『ジードルングの思想と集合住宅――日本の過去・現在・未来』01
田中辰明
「住まう」という行為が、単なる私的な営みではなく、社会そのものの輪郭をかたちづくるものであるとしたら——ジードルングとは、その問いに対して20世紀初頭のドイツが与えた、もっとも静かで、しかし根源的な応答であったのかもしれない。
「Siedlung」という語は、本来「居住地」や「開拓地」を意味する。だが、建築や都市計画の文脈においてそれは、意志をもって配置され、構成された生活の風景——すなわち計画的に建設された集合住宅地を指し示す。低層あるいは中層の住宅群は、互いに押し合うことなく、むしろ間に挿入された緑地や中庭によって緩やかに隔てられ、同時に結びつけられている。そこでは光と空気が均等に配分され、生活は衛生的であることを前提として組み立てられる。建築はもはや偶然の産物ではなく、標準化と工業化を通じて、意識的に「つくられる」ものとなる。
このような思想が切実さを帯びたのは、第一次世界大戦後の荒廃のなかであった。1918年以降の都市には、圧倒的な住宅不足が影のように広がり、人々は住まう場所そのものを失っていた。ここにおいて住宅は市場の問題ではなく、政治の問題として、さらには倫理の問題として立ち現れる。社会民主主義的政策のもと、公営住宅の建設が推進され、ジードルングはひとつの「応答の形式」として大量に現れるのである。
それは同時に、モダニズム建築の実験場でもあった。エルンスト・マイが主導したフランクフルトの計画(写真-1)、ブルーノ・タウトによる色彩に満ちた住宅群(写真-2)、そしてヴァルター・グロピウスらが追求した合理主義(写真-)——それらは単なる様式の革新ではなく、「いかに生きるべきか」という問いへの建築的回答であった。機能主義は冷たさではなく、公平さの言語であり、合理性は効率ではなく、共有されるべき生活条件の平準化を意味していた。

写真-1 エルンスト・マイのフランクフルト集合住宅

写真-2 ブルーノ・タウト設計、田園都市ファルケンベルク住宅の玄関

写真-3 ヴァイマールのバウハウス実験住宅
たとえば、ヴァイセンホーフ・ジードルングにおいては、国際的な建築家たちが集い、未来の住まいのプロトタイプを提示した。(写真-4)そこでは住宅は一つの完成形ではなく、試行されるべき問いそのものであった。また、フランクフルトの一連のジードルングに導入された「フランクフルト・キッチン」(写真 -5)


は、家事労働を合理化し、生活の時間そのものを再編成しようとする試みであり、空間が生活を規定しうることを雄弁に物語っている。
さらに、ブリッツ・ジードルングにおいて見られる鮮やかな色彩は、単なる装飾ではなく、均質化されがちな生活のなかに個の感覚を回復させるための、ささやかな抵抗でもあった。庭園都市の思想と結びついたそれらの住宅群は、自然と人間との関係を再び編み直そうとする意志の表れでもある。
ジードルングの根底にある理念は単純である。「光・空気・太陽」。この三つの要素を、すべての人間に等しく分配すること。それは健康の問題であると同時に、平等の問題でもあった。住宅は商品ではなく、権利である——この認識が、建築を社会改革の道具へと変えていく。




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