合意形成を哲学する 承前

桑子敏雄

「合意形成の哲学」について語ることが本稿の目的である。

だが、そもそも「合意形成の哲学」なるものがあるのだろうか。何々の哲学、たとえば「言語の哲学」とか「価値の哲学」とかいえば、すでに哲学的な考察のもとに理論化された体系を想像するであろう。ただ、「合意形成」をテーマにした書籍はあるが、その多くは実務的な指導書、あるいは、ケーススタディのたぐいである。『合意形成の哲学』というタイトルの書物はみあたらない。

さまざまな公共事業に参加し、当事者として対立・紛争を解決するための合意形成に従事してきたわたし自身のことを考えると、そうした経験をもとに『社会的合意形成のプロジェクトマネジメント』(コロナ社、2016年)という本を出版したことはある。しかし、この本もどちらかというと具体的な合意形成プロセスを実行する実務者向きのものであって、合意形成に含まれる哲学的な意味について考察したものではない。

以上の点を踏まえていうと、現段階で、合意形成についての哲学的な考察を体系的に述べることは難しい。じっさい、わたしが合意形成、とくに公共的な現場での公共事業に取り組んだのには、合意形成についてのまとまった理論や思想をわたしがもっていたからでも、あるいは、そのような思想の知識の提供を求められたからでもない。

わたしの参加をもとめた国や地方自治体は、直面する課題に対して解決の道筋をサポートすること、その作業のなかから解決の糸口を見いだして解決へと向かうことであった。

じっさい、具体的な課題解決に従事しつつ、合意形成を進めるにあたって重要な考え方や概念を整理することはあった。しかし、体系的にまとめることはなかった。したがって、合意形成の哲学を語るには、まず、わたし自身の従事した実務について回顧しつつ、それぞれの合意形成プロセスに含まれていた基本的な概念や考え方についてまとめることが必要である。さらに、このことを通して、合意形成の哲学の理論化を目指すのがよいと思う。

『環境の哲学 -日本の思想を現代に活かす』と『建設月報』

思い返してみると、わたしが合意形成の実務に従事することになったターニングポイントは、1999年12月10日刊行の『環境の哲学 -日本の思想を現代に活かす』(『環境の哲学 -日本の思想を現代に活かす-』(講談社学術文庫、1999年)がきっかけである。この本のなかでわたしははじめて「合意形成」を大事な概念として述べた。

「合意形成」は、第十章「社会資本の整備と空間の思想」という最終章で述べた。

空間の豊かさを実現するためには、あらかじめきまった価値意識で空間を意味づけたり、あるいは意味づけについての綱引きをしたりするのではなく、その空間がほんとうに豊かであるということはどういうことであるかについて合意形成できることが必要である。要するに、「なにが大切か」という点についての合意形成、意思決定、評価ができる「しなやかなシステム」を社会資本として構築することが必要である。「しなやかなシステム」とは、硬直した縦割り行政意識、なわばり意識を超えるシステムである。

 1999年の12月という年も押し詰まったときに出た本である。それ以前に何冊か哲学の本は出していたが、学界から注目されることもなく、また売れ行きも芳しくなかった。そこで、「哲学」というタイトルはつけたが、哲学の研究者を読者としては想定することをやめた。

当時、哲学分野で「環境」をテーマに研究し、論文を発表している人びとはいたが、その多くは、環境について書かれた論文をデータとして、その論評をするというスタンスを取っていた。具体的に言えば、アメリカの環境倫理で論じられた「自然の権利という概念などについて、日本の研究者は、環境倫理の言説、すわなち、倫理的なボキャブラリーで書かれた文字資料をデータとして研究し、これをさらに日本語の論文という文字データに変換するという作業をしていたからである。

わたしは、わたしの本を環境についての言説として研究対象にする人びとではなく、環境問題そのものに取り組んでいる市民、NPO、そして、行政担当者を読者として想定しつつ、執筆した。わたしの考えていることを実際に環境問題に取り組んでいる人びとに読んでもらい、そこになにか役に立つことがあれば使ってもらいたいと思ったのである。

この転換は、わたしの人生の方向転換を賭けた決断であった。哲学の世界で評価されることを放棄するという複雑な心境のなかでの決断、哲学の世界で評価されたいという願望を絶つ決断であった。

年が明けたとき、テレビで徳島県の吉野川第十堰問題で、住民投票が行われるというニュースが流れた。

人生を賭けた本の出版ができたという安堵の気持ちもあった。投票が行われるのは、2000年の1月23日だという。〇一二三という覚えやすい数字のこともあり、なにか気になることもあったので、意を決して、徳島にでかけた。第十堰に立つこと、そして、住民投票がおこなわれる会場の様子を見ることを目的に、当日新幹線に乗ったのである。

徳島駅に到着後、タクシーで第十堰にまで行き、吉野川の堤防を登った。堤防の上から見ると、第十堰は、吉野川を横切るように置かれた石の堰であった。江戸時代に築かれた農業用の取水堰である。堤防から下り、流れに気をつけながら、石を辿る。それは、阿波の青石といわれる変成岩で、四国を縦断する大断層帯である中央構造線ゆかりの岩石であった。青石を並べた堰と吉野川の水の流れがつくる風景は、長く地域の人びとが大切にしてきた重要なインフラであることを感じさせた。

その由緒ある石堰を廃棄して新しい取水堰に変えようという行政の計画に対して、反対する市民活動の結果行われることになった投票である。住民投票で公共事業の是非を決めようという、聞いたことのないイベントであった。

徳島市内に戻り、昼食をとったあと、午後1時すぎに投票所の一つに向かい、様子を見た。投票所は閑散としており、投票する市民はぽつり、ぽつりと見えるだけであった。せっかくの機会なので、徳島城を見学して、午後4時ころ再び投票所に行ってみたが、やはり人影は少なかった。投票権をもつ徳島市民の半数が投票しなければ、投票箱は空けずに廃棄するということである。きっと開票は行われないだろうと思い、徳島を後にした。

神戸のまちをしばらくぶらぶらしたあと、新幹線に乗ったときには、すでに九時を過ぎていた。どのくらい経ったろうか、新幹線の電光板にニュースのテロップが流れた。吉野川第十堰の投票数が半数に達したという。「これはとんでもないことが起きた」と思った。住民の投票が公共事業の行方を左右したのである。結局、第十堰は保存されることになった。

「とんでもないこと」はもう一つあった。帰宅したときに、建設省から連絡が来ていた。大臣官房広報担当官の藤田さんという人から、一年後の省庁再編に向けて、政策提言をしてほしいという依頼であった。『環境の哲学』を読んだ、その内容をもとに意見を述べてほしいということであった。

政策提言は、旧建設省の公報誌『建設月報』の4月号に鼎談記事、9月号に提言の文章を依頼された(建設省『建設月報2000年9月号、特集:平成13年度国土交通省関係予算概算要求))。ここにも「合意形成」がキーワードになっている。しかし、このように書いたときには、わたし自身が公共事業の当事者になるなどとは、さらに、「合意形成」に直接かかわることになるなどとは夢にも思っていなかった。

提言 公共事業の転換と霞堤の思想

武田信玄による治水の偉業を伝えるものに、山梨県竜王町の信玄堤公園がある。堤の上に立って、足もとを流れる釜無川(富士川)から対岸の山々に目を移すと、麓にはっきりと扇状地が見える。信玄は、その扇状地を流れ下る暴れ川、御勅使川を高岩という岩壁にぶつけるかたちで釜無川に合流させ、その下流に堅固な堤防を築いた。

私は空間に刻み込まれ、蓄積された歴史を「空間の履歴」と呼んでいるが、信玄堤は、釜無川の改修事業を空間の履歴としていまに伝える風景である。

信玄堤は霞堤方式といわれている。霞堤は、霞が幾重にもたなびくように、不連続になっていて、堤防の下端は川に向けて口が開けてあり、洪水時にはここから流水の一部が霞堤内に逆流し、洪水後には氾濫水がすみやかに排出される。とくに急流河川で合理的な築堤方式として、長く日本全土で造られ、名残りの風景もいくつかの地方に残されている。

しかし、近代的国土行政は、氾濫を許容しない態度に転換して国土の再編を行った。自然の猛威を敵とみなし、高度化した土木技術によって洪水を力づくで押さえ込もうとしたのである。そのために、不連続堤の多くは連続堤へと改修された。

河川領域とその外側の空間とを明確に線引きすることで、不連続堤よってひきおこされる氾濫を完全になくし、土地の効率的な利用をめざそうとするのが「霞堤締め切り」である。このことばには、効率性と直結した空間をコンセプトによって空間をハードにゾーニングするという近代的思想が表現されている。霞堤締め切りは、自然の力をやわらかく受容しようとした日本の伝統的な思想を否定するだけでなく、その伝統的思想を伝える空間の履歴を抹消する事業でもあった。

だが、最近、霞堤を締め切らずに、それを継承しようという事業が宮崎県の北川で実施されたことは、従来の公共事業の発想を転換する画期的な出来事である。

北川は、一九九七年の洪水で「河川激甚災害対策特別事業」の指定を受け、改修事業を進めているが、霞堤を継続するという明確な意思のもとに、事業が行われているのである。この事業は、新しい河川法の理念のもと、「霞堤方式の踏襲」のほかに、「地域や自然環境への配慮」、「樹木への配慮」、また「環境に配慮した施行とモニタリング」といった点を主な整備方針としており、専門家や地域住民の意見をできるだけ反映するための努力も払われている。

霞堤を締め切らず、継承しようという北川の事業には、公共事業をめぐって現在議論されているいくつかの重要なポイントが含まれている。

北川の「川づくり」のために開催された検討委員会の議事録には、北川の災害史を編纂するにも、「北川がどんなにすばらしい川であるか」を語ってはしいという意見がある。「川のすばらしさ」から事業を展開するという視点が、「洪水の恐ろしさ」から出発するこれまでの発想を転換するもののように思う。そこには、豊かな国土を創造的に継承することが公共事業の役割であるという認識がある。

「空間の履歴」という言葉を使っていうと、北川の事業に取り組んだひとびとの熱い思いには、北川の空間とそこに生きてきたひとびとの履歴が一体となっている。そのことがなければ、たとえば、氾濫域の土地所有者と事業者との合意形成といった問題は解決が難しかったであろう。

住民参加による合意形成という課題は、たんに河川の景観や自然環境について意見を求めるという点だけでなく、洪本時のリスクに対する住民の負担についての合意を含む点でもきわめて重要なものである。なぜなら、このことは、もはや住民参加なしには「公共的な事業」は推進できない時代になったことを示しており、国や地方自治体のものとされてきた「公共的であること」の意味に重大な転換を要求しているからである。

さて、「霞堤締め切り」に象徴されるような「ハードゾーニングの思想」は、公共事業全体についても語ることができる。たとえば、「治水」は「治山」からけっして切り離しては考えられないが、各省庁、あるいは部局の所管する空間の区分によって、川は山から切り離され、また農地とも分離され、また海からも区分されてきた。概念的区分が空間的区分と密着して制度化されたとき、その弊害が「縦割り行政」「なわばり行政」といわれ、日本の豊かな国土空間を変貌させてきたのである。

地方分権や情報公開などによって、行政の構造が根幹から変わりつつあるとき、循環型社会の構築といった理想も語られ、環境への配慮や住民参加といった方向も示されている。北川の事業のように、その一歩はすでに踏み出されてもいる。

たしかに、私たちは、霞堤の教訓から引き出しうるような21世紀にふさわしい高い理念を語りはじめなければならない。しかし、いくらすぐれた理念があり、それを実現する散発的な事業があっても、意思決定を支えるしっかりした制度がなければ、豊かな国土空間は実現しない。

いま省庁再編とともに、行政制度の本質的革新がもとめられている。転換期に当たって、ちょうど豹の毛が抜け変わるように自己変革することを「君子は豹変する」といい、世の中の変化に合わせて顔つきだけを変えるのを「小人は革面する」という。新行政制度が発足するときには、制度の根幹も、そして新しい制度のなかで仕事をする人々の心構えも「豹変」するように、そして、「顔つきだけを変えた」といわれないように、豊かな国土空間を創造的に継承する行政システムの実現を期待したい。

『環境の哲学 -日本の思想を現代に活かす』『建設月報』がわたし自身の「合意形成」のスタートである。その後、国交省、農水省、環境省などの国土整備にかかわる官庁や地方自治体から呼ばれて、多くの経験を積んだ。その実務は、公共事業をめぐる対立・紛争を解決するという合意形成の仕事であった。

以上のような経緯であるから、「合意形成の哲学」を論じるには、わたし自身の経験のなかで思索したことを振り返りつつ、その思索を理論化するという手順を踏むのがよいと思う。そこで、この連載のタイトルを「合意形成を哲学する」とすることにしよう。


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