大混乱させつつある。。

テクノ・リパブリック

1990年代以降,世界史的大転換を促したグローバリゼーションを推し進めたのはICT革命,AI革命である。人と人の結合(コミュニティ)のメディアに関する一大転換が起こった。コモンズ、コミュニティ,コムーネの存立基盤を根源的に揺さぶっているのは,この人と人の関係を革命的に変化させるテクノロジーである。そして,世界資本主義(グローバリゼーション)をリードしてきたのは,シリコンバレーで育ったテック企業である。

パランティア・テクノロジーズの共同創業者と企業・法務責任者,アレクサンダー・C・カープ&ニコラス・W・ザミスカ(2026)『テクノロジカル・リパブリック 国家、軍事力、テクノロジーの未来』(村井章子訳)[v]は,目指すべき政体を「テクノロジカル・リパブリック」という。

パランティア・テクノロジーズ会長ピーター・A・ティール(1967~)は,PayPal,Open AIの共同創業者でもあり,Facebookにも投資者として関与してきた(2022年辞任)テック富豪のひとりである。PayPal時代からの友人イーロン・マスクと親密で,ともにテクノ・リバタリアンと見なされている。テクノ・リバタリアンとは,技術の力を心底信奉し,国家による規制や再分配、人権や民主主義も,イノベーションの足枷として否定する立場である。ティールは,2016年の大統領選ではトランプ支持を公言,巨額な献金をしたことで,政権移行チームに入り,各省の人事に影響力を及ぼして「影の大統領」と言われた。その後,トランプに不満があるとして,共和党支援は撤回したが,現副大統領J.D.ヴァンスとは投資会社時代からの友人であり、資金援助している。

ティールの刺激的な発言は様々に伝えられてきたが,その思想や理念をまとめた著書があるわけではない。その企業行動,実践を理論化しようとするのが『テクノロジカル・リパブリック』である。著者カープは,ティールのスタンフォード大学の同級生であり,パランティア・テクノロジーズの実務を担ってきた中心人物である。「第1部 ソフトウェアの世紀」「第2部 アメリカ精神の空洞化」「第3部 エンジニアリング・マインドセット」「第4部 テクノロジカル・リパブリック」という構成には,その該博な知識が鏤められている。ティールは,カープは,学生時代,社会主義的であったというが,その主張は,「国民国家」の統合を訴える点ではマイルドである。

しかし,予め確認しておくべきは「テクノロジカル・リパブリック」は「ワールド・リパブリック」ではないということである。また,テクノ資本主義の展開を一般的に主張しているわけではないということである。というのも,一貫するのはシリコンバレー批判なのである。「シリコンバレーに浸透している思想は要するにテクノユートピア主義であって,人類の問題はすべてテクノロジーで解決できるとしている」が,「シリコンバレーのエリート技術者は、アメリカはどういう国で,どんな価値観や大義を持っているかといったことを考え,国防と国家理念の立案にもっと積極的に関わる義務がある」というのである。「パランティア・テクノロジーズ」は,警察の犯罪捜査や駐留米軍特殊部隊のテロリストや爆弾物の捜査のみならず,米国民のデータベース化,移民の監視化,公務員の勤務評定・思想信条調査,政府効率化省(DOGE)の設立などに積極的に関わってきたことで知られ,この間のガザ地区における大量虐殺にも関与したとも言われている。ティールは,日米の先端技術分野の現状及び展望等について直接的意見交換を行うため来日したが(2026年3月5日),アメリカとその同盟国のためにテック産業(パランティア)を使えという売り込みである。

『テクノロジカル・リパブリック』のサブタイトルは「国家、軍事力、テクノロジーの未来」と訳されるが,英語は「Hard Power, Soft Belief, and the Future of the West」である。国家,軍事力,テクノロジーの未来を一般的に言っているわけではない。あくまで「Westの未来」である。そして,アメリカは建国当初から「テクノロジカル・リパブリック」だった、第二次世界大戦に勝利できたのは,その目的のために連携し協力する文化があったからである,アメリカが前へ進むためには,国家の構想や理念に対する疑念をなくしていかなければならない,当面の喫緊の課題は,先進的なAIを自由主義世界の意思に従わせることだ,さもないと,敵対国に先を越されてしまう,分断したアメリカが延々と議論している間に,第二次世界大戦以来の世界秩序に挑戦するチャンスを敵対国に与えかねない,というのが骨子である。要するに,MAGAが方針で,AIの登場によって,アメリカも危うくなる,そのために,われわれテック産業(パランティア)を利用しろ!というのである。

著者たちが該博な知識を有していることは随所に伺えるが,本稿の脈絡で最も興味を持ったのは,ダンバー数に触れた「第4部 第17章 ナショナル・アイデンティティ」である。ダンバー数というのは,イギリスの人類学者ロビン・ダンバー(1947~)が主張提起したテーゼであるが,1人の人間が他者とお互いに安定的な関係を維持できる人数の上限は150人ぐらいであるというものである。コモンズーコミュニティーコムーネ(コミューン)の原点である。

そのコミュニティが,如何にアメリカ合衆国を形成したきたかという記述はないが,「想像の共同体 Imagined Community」(ベネディクト・アンダーソン)を引いて,大規模な集団がまとまるために必要なのは,「共通の文化や言語や歴史であり,共通の英雄と敵であり,共通の物語と語法にほかならない」という。そして,アメリカ社会は,知らない人同士の間に想像上の親密さを作り出す機会を公的な領域から失ってきたのだという。

テック企業の多くは理想を体現する小さな国のようなものだといい,シリコンバレーのあちこちに出現した企業都市はハイテク共同体であり,言うなれば芸術家コロニーの現代版であると書くが,テック企業が独立して小さな都市国家をつくることを「テクノロジカル・リパブリック」で想定しているわけではない。もっとも,ピーター・ティールは,国際水域の人工島に新国家を建設するプロジェクトを打ち上げたりしている。テック富豪のなかには自分だけは生き残れればいいというという「選民思想」がある。

『テクノロジカル・リパブリック』があくまで問題にしているのはアメリカ合衆国である。共通の目的の追求に最も効果的な組織は,これまで存在した中では「国民国家」であるといい,「過度に好戦的で無思慮なナショナリズム危険だが,共通の価値観をすっかり投げ捨てるのも同じくらい危険である。テクノロジカル・リパブリックの再建には、共通経験,目的やアイデンティティの共有,人々の心を一つに結びつける市民的儀式といったものがかかせない」というのである。

コモンウェルス ー「帝国」とマルチチュード

ギャレット・ハーディンの「コモンズの悲劇」(1968)以降,コモンズに注目する論考・著書が出版されだすのは1990年代以降である。主要な著書・論考として,2009年のノーベル経済学賞の理論的基礎となったエリノア・オストロム(Elinor Ostrom(1990)『コモンズのガバナンス-人びとの協働と制度の進化』(原田禎夫・齋藤暖生・嶋田大作訳,晃洋書房,2022)。「コモンズの悲劇」を回避するためには,コモンズの適切な使用,管理,ガバナンスが必要とされる。日本でも,『コモンズの経済学』(多辺田政弘1990),『コモンズの社会学―森・川・海の資源共同管理を考える』(井上真・宮内泰介編2001),『コモンズの思想を求めて―カリマンタンの森で考える』(井上真2004),『社会の中のコモンズ 公共性を超えて』(待鳥聡史・宇野重規編2019)などがある。

そうした中で,世界秩序を提起するという意味で,興味深いのが『帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(2000,2003 水島一憲他訳 以文社)を書いたマイケル・ハートとアントニオ・ネグリの『コモンウェルス <帝国>を超える革命論』(2009,2012 水島一憲監訳 NHKブックス)である。『マルチチュード 〈帝国〉時代の戦争と民主主義』(2004, 2005 幾島幸子訳 NHK出版)を合わせて三部作の完結作である。コモンズをめぐるこの間の議論が具体的なコモンズのあり方をめぐって展開されるのに対して,ハートとネグリは,その「帝国」論,すなわち,グローバル化に世界秩序のあり方を論ずる到達点において「コモンウェルス」を位置づけているのである。

コモンウェルスの語源は,もちろん,コムニスに遡る。英語圏にその概念が持ち込まれたのは15世紀頃とされ,common-wealth (公共財)と訳され,「共通善」あるいは「公共の福祉」といった意味で用いられた。コモンウェルスを「国家」という意味で用いた最初期の例とされるのはクロムウェルの革命政府というが,歴史的には,共和政体,共和国Republic意味する言葉として使われてきた。ただ,「連邦」と訳される場合があるのは,「イギリス連邦Commonwealth of Nations」の成立によってであり,緩やかな国家連合体についてもコモンウェルスは用いられる。

ハートとネグリの「帝国」という概念は,必ずしもわかりやすい概念ではない。ヨーロッパの「国民国家」によって世界のほぼ全領域が分割された19世紀から20世紀にかけての時代,「帝国主義」の時代の「帝国」とは全く異なる。ソ連邦が崩壊し,冷戦構造が周縁を迎えて以降に表れるのが「帝国」である。世界システム論的には,上述したように,アメリカ一強体制が出現したとするのであるが,グローバリゼーションの時代に出現したのが「帝国」というのである。ハートとネグリの「帝国」という概念は,必ずしもわかりやすい概念ではない。ヨーロッパの「国民国家」によって世界のほぼ全領域が分割された19世紀から20世紀にかけての時代,「帝国主義」の時代の「帝国」とは全く異なる。ソ連邦が崩壊し,冷戦構造が周縁を迎えて以降に表れるのが「帝国」である。世界システム論的には,上述したように,アメリカ一強体制が出現したとするのであるが,グローバリゼーションの時代に出現したのが「帝国」というのである。

「帝国」は,脱中心的で脱領土的な支配装置,すなわち,領土上の中心はなく,境界ももたないという。すなわち,空間的には世界全体を支配している。しかも,「帝国」は,時間的にも境界をもたず,歴史の外部ないし終わりに位置する体制だという。これを,世界資本主義(グローバリゼーション)、今日から振り返ればSNS,AIなどテック産業が支配する世界の規定として読める。ハートとネグリは,そういう「帝国」支配の下で止まることのない抗争や戦争への反撃をマルチチュードの蜂起に期待した。マルチチュード(群衆,多様な民族,多様な職業,多様な文化,多様な地域,多様な主体…)とは何か?,その具体的イメージは必ずしも定かではない。

しかし,『コモンウェルス』は,コモンという概念に改めて焦点を当てたということである。「共和国」というけれど,市民革命から今日に至るまで、「共和国」は「財産の共和国the republic of property」であったといい,国家主権そのものを相対化し、コモンを共同で管理する自律的なネットワーク社会を構想する。彼らはこれを「コモンの民主政」あるいは「マルチチュードによる自己統治」という。20世紀は,私有財産(資本主義),公有財産(国家社会主義)の対立であった。しかしどちらも、人々の生産活動を支配するという点では同じである。そこで第三の領域として鍵となるのがコモンである。コモンは,言うまでもなく土地だけではない。知識,情報 ,言語,都市空間,インターネット …人々が共同で生み出し、共同で利用するものの全体である、とハートとネグリはいう。

暗黒社会主義=エコロジー独裁

カリフォルニア州サンタクララ郡のサニーベール,パロアルト,マウンテンビューなどテック企業都市を,「国民国家」から隔絶した都市国家,ハイテク共同体というのであれば,ローカル・エリア・リパブリックの実現といえるのかもしれない。

しかし,テクノ資本主義を牽引するイーロン・マスクは, 地球ではなく火星に移住するプロジェクトを企て,ピーター・ティールは,上述のように,国際水域の人工島に新国家を建設するプロジェクトを打ち上げたりする。彼らに,「ワールド・リパブリック」という発想はないのである。斎藤幸平の新著『人新世の「黙示録」』(2026)は,テクノ資本主義を牽引するテック富豪たちの「選民思想」を激しく批判する。

決定的問題は,地球という人類にとって最大のコモンズの危機である。

気候変動に関する政府間パネルIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)が国際連合環境計画UNEPと世界気象機関WMOによって設けられたのは1988年,リオ・デ・ジャネイロで「環境と開発に関する国連会議」(地球サミットCOP(締約国会議)1)が開催されたのは1992年であるが,気候変動,地球温暖化問題への各国の対応が遅々として進まないのである。気候変動問題を全く無視するのがトランプ大統領であり,テクノ・リバタリアンたちである。

この行方知らずの世界史をめぐって,果敢にその行方について議論するのが斎藤幸平(2026)『人新世の「黙示録」』である。前著,斎藤幸平(2020)『人新世の「資本論」』の結論は,「脱成長コミュニズム」であった。「コモンズの復権」「社会運動による帝国的生産様式の超克」といった下からの実践を提起したが,それを実現する具体的な方策が示されていたわけではない。新著でも確認されるが,資本主義と経済成長を維持する「気候ファシズム①」,気候変動が気候変動のみならず食糧生産にまで及ぶ「野蛮状態②」,「野蛮状態」を避けるためにトップダウン型の気候変動対策を行う「気候毛沢東主義③」に対して指針としたのが「脱成長コミュニズム④」である。

しかし,新著は,世界がファシズムに向かう危機感を露わに,「エコロジー独裁への道(第9章)」あるいは「暗黒社会主義という希望(第10章)」を結論とする。ひとつは気候変動に対する対策が時期を逸し,気候崩壊に既に至ったという認識がある。また,「脱成長」が受け入れられない政治状況への危機感がある。脱成長を謳うグループの多くがローカルなコミュニティ運動にとどまっている、「脱成長コミュニズム」のような小さな運動だけでは,いつまでたっても資本主義は変わらない,政治の場で力を持てなければ,制度の変更もできず,最終的には資本主義の圧倒的な力によって一掃されるだけだ,という批判がある。国家論なき「脱成長コミュニズム」だけでは危機に対処することはできない,というのである。

「暗黒」は,哲学者のニック・ランドらの,名門大学を卒業したリベラルによって支配された「ディープ・ステート」を告発する「暗黒啓蒙Dark Enlightenment」に由来するというが,「暗黒社会主義」は,近代の「直線的な進歩」が終わりを迎えたという事実への深い絶望と怒りを共有し,その上で資本主義に正面から対峙する道を選ぶのだという。要するに,「脱成長コミュニズム」ということだと思わないでもないが,具体的に提起しているのはわかりやすく「参加型の計画経済」である。

第9章には,様々な施策が挙げられているが,「暗黒社会主義」の「五本の柱」とするのは,①脱商品化とニーズ型経済への転換,②投資の社会化=民主化,③多元的な価値を反映する経済,④参加型経済による暗黙知の活用,⑤環境制約の経済への埋め込み,である。

しかし,この「五本の柱」をどう実現するかについては,異論もあれば,議論にも値しないと一蹴されるであろう。斎藤幸平もそれは分かっている。あとがき(おわりにー名もなき者たちの「黙示録」)の最後はこうだ。

「その始まりは、身近なところにもある。水道の民営化に反対して、PCPの実現を求めたり,自分の住む自治体に参加型予算を求めたり,公営住宅の新設を求める署名活動を始めるのでもいい。現代の危機を理解して行動できる自治体の首長候補を探し出すことも重要である。民主的計画の種をまき続けるのだ。未来はやはり,本書を読んだあなたが、それに向けて立ち上がる決断をするかどうかにかかっている。」

「真」の「建築家は,日々、そのために戦っているのである。


[i] 今井章博「『希望のコミューン』(布野修司・森民夫・佐藤俊和著)をめぐって『SLAB』創刊号 本特集)。

[ii] 布野修司(2025)「「世界」という「空間」をつくる「仕事」—山本理顕論」(『都市美 臨時増刊号 特集 山本理顕とは何者か?』)。

[iii] 布野修司責任編集『都市美』4号「特集ローカル・エリア・リパブリック」.地域社会圏研究所

[iv] 布野修司(2026)「世界の「スラム」と「貧困」のコミュニティ」(『都市美』4号「特集ローカル・エリア・リパブリック」地域社会圏研究所)

[v] Alexander C. Karp and Nicholas W. Zamiska(2025), “The Technological Republic Hard Power, Soft Belief, and the Future of the West”


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“ローカル・リパブリック&テクノ・リパブリック” への1件のフィードバック

  1. asasianarchitectureassociationのアバター
    asasianarchitectureassociation

    最後の「『真』の建築家は、日々、そのために戦っているのである。」という言葉が特に印象に残ります。
    では、「真」の建築家とは何なのか。

    建築をつくる人なのか。
    それとも、人々が共同して生きるための「コモン」をつくる人なのか。

    建築を一つの建物として完結させるのではなく、地域や社会、人と人との関係をつくり、それを持続させていくことまでを建築と考えるなら、建築家の役割そのものも変わってくるように思います。
    「建築はコモンになり得るのか」。
    この問いを、自分自身の実践にも引き寄せて考えてみたいと思いました。

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