建築主の責任と建築行政の役割-国民のための建築法を作ろう
神田 順
3 アメリカ政府が日本の法律を変えさせる
そもそも1998年の法改正は、アメリカの業界が日本の建築産業に進出するにあたり、建築基準法が国際的な一般的ルールになっていないことがアメリカ議会で指摘され、「日本の法律を改正させること」が、決議されていたことがきっかけとなっていた。特にアメリカにとって木材の輸出障壁にならないようにという狙いもあって、橋本・クリントン会談で2年以内に改正することが確認され、改正の具体的スケジュールが決まった。
国の役割としては、国内企業が海外進出や輸出によって利益を上げることができるように他の国に圧力をかけることは、昨今では一般的になってきているが、アメリカは特にそのような外交を、以前から展開して来ていると言えるのであろう。それが、国を越えて資本主義市場経済の発展をもたらして今日に至っている。このことを批判しても始まらないが、建築の質の向上が、市場の貨幣経済価値に極度に依存しないように心がけることは大切である。逆に言うと建築の質こそが問題なのに、貨幣価値のみで建築が評価されることにたいして、法律の役割も少なくないということである。建築基準法に適合するだけで建築が生まれ、多くの素材が工業製品からなると、まさに経済的なコストとしての建築の存在になってしまう。建築の質の評価としては、自然素材の意味、地域性の意味を建築の理念として吟味できるものでなければならない。
1998年に法改正されたことが、アメリカの木材輸出を拡大させたかというと、結果的にほとんど影響なかったように思われる。木材の国内自給率の問題もあれば、木材の利用技術の展開もある。法律だけでアメリカの木材が使われるようになるという単純なものでもないということであろう。建築基準法自体は、翻訳すれば外国企業にとっても理解可能なはずではあるが、建築生産における我が国の特殊性は、おそらくは依然としてぬぐえずにあって、設計業界においても、建設業界においても、外国企業の参入はあまり見られないというのが現実である。
もっとも構造規定にあっては、国際的に標準化されることは、構造工学は極めて国際的なものであり、地域性を持つものではないだけに望ましいと考える。国際標準という意味では後退したものになってしまった。その点、同じ性能規定という言葉で1998年の基準法改正で議論されはしたものの、防耐火規定にあっては、消防の社会制度や生活の違いの影響は少なからずあるので、わが国固有の規定という要素もけっこう多く残っている。
1998年時点より、さらに経済活動における大企業、国の役割が大きくなっており、法律で建築を規制することになると、一層、建築の質が評価されにくくなる。専門家の力を市民が頼りにし、専門家の力がその役割を果たすことで、豊かな社会を形成していくことになると考える。
アメリカやヨーロッパ諸国において、建築規制は州単位であったりして、国全体としては、モデルコードが第三者機関により策定され、それをもとに、自治体が規制として採用するという形になっており、わが国でも、そのような可能性が性能規定化を導入した場合に望ましい形として考えられる。ヨーロッパ全体では、ヨーロコードに対して、基本的な枠組みは統一しているが、各国で必要なところの数値を地域性を持って決めているというような扱いになっている。
ISOの一部門TC98は、構造安全性に関する国際標準を作る委員会であり、わが国は大いに貢献している。筆者もその下のSC3荷重・外力部門の委員長を10年ほど務めさせていただいた。TC98の元で作られた基準類の中でも、ISO2394は構造安全性の一般原則を記すものであり、ヨーロコード(EC加盟国の共通建築基準)とも整合した内容になっている。その国際標準が2020年にJIS化された。同時に、地震荷重に関するISO3010もJIS化された。JIS A3305とJIS A3306である。そもそもISOは、各国の基準を作るためのモデルとしての役割を有している。すなわち、モデルコードとしては、すでにJISとして存在しているということでもある。これらのJIS化されたISO基準をもとに、実務規制が整備されると、そもそも1998年の構造基準の国際協調と言いう意味で望ましいと考える。建築基準法の構造規定をすべて書き直すということは困難であろうが、JISに基づいて作成された自治体の条例規制でもよいということになると、構造安全性に関する限り、建築主責任や自治体の責務という点で、より公開性のある社会制度になると言えるのではないだろうか。
一方で、材料規格などは、法律よりは、JISの対象とすることが自然であるが、木材などの自然素材について、加工せずにそのまま用いる場合などは、かならずしもJISになじまないとなると、自治体で必要な規制を設けることもありうる。
規制が世界で統一的であれば、市場経済としては統一的な対応が可能であることから、アメリカが国として日本に注文するということが、アメリカ経済として理にかなっていることになる。しかし、建築が経済問題としてだけの規制を論ずるのであれば、そうなることがあるかもしれないが、逆に、むしろより地域性を重視した規制が有効な場合もある。
法は何のためにあるかを議論して、わが国の建築構造基準を「イタリアン・セオリー」から論じた。世界規模の金融資本主義が政治にも大きく影響し、自律性を前提としたコミュニティ構築を国の権限として妨げている実態がある。財産権を前提に最低基準を国が決めるのではなく、財産権と環境権の間で適切な水準を社会が選択するという制度が望ましいのではないかということである。ネグり、アガンベン、エスポジトらのイタリア思想が、社会のあり方に対しても示唆を与えるという考察である。国民が社会制度に対して国に要求することが、市場経済の行き過ぎを制御する手段として機能することが望ましいのだと考える。
参考文献
1)持続可能社会と地域創生のための建築基本法制定、建築基本法制定準備会編、A-Forum出版、2020年
2)耐震強度」とは何か、神田順、科学vol.76,4、2006年、pp.356-363
3)耐震偽装問題は建築基準法が原因!、インタビュー神田順、建築知識2006年5月号、pp.75-77
4)神田 順「安全な建物とは何か」技術評論社、2010年
5)神田 順「『イタリアン・セオリー』から考える我が国の建築構造基準」2016年8月、日本建築学会大会講演梗概集20011





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