建築主の責任と建築行政の役割-国民のための建築法を作ろう
神田 順
4 建築に求められる質とは
安全や健康を考えると、最低基準を設けることは行政としては必要なことであり、社会としても効率的な建築生産を可能とする。しかし、基準が膨大になり、分かりにくくなると、建築主としては、なるべく安くということを求めることになり、最低基準ぎりぎりの建築が生まれがちである。現実に、そのような状況を生んでいると考える。さらに法改正があると、既存不適格が生じてしまう。そんなことを繰り返されるのでは豊かな社会資産として形成されない。
生活空間が地面より低いと、じめじめして快適な住居とならないから、地下室は生活空間としては認めないとか、外気や日差しが入らないと不健康になるから、床面あたりの開口面積の比率はある程度以上にしなくてはいけないとか、天井が低いと圧迫感があるので、最低を決める必要があるなど、健康で快適な生活のために、建築基準法では、最低基準が決められた。地震や風に対しても、簡単に壊れないように、水平力として、規定された。
1950年に当時必要と考えられる最低基準が決められたわけである。その最低基準が、今では膨大な量になっている。当時、健康のためと考えられたことも、技術的対応により見直されるべきものも少なくないように思う。特に、構造安全性能などについては、最低基準を複雑化するのではなく、望ましい性能に誘導することが質を高めることにつながる。地域性も併せて、規制のあり方を基本から見直すことが求められる時代になっているといえるのではないか。行政が、建築についての十分な専門性を有していれば、法規制は最小限ですむし、それによって、設計者の専門性はより有効に建築の質の向上に寄与することとなる。
安全や健康、環境といった視点で、質の高い建築は、豊かな社会の基盤となる。単に壁が厚いとか、窓が大きいとかが質を高めるということではないので、専門家としては、建築の質についての説明が必要であるし、特に行政にあっても、そのような専門的知見から質の高い建築が、豊かな社会資産として蓄積されることを理解し、判断できる必要がある。
単体規定にあっては、室内で生活する者が、健康で安全であることが求められる。その際、気候や地震危険度など地域性に大きく依存する部分については、地域ごとに判断することが不可欠である。最低どの程度であるべきかについての規定は必要かもしれないが、木造平屋住宅であれば、自分で建てる人もいるであろう。快適性や安全性についても、自分で満足できるのであれば、それが最適ということになる。
集団規定にあっては、基本は周辺に住む人たちへの影響が問題なければよい。土地は有限であり、私有地であっても、空間が占有されることによって、周辺に影響を与えるので、何らかの規制を受けることになる。特に、人口密度が高くなると影響が強くなるので、都市計画や地区計画として予め決められていて、その範囲内でということにしてきているわけであるが、それを、建蔽率、容積率、高さ制限というような形で、しかも、用途地区を法律で区分し、今日まで来ている。1950年の、圧倒的に住宅も事務所も足りなかった時代とは、全く異なる建築環境にある。すでに周辺に住む人たちへの影響は、敷地に建築することが、周辺を含めた環境をよりよくする場合であれば良いが、日照、通風、景観、密度など、過去のルール通りで良いということではなく、周りの人たちが了解するものである必要があろう。
住民の幸福追求権ということを認める社会であることが望まれる。公共の福祉という言葉でくくって、受忍限度を法的な最低基準としてきたが、それも、これまでの経済成長発展社会から持続可能社会、地域創生社会というときに、基本から見直す時代にある。それが豊かな社会を作ることになり、建築の意味はそこにあると考える。もっとも社会を構成するのであるから、敷地内でもできることできないことについて、周辺の人の権利ですべて決められるわけではなく、そこにおいて自治体の行政的な調整役としての役割・判断が求められる。
例えば日照権は、建築基準法において規定されていなかった時点では、紛争の要因になっていた。その時点でも、敷地内の建築主の建築する権利と、敷地周辺の住民の快適に暮らす権利との調整が、適切になされれば、それで、国民の幸福追求権も保障されることになるわけである。しかし、逆に、法に明示されたことによって、それが全国一律で、周辺住民にとっては受容限度とされることから、甘んじて受け入れなくてはいけないものとなってしまう。
北側斜線制限なども、まさに北側住民の日照権を保障する限界として法的に定めたものである。しかし、どの程度の日照がどのような形で保証されることが望ましいかは、地域、住み方の文化や歴史によって異なるものであろうし、基本は、その地域に住む人たちが、望ましい形を合意できればよいはずのものである。奇妙な斜線の建築物が並ぶ景観が決して望ましいとも言えない。すでにまちは建築でほぼ埋められてきているときに、新築や改築がなされるとすると、周辺住民も含めて、より環境が良くなる場合にのみ認められるように、自治体が指導することを原則とすることが望ましい。結果的に、現行の建築基準法規定に近いものになるかもしれないが、その地域としての最適解は、さらに質の高いものになりうることは、大いに期待できる。
どのような建築が生産されるかというときに、法規制の役割は原則であって、詳細な具体的な規制は、自治体が個々に応じて行えることが望ましい。ということは、自治体にそれだけの専門性が求められるということである。
現在も景観法に基づく景観行政に力を入れている自治体では、事前協議制度にもなっているわけで、コミュニティ・アーキテクトやまちづくり建築士など、建築の専門性を行政の立場で発揮することは、不可欠と考える。
参考文献
1)持続可能社会と地域創生のための建築基本法制定、建築基本法制定準備会編、A-Forum出版、2020年
2)耐震強度」とは何か、神田順、科学vol.76,4、2006年、pp.356-363
3)耐震偽装問題は建築基準法が原因!、インタビュー神田順、建築知識2006年5月号、pp.75-77
4)神田 順「安全な建物とは何か」技術評論社、2010年
5)神田 順「『イタリアン・セオリー』から考える我が国の建築構造基準」2016年8月、日本建築学会大会講演梗概集20011
6)1998年建築基準法改正に思う、神田順、鉄鋼技術1999年4月、pp.56-59
7)そもそもいかにあるべきか―建築の豊かさと法規制―、西一治、科学vol.74.9、2004 年、pp.1078-1082
8)建築の質の向上に関する検討報告書、日本建築学会、国土交通省平成20年度建築基準整備促進補助金事業、2009年3月





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