トランプは建築を破壊したのか―それとも建築家の欺瞞を暴いたのか

香月真大

ドナルド・トランプは建築を破壊しようとしているのか。あるいは、彼が暴いているのは現代建築が長い時間をかけてつくり上げてきた価値観そのものなのか。ワシントンD.C.という都市装置を手がかりに、政治と建築の力学を問う。

ドナルド・トランプは、建築を破壊しようとしているのだろうか。あるいは、彼が破壊しようとしているのは建築そのものではなく、現代建築が長い時間をかけてつくり上げてきた価値観なのだろうか。

2025年にアメリカ大統領へ復帰したトランプは、建築と都市に対する自らの思想を、これまで以上に明確に示し始めた。連邦政府建築における古典主義や伝統的建築様式の重視、ホワイトハウスの大規模な改変、ワシントンD.C.に構想される巨大な凱旋門、さらにワシントン記念塔周辺を含む公共空間への介入。これらを個別の事業として見るだけでは、トランプが建築を通して何をしようとしているのかは理解できない。

トランプは一つの建築をつくろうとしているのではない。ワシントンD.C.という都市そのものを、自らの政治思想に基づいて再編集しようとしているのではないだろうか。

I ワシントンD.C.という都市装置

ワシントンD.C.は特殊な都市である。ホワイトハウス、連邦議会議事堂、ワシントン記念塔、リンカーン記念堂、リフレクティング・プール、そしてナショナル・モールは、巨大な軸線によって結ばれている。そこでは建築物が単独で存在しているのではなく、建築、広場、芝生、水面、そして人間の身体が一つの都市的な構造を形成している。

ワシントンD.C.を歩くことは、単に都市を歩くことではない。アメリカという国家がつくり上げてきた歴史や政治理念のなかを歩くことである。遠くにワシントン記念塔を見ながら芝生を歩き、リフレクティング・プールの水面を眺め、リンカーン記念堂へ向かう。その過程で人間の身体は、巨大な建築と都市軸のなかに位置づけられる。

つまりワシントンD.C.とは、国家という抽象的な存在を、人間が自らの身体によって経験するための都市なのである。

図1 ワシントンD.C. ナショナル・モール全景——奥にワシントン記念塔、手前にリフレクティング・プール 出典:PublicDomainQ(パブリックドメイン画像)

II ナショナル・モールの二重性

この都市の中心にあるナショナル・モールは、単なる観光地ではない。そこはアメリカという国家が、自らの歴史や理念を建築と都市によって表現してきた場所であると同時に、市民が国家に対して自らの意思を表明してきた場所でもある。

1963年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはリンカーン記念堂の前で「IHave aDream」の演説を行った。その後もナショナル・モールでは、反戦運動、政治集会、デモ、祝祭、追悼など、さまざまな市民活動が行われてきた。

図2 リンカーン記念堂——1963年、キング牧師「I Have a Dream」演説の舞台 出典:PublicDomainQ(パブリックドメイン画像)

ここには重要な二重性がある。

ナショナル・モールは、国家が市民に対して自らの歴史や理念を示す場所である。しかし同時に、市民が国家に対して声を上げる場所でもある。国家から市民へ向かう力と、市民から国家へ向かう力が同時に存在することで、この場所は巨大な公共空間として成立してきた。

この視点から考えると、トランプによるワシントンD.C.への建築的介入は、単なる都市整備とは異なる意味を持っている。

III トランプの建築観と「凱旋門」という装置

トランプが建築に強い関心を持っていることは以前から知られている。彼の建築観は極めて分かりやすい。大きく、豪華で、強く、誰が見ても価値を理解できる建築を好む。その価値観は、彼が不動産事業者として建設してきたホテルやタワーにも現れている。

しかし大統領としてのトランプが建築に介入するとき、その意味は個人的な趣味では終わらない。なぜなら彼が扱っているのは、国家の建築だからである。

国家の建築において、どのような様式を選ぶのか。どのような広場をつくるのか。どのような記念碑を建設するのか。それらの判断は、単なるデザインの問題ではない。国家が自らをどのような存在として表現するのかという、政治的な問題である。

トランプがワシントンD.C.に構想する巨大な凱旋門は、その意味で極めて象徴的である。

そもそも凱旋門とは何だろうか。

凱旋門は、古代ローマにおいて皇帝や軍隊の勝利を記念するためにつくられた。その後、ナポレオンはパリにエトワール凱旋門を建設した。そこでは軍事的な勝利や国家の権力が、巨大な建築物として都市空間に固定されている。

人間は巨大な凱旋門の下を通過する。その瞬間、人間の身体は建築に対して圧倒的に小さな存在になる。人間は自らの身体の小ささを経験すると同時に、国家や権力の巨大さを身体によって理解する。

つまり凱旋門とは、国家と人間のスケールの差を利用した政治的建築なのである。

図3 ワシントンD.C.の主要施設配置図/サイト 出典:8778_New_Monumental_Arch_Staff_Report_Jun2026

図4 New Monumental Arch 完成予想パース(マーシャル・アベニュー西望)出典:National Capital Planning Commission, File No. 8778(2026年6月4日)

図5 New Monumental Arch 配置図——メモリアル・サークル拡大サイトプラン出典:National Capital Planning Commission, File No. 8778(2026年6月4日)

IV 「Make America Great Again」という物語

では、なぜ21世紀のアメリカに凱旋門が必要なのだろうか。

トランプの政治的スローガンである「Make America GreatAgain」は、この問いを考える上で重要である。アメリカを再び偉大にするという言葉は、未来について語っているように見えるが、実際には過去について語っている。

かつてアメリカは偉大だった。しかし、その偉大さは失われた。だから取り戻さなければならない。

この物語において重要なのは、未来を新しく発明することではない。失われたとされる過去の強さを回復することである。

だからこそ、トランプの建築は未来的な建築へ向かわない。古典主義、巨大な柱、左右対称のファサード、石による重厚な建築、そして凱旋門。トランプが求める建築は、すでに人々が知っている「強さ」のイメージによって構成されている。

V 建築家の欺瞞——専門化と社会からの乖離

しかし、ここで重要なのは、トランプの建築観を単純に時代錯誤として批判することではない。

なぜなら、多くの人々は古典主義建築を美しいと感じるからである。多くの人々は巨大な建築に感動する。ゴシック大聖堂を訪れ、パンテオンを訪れ、ヴェルサイユ宮殿を訪れ、エトワール凱旋門を訪れる。

そこには、現代建築の専門的な知識を持たない人間にも理解できる、建築の力が存在している。

この事実を、建築家はどのように考えるべきなのだろうか。

20世紀以降、建築は急速に専門化した。

建築家はさまざまな言葉によって建築を説明するようになった。地域性、公共性、コミュニティ、コンテクスト、サステナビリティ、コモンズ、ネットワーク、関係性といった概念が、現代建築を語るために使われている。

もちろん、これらの概念は重要である。

しかし、ここで一つの奇妙な現象が起きた。

建築を説明する言葉が増えるほど、建築そのものが社会から理解されにくくなっていったのである。

建築雑誌を読むのは建築家である。建築展に行くのも建築家である。建築賞を評価するのも建築家である。建築家が建築をつくり、建築家が批評し、建築家が評価する。

その結果、建築の世界には一つの閉じた構造が生まれた。

もちろん建築家は社会について語っている。地域について語り、公共性について語り、コミュニティについて語っている。

しかし、その言葉を聞いているのは誰なのだろうか。

社会について語りながら、社会から離れていく。人々について語りながら、人々には理解されない。公共性について語りながら、その建築を評価するのは専門家である。

ここに現代建築が抱える大きな矛盾が存在している。

そしてトランプは、その矛盾のなかに現れた。

トランプは難しいことを言わない。美しい建築をつくれ。偉大な建築をつくれ。アメリカらしい建築をつくれ。その主張は極めて単純である。

しかし、だからこそ人々に届く。

建築家は、このような考え方を笑うかもしれない。建築とはそんなに単純なものではない。社会的条件があり、歴史的文脈があり、環境条件があり、経済条件がある。

しかし問題は、建築家の主張が正しいかどうかではない。

なぜ建築家の言葉よりも、トランプの言葉の方が人々に届いてしまうのかということである。

私は、これは現代建築にとって極めて深刻な問題だと思う。

VI 水面のなかの記念塔——リフレクティング・プールの思想

さらに重要なのが、ワシントン記念塔周辺の公共空間である。

ワシントン記念塔とリンカーン記念堂のあいだには、巨大なリフレクティング・プールが存在する。この場所の重要性は、単に巨大な水面があることではない。

水面は、建築と人間の関係を変える。

ワシントン記念塔は高さ約169メートルの巨大な建築物である。その物理的な存在は変化しない。しかし水面に映るワシントン記念塔は変化する。

風が吹けば揺れる。雨が降れば消える。夕方になれば色が変わる。人間が歩けば、その視点によって見え方が変わる。

つまり、そこでは巨大で固定された国家の記念碑と、常に変化する環境が同時に存在している。

私は、この関係が重要だと思う。

国家は固定された存在であろうとする。建築もまた、固定された存在であろうとする。しかし人間の身体は動き、環境も変化する。光が変わり、風が吹き、水面が揺れ、人々が集まり、デモが起き、祝祭が行われる。

ナショナル・モールという場所は、巨大な国家の建築と、変化し続ける人間や環境との関係によって成立している。

だからこそ、ワシントン記念塔周辺やリフレクティング・プールへの介入は、単なる景観整備ではない。

それは、国家と人間の関係をどのようにつくるのかという問題である。

広場をどのようにつくるのか。水面をどのように扱うのか。人間をどのように歩かせるのか。どこに記念碑を置くのか。どの方向に視線を向けるのか。

これらの設計によって、人間が国家をどのように経験するのかは変化する。

建築と都市は、人間の行動を直接支配するわけではない。しかし人間の身体を配置することはできる。歩かせ、立ち止まらせ、見上げさせ、巨大な建築の前で自らの身体の小ささを感じさせることができる。

トランプは、建築が持つこの力を理解しているのではないだろうか。少なくとも、直感的には理解しているように思える。

VII 建築とは、政治を時間に固定する装置である

言葉は消える。ニュースは忘れられる。SNSの情報は流れていく。選挙は終わる。政権もいつか終わる。

しかし建築は残る。

都市は残る。

広場は残る。

軸線は残る。

だから権力者は建築を求める。

建築とは、政治を時間のなかに固定する装置だからである。

VIII ホワイトハウスの拡張

ホワイトハウスの大規模な改変も同じ文脈から考えることができる。

ホワイトハウスは、ヨーロッパの王宮と比較すれば決して巨大な建築ではない。ヴェルサイユ宮殿でもなければ、皇帝の宮殿でもない。

そこには王ではなく、市民によって選ばれた大統領が住む。

その比較的小さなスケール自体が、ある意味ではアメリカ民主主義の思想を表現してきたとも考えられる。

しかしトランプは、そこに巨大なボールルームを加えようとしている。より大きく、より豪華に、より強く。ここにもトランプの建築観が現れている。

建築は権力を隠す必要はない。むしろ、見せるべきである。

IX 現代建築が手放したもの

この考え方は、20世紀後半以降の現代建築とは大きく異なる。

現代建築は、巨大な権力の表現から距離を取ろうとしてきた。国家ではなく地域を考え、権力ではなく市民を考え、記念碑ではなく日常を考え、巨大な物語ではなく一人ひとりの人間の生活を考える。

私は、この変化そのものは間違っていなかったと思う。

しかし同時に、現代建築は何かを失ったのではないだろうか。

それは建築そのものが持つ力である。

人間を圧倒する空間。都市を変える建築。文明を象徴する建築。何百年も残る建築。人々の記憶に刻まれる建築。

こうした建築を語ることは、いつの間にか時代遅れになった。

巨大な建築は権力的である。記念碑は古い。美しさは主観的である。象徴性は危険である。永続性よりも変化が重要である。

建築家は巨大な物語から離れた。

しかし、人間は本当に巨大なものを必要としなくなったのだろうか。

私はそうは思わない。

人間は、自分の身体や人生を超えるものを求める。だから何千年も前の神殿を訪れ、大聖堂を訪れ、宮殿を訪れ、巨大な記念碑を訪れる。

そこには、自分の身体と時間を超えた存在に触れたいという人間の欲望がある。

トランプは、その欲望を利用している。

一方で、現代の建築家はどうだろうか。

私たちは本当に建築の力を信じているだろうか。

社会について語る。環境について語る。地域について語る。公共性について語る。

しかし建築そのものが人間を感動させ、圧倒し、都市を変え、歴史をつくる力については語らなくなった。

その空白にトランプが入ってきた。

巨大な建築をつくる。凱旋門をつくる。ホワイトハウスを改変する。公共空間を書き換える。国家を建築によって表現する。

つまりトランプは、建築家が放棄した巨大な物語を、政治の側から拾い上げたのである。

X 建築の自由と支配——本質的な矛盾

だから私は、トランプを単純に批判することができない。

もちろん国家が美しさを決定することには危険がある。政治が建築様式を決定することにも危険がある。

巨大な記念碑は人々を感動させるが、同時に人々を支配することもできる。巨大な広場は人々を集めるが、同時に人々を国家の物語のなかに配置することもできる。巨大な軸線は美しいが、同時に権力の方向を示す。

建築は自由をつくることができる。

しかし建築は支配をつくることもできる。

ここに建築の本質的な矛盾がある。

そしてワシントンD.C.は、その矛盾が最も明確に現れる都市の一つである。

ワシントン記念塔、リフレクティング・プール、リンカーン記念堂、ナショナル・モール、ホワイトハウス、連邦議会議事堂、そして新たに構想される凱旋門。

これらを一つの都市として見るとき、私たちはトランプが何をしようとしているのかを考えなければならない。

彼は単に建築をつくろうとしているのではない。

国家の物語を編集しようとしている。

都市を編集しようとしている。

歴史を編集しようとしている。

そして、人々が国家をどのように身体によって経験するのかを編集しようとしている。

私はここに、トランプの建築政策の本質があると思う。

XI 建築家への問い

しかし同時に、これは建築家に対する問いでもある。

なぜ政治家がこれほど建築の力を利用できるのか。

そして、なぜ建築家は建築の力を語ることをやめてしまったのか。

現代建築は社会について語ってきた。地域について考え、環境について考え、公共性について考えてきた。それらは間違っていない。

しかしその過程で、建築そのものが人間を圧倒し、感情を揺さぶり、都市の記憶となり、何百年という時間を超えて存在することについて、私たちはどこか語ることを避けるようになった。

建築は社会問題を解決するための手段となり、環境問題に対応するための技術となり、地域の関係をつくるための装置となった。

しかし、建築はそれだけのものだったのだろうか。

XII 揺れる水面——結語

ワシントンD.C.の中心には、一本の巨大なオベリスクが立っている。

ワシントン記念塔である。

その建築は、現代建築が重視する地域性やコミュニティによって説明されるものではない。巨大で、抽象的で、人間の身体をはるかに超えている。

それでも毎年、多くの人々がその場所を訪れる。

人々はワシントン記念塔を見る。

しかし実際には、記念塔だけを見ているのではない。

広大な芝生を歩き、遠くに建築を見つけ、水面の横を進み、風を感じながら、その巨大な存在との距離を少しずつ変えていく。

リフレクティング・プールの水面には、ワシントン記念塔が映っている。

実際の記念塔は動かない。

しかし、水面に映る記念塔は動いている。

風によって揺れ、光によって変化し、雨によって消える。

そこを歩く人間もまた動いている。

同じ場所を歩いていても、見える風景は少しずつ変化していく。

おそらく建築とは、このようなものなのだと思う。

建築物は固定されている。

しかし建築は固定されていない。

人間が歩き、環境が変化し、時間が流れ、社会が変わることで、その意味は絶えず書き換えられていく。

トランプは今、ワシントンD.C.を書き換えようとしている。

ホワイトハウスを改変し、凱旋門を構想し、連邦政府の建築に新たな価値基準を与え、国家の中心にある公共空間を再編しようとしている。

それがアメリカの建築を破壊することになるのか。

あるいは、新しい時代の建築を生み出すことになるのか。

今の段階では分からない。

しかし一つだけ確かなことがある。

トランプは、建築が政治や社会に対して持っている力を信じている。

建築によって国家のイメージを変えることができる。建築によって人々の記憶をつくることができる。建築によって都市の意味を書き換えることができる。

彼はそう信じているように見える。

では、私たち建築家はどうだろうか。

私たちは、今でも建築の力を信じているだろうか。

社会について説明するための建築ではなく、環境問題を解決するためだけの建築でもなく、建築そのものが人間の身体を動かし、感情を揺さぶり、都市の記憶となり、時代を超えて存在する力を、本当に信じているだろうか。

トランプが暴いたのは、現代建築の間違いではないのかもしれない。

もっと根本的な問題である。

建築家自身が、いつの間にか建築の力を信じなくなっていたということではないだろうか。

ワシントン記念塔は、今日も同じ場所に立っている。

しかし、その水面に映る姿は絶えず変化している。

トランプが変えようとしているのは、建築なのか。

都市なのか。

アメリカという国家の物語なのか。

あるいは、私たちが建築を見る方法そのものなのか。

トランプは建築を破壊したのか。

それとも、建築家の欺瞞を暴いたのか。

その答えは、まだ水面のように揺れている。

参考文献

1. アメリカ合衆国大統領府「美しい連邦公共建築の推進に関する大統領令」2025年。

2. アメリカ国立公園局『ナショナル・モールと記念公園』。

3. カーク・サヴェージ『モニュメント・ウォーズ――ワシントンD.C.、ナショナル・モールと記念景観の変容』カリフォルニア大学出版局、2009年。

4. リチャード・セネット『肉体と石――西洋文明における身体と都市』。

5. アンリ・ルフェーヴル『空間の生産』。

6. ロバート・ヴェンチューリ、デニス・スコット・ブラウン、スティーヴン・アイゼナワー『ラスベガス』。

SLAB – Global Criticism of Architecture & City & Housing


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