先の見える建築、見えない建築― 建築学生たちの進路と、建築家という生き方について
香月真大の建築ノート03
先の見える建築、見えない建築
― 建築学生たちの進路と、建築家という生き方について
香月真大
「安定志向」は本当に悪なのか
建築家という生き方はなぜ減ったのか
学生の進路決定が建築文化に与える影響
組織と独立、どちらが正しいのかではなく
建築学生の進路が変化したというより、10年以上前から、ゼネコンや組織設計が「成功した進路」として語られ続けているように感じる。
かつては「建築家になりたい」という言葉が、もっと直接的な熱量を持っていた。小規模アトリエを渡り歩き、徹夜で模型を作り、独立すること自体が建築教育の延長線上にあった時代が存在した。
しかし現在も、大学院まで進学した建築学生の多くは、ゼネコン、組織設計、大手ハウスメーカー、デベロッパーへ進む。
もちろん、それ自体は悪いことではない。むしろ現代社会において極めて合理的な判断とも言える。
建築業界は、理想だけで生きられるほど甘い世界ではない。
学費は高騰し、修士卒が半ば前提となり、資格取得には時間がかかる。物価上昇、将来不安、長時間労働、出産・育児への不安、SNSによる比較疲れなど、若い世代を取り巻く環境は極めて厳しい。
特に建築は、「好き」という感情だけで突っ走るには負荷が大きい分野である。
だから学生たちは、まず制度へ向かう。
給与。 福利厚生。 住宅補助。 社会的信用。 復職可能性。 将来予測。
そうしたものを考えた時、ゼネコンや組織設計へ進むことは、決して消極的な選択ではない。
むしろ今の時代においては、ごく自然な行動である。
大学側もまた、その方向へ学生を導く空気がある。
スーパーゼネコンや大手組織設計への就職は、大学の成果というより、学生たちの間でも「成功した就職先」として語られやすい。
日建設計、鹿島建設、大林組、清水建設、日本設計、三菱地所設計。
それらは建築教育の「成功例」として語られる。
その結果、多くの学生が「まず大きな組織へ行くことが王道である」という空気を共有する。
また、親世代からの影響も大きい。
建築業界の実情を詳しく知らない親からすれば、ゼネコンや大手組織設計、大手ハウスメーカーは、名前も通っており、安定した企業に見える。
特に現在は、物価上昇や将来不安もあり、「まず安定した会社へ」という価値観は以前より強くなっているように感じる。
さらに、同世代や少し上の先輩たちの影響も大きい。
就職活動が始まると、学生たちは先輩たちから、「日建へ行った」「鹿島へ行った」「組織設計へ決まった」という話を聞く。
それらはいつしか、「成功した進路」として共有されていく。
もちろん、それ自体は自然なことだ。
ただ、気がつくと、「自分は何を作りたいのか」よりも、「どこへ就職するのか」が建築教育の中心になってしまう瞬間がある。
しかし一方で、その流れの中で失われているものもある。
それは「建築を人生として賭ける感覚」である。
私は20代の頃、ゼネコンや大手ハウスメーカーにいた。
施工管理も経験し、営業設計も経験した。
巨大な組織の中で、多くのプロジェクトが同時に動き、分業によって高度な建築が成立していく。そのスケール感や社会性は、個人事務所では到底見ることのできない世界だった。
しかし同時に、私はある種の閉塞感を感じていた。
同じ部署の課長たちを見ながら、「この延長線上に自分の未来があるのだろう」と思った時、息苦しさのようなものを感じた。
もちろん、それは悪い未来ではない。
安定し、社会的地位があり、大規模プロジェクトに関わり続ける人生である。
だが、自分はその未来を望んでいなかった。
自分にとって建築とは、単なる職業ではなく、生き方そのものだったからだ。
そんな時、『TOTO通信』で、増田信吾や大西麻貴ら同世代の建築家たちを見た。
彼らは既に、自分自身の思想や方法を建築として社会へ投げ始めていた。
それを見た時、「自分は何をやっているんだろう」と思った。
その感覚が、独立へ向かわせた。
ちょうどその頃、『はじめの一歩』で、伊達英二がリカルド・マルチネスに敗れた後、妻から「あなたがいない」と言われ、再び自分の道へ向かっていく場面が妙に重なって見えたことも覚えている。
組織の中で安定して生きることと、自分自身として生きることは、時に別の問題なのだと思った。
もちろん、独立は綺麗な話ではない。
一度で成功したわけでもない。
独立し、戻り、また独立し、再び戻り、三度目でようやく安定した。
不安定さ。 資金繰り。 孤独。 将来不安。
それらは常に存在していた。
だから私は、学生に対して「独立すべきだ」とは思わない。
むしろ、一度大きな組織を見ることは重要だと思っている。
なぜなら、組織を知らずに独立へ憧れることもまた危険だからだ。
ゼネコンや組織設計には、そこでしか見えない世界がある。
大規模実務。 法規。 監理。 分業。 BIM。 社会的責任。
そうした経験は、確実に建築家としての視野を広げる。
問題なのは、「どちらが正しいか」ではない。
問題は、「自分がどこで生きている感じがするか」である。
建築の世界には、大きく二つの時間が存在している。
一つは、組織の時間。
もう一つは、個人の時間である。
組織の時間は、社会を支える。
巨大プロジェクトを成立させ、都市を動かし、品質を維持し、多くの人間を巻き込みながら建築を現実化する。
それは極めて重要な仕事であり、個人の建築家だけでは決して成立しない。
一方、個人の時間は、まだ社会に存在していない価値を探す。
小さな改修。 都市の読み替え。 展示。 実験。
採算性だけでは測れないものを扱う。
どちらが優れているという話ではない。
だが現在、日本の建築教育は、あまりにも組織側へ傾きすぎているように感じる。
学生たちは、建築を「就職先」として考えることには長けている。
しかし、「自分は何を作りたいのか」「どんな建築を残したいのか」を考える時間は、確実に減っている。
その背景には、時代全体の不安定さがある。
特に女性の場合、出産や育児の問題は現実的である。
高橋幸子『女のハイテック―生活行為と空間のシステム』でも、女性が建築家として独立的に活動し続ける難しさについて触れられている。
そこでは、出産や育児という身体的・社会的条件が、女性により「安定」を求めさせやすい構造について論じられていた。
もちろん、全ての女性が同じ価値観を持つわけではない。
しかし実際には、長時間労働や不安定な収入を伴いやすい独立系アトリエや小規模事務所では、制度面が脆弱なことも多い。
だから女性がゼネコンや組織設計など、比較的制度の整った組織を選ぶ傾向が強まるのは、個人の能力や熱量の問題というより、社会構造や労働環境の問題でもある。
同時に、小規模アトリエや独立系事務所の側にも課題はある。
建築業界では長年、「アトリエは労働環境が厳しい」「給与が低い」「好きでやるしかない」といった語られ方が半ば当然のように共有されてきた。
もちろん、限られた人数で実験的な建築を成立させようとすれば、現実的に厳しい状況になることも多い。
しかし、その状態が業界全体で半ば正当化され続けてきたことは、若い世代、とくに将来設計を現実的に考える学生たちを遠ざけている側面もあると思う。
つまり現在の状況は、単純に「学生が保守化した」という話ではなく、建築家側が、持続可能な働き方や制度設計を十分に作れてこなかった問題でもある。
しかし同時に、建築家という存在自体が減少していくことは、日本の建築文化にとって決して良いことではない。
なぜなら建築文化は、効率や制度だけでは更新されないからだ。
都市を読み替える人。 既存建築を再解釈する人。 新しい空間体験を提案する人。
そうした「個人の執念」によって、建築文化は更新されてきた。
安藤忠雄も、伊東豊雄も、妹島和世も、最初から制度の中だけで成立したわけではない。
彼らはどこかで、自分自身の感覚を社会へ賭けている。
だから今の学生に必要なのは、「大手へ行くな」という精神論ではない。
むしろ逆で、両方を見ることだと思う。
組織も見る。 独立も見る。 研究も見る。 現場も見る。
その上で、自分がどこで苦しくなるのかを知る。
先の見える人生が安心なのか。 それとも息苦しいのか。
それは他人が決められることではない。
建築は、本来かなり個人的な行為である。
だからこそ、進路もまた、自分自身の身体感覚で決めるべきなのだと思う。
今、多くの学生たちは揺れている。
建築家になりたい。 でも不安だ。 作品を作りたい。 でも生活も必要だ。
その葛藤自体は、むしろ健全なのだと思う。
問題なのは、「最初から考えることをやめてしまうこと」である。
大手へ行くことが悪いのではない。
独立することが偉いのでもない。
ただ、自分が本当に望んでいない未来へ、惰性で進んでしまうことだけは、後々かなり大きな違和感として残る。
私自身、一度組織を経験したからこそ、自分が何に耐えられず、何を求めているのかが分かった。
だから今は、学生たちにも、「まず自分の感覚を確かめた方がいい」と思っている。
建築は長い。
だからこそ、最初の進路だけで全てが決まるわけではない。
むしろ、その過程で何を見て、何に違和感を持ち、何を捨てられなかったかの方が、その後の建築を決めていくのだと思う。
参考文献・参考資料
・『TOTO通信』 TOTO株式会社
・高橋幸子『建築とジェンダーに関する論考・発言』
・『はじめの一歩』 森川ジョージ(講談社)
・各大学建築学科・大学院 就職実績資料
・建築系就職情報サイト「A-worker」「建築就活」「アーキテクト・スタジオ・ジャパン」等-Powered Building Design (EN) – YouTube



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