宙地の間

地球環境時代のモデル建築

渡辺菊眞

   

Ⅲ グロカール(地球-地域)建築をめざして 建築作品とプロジェクト

[1]  「太陽系の惑星地球」を体感する

   「宙地の間」と「ゲンダイタテアナ」

[2]  地域を生き抜く民家に「改増」する

   「角館の町家」と「博士の家 Plat-home」

[3]  地域に「地球の感受」を定位する

   「産泥神社」と「金峯神社」

[4]  建築構法の編成で地球-地域環境に適応する

   「南シューナ地区コミュニティセンター」と「天翔ける方舟」

[5]  地域と地球がひとつになる

   「風景の庭」と「葡萄棚パッシブハウス」

[4]  建築構法の編成で地球-地域環境に適応する

 「南シューナ地区コミュニティセンター」と「天翔ける方舟」

  建築構法は建築を組み上げる「モノの構成」である。現代の日本住宅だと「木造在来構法」が一般的であり、築100年を超えるような古民家は「伝統構法」といった金具等を使用せずに仕口で結合する作り方となる。建築構法の編成は既存の構法を幾つか組み合わせることである。構法の編成が喫緊の問題になったことに私は2度も出くわした。海外途上国での建築プロジェクトである。途上国だからといって常に構法編成が喫緊になるわけではない。のっぴきならない地域環境の変化が喫緊化させるのである。どんな地域でも主要な建築構法がある。地域環境が安定している限りは建築構法も安定している。安定が崩れると建築構法も従来のままではいられない。これまでの構法と新しい構法含めて幾つかの構法を編成することが必要となる。建築構法の編成で激変した地域環境に適応するわけである。では、地球環境についてはどうか。地域環境の激変は地域の事情だけで決まるわけではない。地球全体の「力学」が地域に押し寄せてきて激変する。その意味で地域環境は地球環境の結果でもある。私が取り組んだ途上国のプロジェクトは貧困緩和自立支援が目的であった。こういったプロジェクトでは予算が限られている。厳しい温熱環境をやわらげるために機械設備でなくパッシブシステムの導入で対応することが多い。同地の太陽や風と向き合って環境適応する。遮熱、断熱、蓄熱などの物性を考慮した構法編成が必要となる。構法編成は地球環境への適応も担う。

 「南シューナ地区コミュニティセンター」のたつ国、ヨルダンでは石造建築を主要構法とする。第二次世界大戦後の高度経済成長期を経て首都アンマンはじめ地方都市や田舎の農村にいたるまで石造建築は一気に消滅した。それに変わって国土を埋め尽くすのが鉄筋コンクリート造建築である。2000年間を超えて建築を支えてきた構法が50年で一気に変わったわけである。鉄筋コンクリートがまずいのではなく無断熱の鉄筋コンクリートが問題なのだ。石造建築がこの地から消失していいのかという問題もある。暑さ1m近くに及ぶ石の壁を持つ石造建築は断熱と蓄熱を兼ね備える優れた環境適応建築構法である。文化的価値を含めてこれを絶滅させてはいけない。石造とコンクリートが共存できる構法を考案することとなった。「天翔ける方舟」はタイのミャンマー国境近くにたつ孤児院兼学校の学舎である。この地の伝統構法は木造高床である。蒸暑地域であり国土の多くを山地が占める同地の構法として極めて適切である。しかし多くの山林が切り払われて輸出用の天然ゴム林に塗り変わった。これを見かねた行政は木の伐採禁止令を出した。高床建築が適正な地域なのに木を使ってはダメ。ではどうするのか。必死で構法の編成を考えることとなった。


[南シューナ地区コミュニティセンター]

 ヨルダンの首都アンマンは北緯31.5度に位置する。四季があり冬に降雪もある。計画地の南シューナ地区は死海のほとりに立地する。特筆すべきはその標高であり実にマイナス300mである。海面よりも山ひとつ分低いのである。ツボ底のような場所で当然酷暑である。乾燥した痩せた土地が広がっていて農作物もまともには育ちにくい。こんな悪条件もあって政府は南シューナを貧困地域に指定している。
 2006年に同地で必死に活動する女性団体NGO「アル・ジャワスレ」の活動拠点と地域のコミュニティセンターを兼ねる施設の設計をしてもらいたいという依頼が私のもとに来た。京都の国際NGO NICCOからの依頼である。同地の貧困緩和自立支援が目的である。劣悪な環境をやわらげるために同地の建築文化をうまく活かした「環境建築」をつくって欲しいという条件もあった。同地の建築は石造建築であり、分厚い石の壁と屋根は断熱と蓄熱(冷)を兼ね備えていて当地の酷暑に対応できる構法である。この構法の採用は必須であった。しかし、これを採用するという当たり前のことが難問だった。21世紀になってヨルダンの石造建築は一気に廃れて、どんどん姿を消していたのである。既存建築の石造建築はあることにはある。ただし、新たに石造建築が立つことは本当にレアである。たったとしても石造をウリにする公共建築などであって「石造ルネサンス」なノリだ。石造の宮大工化が進んでいるのである。2007年にヨルダンにはじめて派遣された私のミッションは現存する石造住宅の視察と石造住宅を作ることができる市井の石工さん探しであった。ヨルダンは小さな国土であり、ほぼ国土全体にわたって地方都市や農村を視察することができた。驚愕の結果であった。地方農村で石造建築をたくさん見た。すべて廃墟であった。壁が崩れて石造アーチだけが並列している光景も見慣れてしまうぐらいである。廃墟ではない時、そこに住んでいたのはヤギや牛であった。住居は家畜小屋に転じていたのだ。そんななか出会えた現役の石造住宅はたった1件であった。中に入れてもらい重厚な落ち着きと安定した温熱環境に改めて感動した。「もっと明るければ言うことないんだけど」、家主の言葉が印象的だった。最初の視察では石工さんは発見できず。石工さんがいないとプロジェクトも中止である。やきもきする時間だけが過ぎた。「無理なのか」と半ば諦めはじめた時に「石工さんがいました!」とNICCOからの連絡。2008年が明けた時である。

設計の概要

 ヨルダン王国の死海のほとり、バルカ県南シューナ地区に立地するコミュニティセンターである。同地は国の貧困指定地区であり、本施設は女性たちが運営するNGO「アル・ジャワスレ」の活動拠点である。彼女たちは脱貧困と自立を目指して活動を続けている。施設は同地のコミュニティセンターとして、識字教室や集会所の役割も担う。
 ヨルダンの伝統建築構法は石造であり、厚さ1m近くに及ぶ石壁によって断熱性と蓄熱性を獲得して過酷な暑さを緩和させてきた。しかし、近年の高度経済成長に伴い石造建築はどんどん廃墟化し、それに代わる構法として鉄筋コンクリート造の建築が雨後の筍のごとく林立する。これら新建築は酷暑の環境にも関わらず断熱を施さないものがほとんどであり劣悪な温熱環境を空調設備で無理矢理しのいでいる。環境負荷を顧みないこの状況は大きな問題である。
 同施設の建設にあたって当初は石造建築を主構造にして伝統構法を継承すること、自力建設が可能な組積造として土嚢建築を導入すること、この二つが望まれていた。後者は失業者の多い当地住民に雇用の機会を与える措置である。本計画では、このことに加えて同地で盛んに建設されている鉄筋コンクリート造を敢えて導入することで石造建築と鉄筋コンクリート造の混構造の可能性を示すことにした。鉄筋コンクリート造の導入により大きな開口部とそれに伴う自然採光を実現すること、断熱を施すことにより同構法の環境性能向上をはかること、同構法の適正な導入と伝統構法の継承、この両立を果たすモデルとなること、これらを目指した。石造建築の施工は同地では極めて少数となってしまった石工に担ってもらうとともに、土嚢建築部分は地域住民による自力建設とした。鉄筋コンクリート造は現地施工会社が担い、三者三様の施工法を統合した。
 本計画には異種構法の編成にもとづくパッシブシステムを導入している。夏季は、庇による日射遮蔽と、夜間通風による石造+鉄筋コンクリート+土嚢の3種の躯体を蓄冷体とする自然冷房を、冬季は鉄筋コンクリート造による南面大開口から取得する日射を3種躯体に蓄熱する太陽暖房を導入している。(Fig Ⅲ-[4]-1,2)

Fig Ⅲ-[4]-1 南シューナ地区コミュニティセンターの外観と内観

Fig Ⅲ-[4]-2 南シューナ地区コミュニティセンターの配置図と平面図

環境への適応

文化環境への適応:フィールドの読解と設計


フィールドの現況読解
 ヨルダンにおける石造建築はモスクや城跡といったモニュメントをはじめ、小さな民家や家畜小屋にまでおよぶ。しかし、20世紀末の高度経済成長期において首都アンマンなどの中核都市では石造建築は鉄骨フレームの高層ビルや鉄筋コンクリート造の建築に急速に置換される。アンマンのダウンタウンでは斜面地の全てを覆い尽くすほどの建築が立地するが、その全てが鉄筋コンクリート造のボックス型ビルである。これらの建築の片隅に石造建築の残骸が垣間見られるといった状況である。(Fig Ⅲ-[4]-3)
 この状況は、都市部だけでなくヨルダン全土におよび農村地域でも石造建築は廃墟と化す。廃墟としない場合は家畜小屋として使用している。石造民家に変わって建設されるのは鉄筋コンクリート造の箱型住宅である。かつてヨルダンの建築つくりを担ってきた石工は仕事の大半を奪われてしまい、仕事があったとしても敷地を区画する石壁、あるいは敷地片隅の家畜小屋など、仕事は局限されている。
 ヨルダンは北緯30度前後に位置し夏は暑く冬は雪が舞うこともある。しかし、死海は標高海抜マイナス300mでありこの周辺は酷暑である。南シューナ地区は死海のほとりである。酷暑で人工的な灌漑設備がない限りは農業を営むこともできない。当地では、草木もほとんどない乾いた土地に、幾つかの住居が散在している。各住居は敷地をブロック塀で覆い、その内側にコンクリート造のボックス型住居建築が建つ。高いブロック塀で包囲されるため中の様子はほぼうかがい知ることができない。

Fig Ⅲ-[4]-3 ヨルダン首都アンマン下町の鉄筋コンクリート建築群(2007年撮影)


フィールドに見る建築構法の読解
 ヨルダンの石造建築では矩形平面外壁の内側にアーチを架け渡して下部構造を形成する。外壁は外側に大型の乱石を積み上げ、その内側には礫入りモルタルが充填される。石造壁型枠の礫入りモルタル造とでも言える形式である。上部構造は農家の場合は丸太を架けて下地とし、泥左官を施して陸屋根とするのが一般的である。(Fig Ⅲ-[4]-4) ただし、屋根を石造ヴォールトあるいはクロスヴォールトにするものも見られる。城郭の遺跡などは、後者が多い。21世紀になり石造建築の民家は急速に廃れ、ヨルダン全土で廃墟と化した石造民家が散在している。それに伴い石工も激減している。第二次世界大戦後の高度経済成長期以降、当地で大々的に採用されている構法は鉄筋コンクリート造である。鉄筋コンクリート造ボックス型建築が現在当地で見られる基本形式である。ラーメン構造あるいは壁式構造で形成されている。

Fig Ⅲ-[4]-4 ヨルダンの石造農家の平面図

設計


構法の編成にもとづく設計


 当地で絶滅の危機に瀕している伝統構法を継承するため、主体構造を石造とする。石造建築の架構としては、矩形平面外壁の内部にアーチを架け渡す形式を採用する。当地で最も一般的な形式である。
 一方で、屋根および南面外壁の一部に鉄筋コンクリート造を採用する。屋根形状はヴォールトとクロスヴォールトとする。過大な重量となる石造屋根、耐久性に難のある木造下地泥漆喰屋根を廃して屋根重量の軽減とともに耐久性の向上をはかる。屋根形状については石造屋根形状と同様なものを鉄筋コンクリート造で形成可能なことを提示する。鉄筋コンクリート造を導入することで南面外壁に大きな開口を実現する。
 次いで石造壁と鉄筋コンクリート造屋根の構造的一体化を図る。当地の石造壁は内側が礫入りモルタルである。ここに上部構造である鉄筋コンクリートの鉄筋を必要定着長さを確保して挿入する。これにより石造と鉄筋コンクリート造の混成構造を実現する。
 建築専門家によらない組積造として、土嚢建築構法を導入する。最も基本的な持ち送りドームを建設する。貧困指定地区である当地の失業者が土嚢建築の施工を担い、その経験がのちの雇用機会につながることを期待している。(Fig Ⅲ-[4]-5)

Fig Ⅲ-[4]-5 南シューナ地区コミュニティセンターに導入した構法:石造(左),鉄筋コンクリート造(中),土嚢造(右)

空間と機能の設計

 この建築に要求された機能は、「集会室(識字教室を兼ねる)」、「小モスク」、「工房(厨房)」の3つである。平面計画として矩形の集会室棟と工房棟をL型に連結し、その交差部に小モスクを配置する。またL型平面の内側には土嚢ドームを配置し、両ウィングの連結部とする。ここは工房で製作した工芸品や菓子の販売スペースとする。
 断面計画で特筆すべきは集会室棟である。南側石造外壁を1500㎜の高さで止めて、その上部は高さ3500㎜に達する大開口を設ける。北側外壁は2750㎜までが石造壁であり、その上端にコンクリート臥梁を設け半ヴォールトから陸屋根へと変転する鉄筋コンクリート屋根をかける。陸屋根はコンクリート壁柱で支え、壁柱間に南面開口部を形成する。この断面計画により下部は当地に典型的な石造建築が、南側上部には現代構法である鉄筋コンクリート造にて大開口が実現でき、ふんだんに光を取りこむことができる集会室となる。
 計画地における住居は、敷地四周にブロック塀をまわして、その中にコンクリート造ボックス型住居を格納する。計画建築は集会機能を主とする公共のコミュニティセンターである。この建築があることが当地の風景となり、その風景が当地に欠落している特質に気づきを与えるとともに、ヨルダン全体の問題への解決につながることが必要だと考えた。ヨルダン全体の問題の一つ目は、石造建築の消失である。石工も激減しており、石造という伝統構法の死滅に拍車をかけている。問題の二つ目は、石造に替わって大々的に採用されている鉄筋コンクリート造の無断熱ボックス型住宅である。無断熱の鉄筋コンクリート造は劣悪な室内環境を引き起こす。しかし、鉄筋コンクリート造建築への大々的な移行は現在におけるヨルダン国民の総意に近い。無断熱鉄筋コンクリート造という問題は解消しつつも、鉄筋コンクリート造採用の利点を改めて示す必要がある。そこで石造建築と鉄筋コンクリート造の混成が最もよくわかる建築南壁面を敷地境界線にした。このことにより、現在ほぼ見ることがなくなった石造建築を下部構造とし、上部に大きな開口を設けた鉄筋コンクリート造が混成された新しい建築形式が風景として大々的に公開される。鉄筋コンクリート造が可能にする大開口は当地のボックス型の鉄筋コンクリート造建築にはあまり見られないものである。鉄筋コンンクリート造による新しい空間形成手法が示されるとともに、それを支える下部石造建築との混成空間が風景化される。当地のこれからを担いうる建築構法の在り方が日常風景の中で実感できる。

自然環境への適応 パッシブシステムの導入


 石造建築の外壁厚さは600㎜〜1000㎜におよぶ。この壁厚により、断熱性が獲得できる。主に屋根部を担う鉄筋コンクリート造はその厚みが200㎜であり断熱性能が欠落する。鉄筋コンクリート造屋根にはフェノール系断熱材を躯体外側に150㎜葺くことで断熱性を高める。土嚢ドームは壁厚400㎜であり断熱性を備える。南側開口部はシングルガラスではあるものの距離1000㎜を隔ててダブルスキンにすることで断熱性能の向上をはかっている。石造壁、鉄筋コンクリートの屋根、土嚢壁はともに優れた蓄熱材でもある。
 夏季の日射遮蔽としては南側開口部の上部に庇を設けて夏至時の日射が屋内に侵入しないようにしている。この開口部以外は全て小窓にし遮熱性能の損失がないよう配慮している。通風は比較的気温が下がる夜間に行う。土嚢ドーム上部において放射状に塩ビパイプの通風口を設置して石壁壁下部に設けた小窓から流入した空気をここから排出する。この通風により石造壁、鉄筋コンクリート躯体、土嚢ドーム壁に蓄冷し、躯体蓄冷自然冷房を行う。
 冬季は南面大開口からの日射によって集熱する。これを石壁、土間床にて蓄熱する。ここからの放熱により太陽暖房を施す。(Fig Ⅲ-[4]-6)

Fig Ⅲ-[4]-6 南シューナ地区コミュニティセンターにみる夏季日射遮蔽と冬季の日射取得

地球感受の空間


 集会室機能を担う南正面ウィングを「地球感受の空間」とした。ここの下部構造は四周を石造壁で囲まれ内部を石造アーチがつなぐ。これは当地の石造建築に見る基本的な空間構成であるとともに、石という自然素材が積み上げられた姿からは大地の延長を体感できる。
 南側の鉄筋コンクリート造高窓からは空の広がりをのぞむことができる。南側の石壁は1500㎜と低く、その上部の3500㎜高さの高窓が大きな空への開けを可能にする。
 大地の延長である石造建築の南に陽光きらめく大きな空が鉄筋コンクリート造によって導かれる。異種構法編成の中核をなす空間が「地球感受の空間」となる。この空間は集会機能を有するので地域住民に最も関わりの深い空間でもある。その空間に身をおき、地域の伝統的構法と現代構法の混成がもたらす新しい空間のあり方を体感するとともに、自身が地球の上にあることも感受できる。(Fig Ⅲ-[4]-7)

Fig Ⅲ-[4]-7 「地球感受の空間」としての集会室 石造土間床の空間と空がむすばれる

[天翔ける方舟]


 2011年。私は高知新聞の週間連載「この場所、この地球、あの建築」を執筆していた。
私が体験した海外建築プロジェクトの模様や高知で見つけた印象深い建築や風景などを紹介するエッセイである。この年にタイ国境に立地する「虹の学校」の学舎を建てて欲しいとの依頼がきた。「虹の学校」代表の玉城秀大さんが新聞記事を見て「この人だ!」と感じ、すぐに依頼に踏み切ったとのことであった。玉城さんは高知市のお寺の住職であり、地域地球のよりよい未来のためにさまざまなことを思考し実践する活動家でもある。「虹の学校」はタイ国境にたつ孤児院兼学校である。国境関係なく山で暮らす山岳少数民族が多種暮らす地域である。その一方で国境ゆえの不安定な地域でもあり貧困で孤児や育児放棄されてしまう子供達が多くいる。そんな状況のなか、子供達が将来自立していけるような場として「虹の学校」が開校された。

 学校なので校舎が欲しい。子供達が夢を膨らませる場としての校舎、心のよりどころとなる場としての校舎、それが求められた。この地の緯度は北緯15度。赤道からそんな遠くもない熱帯地域である。ここの伝統的な住居は木造高床である。大きな屋根で日射を防ぎ、竹を編んだ壁で通風を良くして地面からの湿気は高床でしのぐ。ここでの建築は基本的に木造高床がよい。しかし玉城さんからは「土嚢建築でお願いします」という要望だった。なぜ土嚢建築なのか。同地は山林が豊かな土地である。しかしこの山林から原生林はどんどんなくなって天然ゴム林に置き換わってしまった。バンコクの資本家が山を買い占めて天然ゴムを輸出するためである。木造の材料たる木がとてもレアなものに変わってしまう。とうとう政府は木の伐採を禁止してしまった。製材は市場に出回るがなんと日本よりも高額であり手が出ない。校舎で木造は無理になってしまった。だから土嚢なのだ。土嚢建築をみんなでつくる効用や胎内回帰的な空間の可能性を玉城さんは見出していた。しかし、土嚢建築という閉鎖的な組積造空間と開放を旨とする高床空間は対極である。土嚢建築のみは「ありえない」という直感があった。まずは現地で実態を見るしかない。その上で土嚢建築は可能か、高床的なことをどうにか組み合わせられないかも考えたい。こんな状況で2012年に現地視察を行った。

概要

「天翔ける方舟」は、タイとミャンマーの国境のまち、カンチャナブリ県サンクラブリ近郊のフォアイマライ村に立地する「虹の学校」の学舎である。「虹の学校」は政府公認の児童教育施設であり実質は孤児院と学校を兼ねる。同地はタイの首都バンコクのおよそ300km西北に位置している。ここは国境近くであるため山岳地帯に住む少数民族が多く居住し、それとともに貧困の理由から育児放棄された児童や孤児なども数多く存在している。「虹の学校」はそんな児童に対して、居住の場と教育の機会を提供する施設であり、同地の貧困緩和と自立支援をめざしている。

児童たちはここで暮らしながら学ぶ。「天翔ける方舟」はその学舎であるとともに、この施設全体のシンボルを担う。児童の多くが孤児、あるいは家庭の事情から育児放棄されており、それぞれが心に深い傷を負っている。このことから、この学舎が彼らの心のよりどころであることが望まれた。心のよりどころとして彼らの傷を癒しうる空間性を備えること、未来に向けて大きな夢を育むことができる場所であることがめざされた。

新しく学舎を建てるにあたり、子どもたちはめいめいに夢の学舎を描き出した。その中には、「空飛ぶ船のようであってほしい」という願いがあり、施設運営側もそれをのぞんでいた。そこで船を思わせる大屋根の開放的空間を宙に浮かべ、それを3基の土嚢ドームが下部で支える断面構成とした。土嚢ドームは上部構造を支える高基礎でもある。上部構造は(足場用)単管と竹を組み合わせ、屋根は草葺とした。同地の伝統的民家は木造高床であり建築構法としてはこの採用が最も自然なものであったが、昨今の大規模な森林伐採と天然ゴム林への転用のため、建材としての木材は極めて乏しく条例によって木の伐採が禁止されていた。土嚢ドームや(足場用)単管造の採用はそれが主たる原因である。これら代替構法を主構造として、現地の竹、草葺をサブ構造として組み込んだ。1階の3基の土嚢ドームは、エントランス付きの祈りの空間と教室とし、上部高床空間はスキップフロアとして上部を祈りの空間、下部を教室とした。
 
学舎完成後、同地では唯一無二の形態を有すること、子供たちの夢であった空飛ぶ船を象っていることもあり、タイ国内はおろか国外からの見学者も多く、子供たちの誇りとなるとともに、心の拠り所になっている。なお、当地は日中40℃近くまで外気温が上がるにもかかわらず、夜間は15℃まで下降する。この昼夜の寒暖の差を活かしたパッシブクーリングを学舎に導入している。(Fig Ⅲ-[4]-8〜10)

Fig Ⅲ-[4]-8 天翔ける方舟の外観全景

Fig Ⅲ-[4]-9 天翔ける方舟の内観 (上)単管構造草葺屋根の高床部 (下)土嚢ドーム(地の教室)の内観

Fig Ⅲ-[4]-10 天翔ける方舟の平面図

環境への適応

文化環境への適応:フィールドの読解と設計


フィールドの現況読解

 タイは国土の多くが山林である。建築も木造が主体であり、木材がふんだんにある環境である。しかし、20世紀後半から原生林に覆われていた山林は輸出用の天然ゴム林へと姿を変えていき、その変容は現在も続いている。バンコクなどに住まう資本家が田舎の山林を買い占め、天然ゴム林に置換する。この現象により建築資材を供給しうる山林も激減してしまった。これを受けて政府は条例にて各自が所有する土地以外からの木の伐採禁止を定めた。市販の材木の値段は高騰し、実に日本以上の価格である。
 「天翔ける方舟」の計画地はミャンマーとの国境で相当の僻地である。しかし、バンコクがメガポリスと化した現在において、当地でもスマートフォンはじめ文明の利器は普及し、カンチャナブリ県近郊のホームセンターでは単管やコンクリートブロックなどの工業製品が簡単に入手できる状況である。このため定期的なメンテナンスが必要な草葺屋根はその多くがトタン屋根に姿を変え、村の中にコンクリートブロック造の建築なども建ち始めている。しかし、トタン屋根がそのまま日射を浴びた場合、その内部の温度は外気温を超えて上昇し、劣悪な室内環境になってしまう。木は伐採禁止であるが生育サイクルが短い竹は、政府に申し出れば無償で伐採することができる。

フィールドに見る建築構法の読解 (Fig Ⅲ-[4]-11)

 当地の伝統的家屋の建築構法は木造軸組構法である。高温多湿の熱帯地域であるため東南アジア全般によく見られる木造高床造が採用される。主階は1層分近く持ち上げられ地上階はピロティになることが多い。ピロティは物置等に使用される。主構造を木造として竹材で編まれた通気性あるマットをくくりつけて壁とする。屋根の多くは草マットの重ね葺となる。草マットは当地の村落にて手作業で製作されている。これは使用する草によって幾つかの種類がある。床材は竹を1/8程度に割った竹床を大引きとなる横架材に蔓草か竹を細く削いでつくった竹紐で結わいつけられる。主階の高床部は屋内ワンルームを主空間とし、その手前に半屋外のテラスが付属する。ここは昼寝や談笑のくつろぎスペースとなる。
 次に、当地の現在に見られる建築構法・工法についてである。コンクリートブロック造による住宅や倉庫が増加傾向にある。近隣の村落でも木造や竹造の住居に混ざってコンクリートブロック造の住居が建つ。また維持補修のための手がかかる草葺マットの屋根はその数を大きく減らし、トタン屋根の家屋がかなりの勢いで増加を続けている。

Fig Ⅲ-[4]-11 当地の住居 (左)木造高床住居 (右)コンクリートブロック造住居 

設計

 本計画では、主たる空間を当地で馴染みの深い高床空間として計画した。ただし木材は極めて高価であり入手が困難であるため単菅で代替している。単菅で軸組を形成し、竹材、竹編み壁材、草葺マットで被覆する。単管で直角二等辺三角形を短辺断面とする構造を形成する。床は単管に竹の丸材を蔓草で結びつけて根太とし、ここにさらに竹を縦割きした床材を蔓草にて結びつける。壁は必要に応じて竹丸材を単管垂直材に結わえ付け、ここに竹床材を結びつけた。屋根は単管による登り梁に草葺マットを結わえつけた。これら高床部が建築の上部構造を担う。
 次に下部構造である。ここでは当地で散見されるコンクリートブロック造から着想を得た。ただしコンクリートブロック造は施工に専門性が要る。そこで、同じ組積造である土嚢建築構法 を導入した。これは現地の土に10%ほどのセメントを混ぜて土嚢に詰めてブロックとして使用する構法である。この構法は適切な訓練を1週間ほど積めば、建築素人でも習得可能というメリットがある。土嚢建築は発展途上国の貧困緩和自立支援活動に、しばしば活用されるが、その大きな理由がこれである 。事実、この構法を初めて見る現地の農家住民は3日程度でこの構法をマスターした。
 本計画は高床部に必然的に生まれるピロティ部を土嚢建築で囲い込む。土嚢建築を高基礎にして上部の高床構造部を支える。土嚢ドームは持ち送り式のドームであり厳密にはリング構造でありリング同士は有刺鉄線で緊結する。土嚢ドームにおいては上下の土嚢リングに木材や鉄などの線形材を挟み込むことができる。ここでは単管横架材を土嚢リング間に差し込み単管垂直材をクランプにてジョイントできるようにした。上部構造の荷重が土嚢だけで受けきれない箇所は単管柱を地面まで落として単管で支えられるよう留意した。 (Fig Ⅲ-[4]-12)
 下部は土嚢建築で埋めてしまうことはせずに、3つの土嚢ドームを分散配置することで土嚢ドームと上部高床に囲まれた半屋外空間を形成した。半屋外テラスは、当地住民のコミュニティスペース、休憩スペースを兼ねる重要な空間である。ここでは、そのスペースを地上階に設けることで、アクセス性を向上させて誰もが気軽に憩えるスペースになるようにした。

Fig Ⅲ-[4]-12 天翔ける方舟の構法編成:断面詳細図


自然環境への適応 パッシブシステムの導入


①日射遮蔽と断熱
 「天翔ける方舟」は学舎である。ここは朝日が昇る直前から夕暮れ後まで使用する。ただし学舎が使用される時間のほとんどは日中である。2014年の計測 によると、当地の外気温は最低17℃、最高37℃であり、昼夜の寒暖差が大きい。外気温が高く日射の強い日中は日射遮蔽が重要となる。草葺の大屋根は下部構造の土嚢ドームを覆い切るサイズとした。草葺は草葺マットを敷き詰めたものである。これを通常の家屋で使う密度の2倍にして断熱性能を向上させた。土嚢ドームは高い断熱性を有する。土嚢ブロックは厚みが約350㎜であるが、土嚢間にできる目地に土とセメント、草葺マットから得られる植物繊維を混ぜ込んだものを泥左官として埋め込み、外表面を平滑にしたうえで、さらに厚み2㎝程度の泥左官を施した。これにより厚さ約400㎜の断熱壁を構築した。
②夜間通風と蓄冷
 3つの土嚢ドームは、ともに、入口に気密性ある建具を設けていない。入口の上部と下部に大きな空きがある。全ての土嚢ドーム頂部には円形の通風口がある。これにより土嚢ドーム全体にわたる通風経路が確保され、気温が下がる夜間において全時間通風を施すことができる。壁厚400㎜ある土嚢壁は断熱壁であるともに熱容量が極めて大きい蓄冷体でもある。この特性を活かして土嚢ドームを夜間の通風によって蓄冷する。
③土嚢ドームによる躯体蓄冷自然冷房
 21時の外気温は25℃、ここから翌朝7時まで気温は下がり続けて17℃近くとなる。こののち外気温は上昇し15時で37℃のピークに達する。この外気温変化に対して、土嚢ドーム内の室温は以下のように変化する。21時に27℃(外気温25℃)、ここから室温は下降し、翌朝7時で20℃(外気温17℃)、15時で30℃(外気温37℃)となる。要するに外気温が17℃から37℃まで上下するのに対して、土嚢ドーム室温は20℃から30℃までしか変化しない。熱中症の指標として活用されるWBGTを確認すると、土嚢ドームでは、ほぼ全ての時間で熱中症を回避できる。躯体蓄冷自然冷房が十全に機能している。日中、土嚢ドームに囲まれたピロティ空間に子供達が集うことが多い。これは、土嚢ドーム入り口下部から冷涼な空気が流出してくることで、快適な日影空間が形成されているためである。一方、上部高床部は完全な開空間であり、室温は外気温と同じである。ここでは土嚢ドームによる蓄冷効果は土嚢ドームの直上程度に限られてしまっている。ただし、高床を覆う草葺き大屋根が土嚢ドーム外側への日光直射を防ぎ日中における土嚢ドームの蓄冷の保持に役立っている。(Fig Ⅲ-[4]-13,14)

Fig Ⅲ-[4]-13 外気温と土嚢ドーム(夜の祈りの間)の室温(左)と土嚢ドームのWBGT(右)
引用出典=Kikuma Watanabe and Masaki Tajima『An Example in Thailand: Floating in the Sky School for Orphans』, Tetsu Kubota・Hom Bahadur Rijal, Hiroto Takaguchi editors
『Sustainable Housses and Livig in the Hot-Humid Climates of Asia』Springer, 2018

Fig Ⅲ-[4]-14 天翔ける方舟の土嚢ドームから得られる涼を求めて集う子供たち

地球感受の空間

 日本国内の「宙地の間」「ゲンダイタテアナ」では、空の感受は太陽の巡りと密接に関わるものであった。当地は熱帯地域である。日中は上方からの強烈な日射しによって、外気温は40℃近くまで上昇する。空を見上げて太陽の巡りを感受することは望まれない。強すぎる日射しは忌むべき存在である。四季のある日本の地球感受とは異なる感受が必要となる。大地の感受は土嚢ドーム、空の感受は大屋根で日射から守られている高床空間に担わせた。(Fig Ⅲ-[4]-15,16)
 強すぎる日中の日射しが入らない土嚢ドームの薄暗い閉鎖的空間を洞窟に見立てて、母なる大地に包まれる場所とする。土嚢ドーム内部は古墳の石室のようであり洞窟を彷彿とさせる。洞窟はシェルターの起源であり、母なる大地に包まれた場所、大地に庇護された場所となる。タイでは多くの洞窟内聖地が存在する。強烈な日射から庇護された、大地に包まれた場所への信仰と言える。土嚢ドームにおける大地の感受もこれを意識している。土嚢ドームの頂部には円形開口があき、そこから光が漏れこむ。この光により天が象徴される。ドーム頂部の円形トップライトによる天の感受は古代ローマのパンテオンをはじめ、その例は枚挙に暇がない。ここではドーム頂部に穿たれた円形開口の先に空そのものを見るわけではない。上階に漏れこむ光がぼんやりと土嚢ドーム内部を照らす。土嚢ドームの洞窟性をあくまで主にしつつも大地と天をつなぐ垂直軸を導入する。

Fig Ⅲ-[4]-15 「地球感受の空間」01:「朝の祈りの間」

Fig Ⅲ-[4]-16 「地球感受の空間」02:「夜の祈りの間」の日中内観 樹林の奥の空をのぞむ

 切妻の高床空間は、大屋根で太陽から庇護される場であるとともに切妻妻方向への抜けが水平方向に展開し、樹林や空への広がりが感受される。ここでは45°勾配の切妻大屋根を導入し、平側に伸びる軒は下部の土嚢ドームを覆うように葺きおろしている。平側の開放性は弱めて3角形状の両妻側の開放性を高めている。高床空間は切妻の棟を中心軸にして単菅列柱が伸びるバシリカ式である。ここをスキップフロアとすることで上昇性を加えている。奥上方の妻側が三角の額縁をなして樹林と空への開けを象徴的に感受させる。この学舎に子供たちが希望したイメージは「空飛ぶ舟」であった。ここでは土嚢ドームを発射台にして、大空へ駆け出す方舟のイメージを内部空間に転化している。

 天翔ける方舟では「地球感受の空間」を機能とリンクさせている。垂直軸を備えた洞窟空間、バシリカ式最奥部で空へと水平的に抜けていく方舟空間、前者は「朝の祈りの間」、後者は「夜の祈りの間」である。夜明け前の漆黒の土嚢ドームでお祈りをし、お祈りの時間が終わるころに頂部から漏れる光が徐々に強まる。ここで大地と天が感受される。陽が沈み夜になると高床最奥部でお祈りをする。切妻の額縁に開かれた外部は夜の闇である。この空間の中心には土嚢ドーム(「朝の祈りの間」)へ通じる穴がある。子供達はこの穴を中心にロの字を描いてお祈りをする。「地球の感受」は精神的な価値の問題を含む。ここでは空間の在り方と「祈り」が重なる。(Fig Ⅲ-[4]-17)

Fig Ⅲ-[4]-17 祈りの情景 (上)「夜の祈りの間」 (下)「朝の祈りの間」


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