宙地の間
地球環境時代のモデル建築
渡辺菊眞
Ⅰ.グローカル(地球-地域)建築
[1] グローカル(地球-地域)建築とは
グローカル(地球−地域)建築は、地球環境とその内側にある地域環境に二重に適応する建築( architecture adapted to both local and global environment )である。適応はadaptであり、順応(あわせる)と改造(つりくかえる)の意味をあわせもつ。地球と地域の二重環境に順応しつつ、よりよい環境を導出するのがグローカル(地球−地域)建築である。
なぜ地球-地域という二重環境なのか。地域は、私たちにとって馴染みの深い身近な場所である。住む家があり、家を都市が包み、その都市を自然が支える、その総体である。地球は太陽系の惑星・地球である。身近な場所である地域と太陽系の惑星・地球。この二つを並べただけだとそれぞれが違った場所のように感じてしまう。しかし地域は地球上の唯一の場所である。地域では山の端や水平線から太陽が昇り、空を巡って沈む。この時に地域と太陽系の惑星・地球の重なりを感じることができる。「菜の花や月は東に日は西に」、近景に地域の季節の何げない風景があり、その背景に太陽系の情景が描かれる。与謝野蕪村が詠んだ風景はまさに地球-地域の風景である。地域環境たる「ここ」の背後に太陽系の惑星・地球が重なり、重なりの向こうに果てなき「かなた」を感じる。そういった地球-地域環境に私たちは住む。それは地球人たる私たちが生きる原点ではないか。私はその原点に立ち還りたい。地域環境を想うことは地球環境を想うことであり、地球環境を想うなら地域環境を想わなければならない。だからこそグローカル(地球-地域)なのである。
[2] 生きられる空間、水平と垂直、地域と地球
地球-地域環境に生きているのは私たちであり、私たちは人間である。では人間が「生きられる」のはどんな場か。その問いに回答しつつ地球-地域という二重環境の意味を深堀したい。
人間が十全に生きられる空間は二重をなす。上田閑照は人間存在の根本構造を「二重世界内存在」だとする[1]。人間が住む最大の場所は世界であり、その背後には虚空という何もない非場所が重なる。人間はからっぽに支えられた世界に生きている。これが「二重世界内存在」である。絶対的な無のなかにあるからこそ全体性ある世界の輪郭が定まって世界を大切に思って生きるわけである。とはいえ、これは純粋な観念であって「絶対的な無」と言われてもピンとは来ないだろう。ただし、日常を超える「何か」と出会い、その時に日常を大切に思うというのであれば誰しもが思い当たるのではないか。日常を超える「何か」を感じられる場所として聖地がある。深い森に佇みつつ神のおわす山をはるかにのぞむ神社境内で自ずと祈りを捧げたくなること、断崖絶壁に屹立するお堂の情景に思わず身が引き締まること、こうした聖地の体験ののちに住まいのある場に帰還する時の安堵感。これがわかりのよい二重性である。聖地は特殊な空間であるが、もっと身近な場所でも「何か」を感じることはある。ある時に見た夕暮れがいつもとは全く違った色合いにみえて別世界に迷い込んだ感覚に襲われたのちにハッとして我に帰ること、そんな経験は誰だって思い当たるはずである。このような日常を超えた経験があるからこそ普段の生活空間のまとまりやかけがえのなさを改めて感じるのである。このことは20世紀に人間存在をあらためて問うた、マルティン・ハイデッガー、オットー・フリードリッヒ・ボルノウ、ミルチャ・エリアーデらの論考に共通にみられる。人間が存在するためには、「日常的な世界」と「日常を超えたところ」が重なり合う場が必要なのである。
「日常的な世界」と「日常を超えたところ」。これは「水平」と「垂直」という言葉に置き換えられる。クリスチャン・ノルベルク・シュルツは人間が生きられる空間を「実存的空間」とし、その構造を示している[2]。実存的空間は3つの構成要素、①中心(center)と場所(place)、②方向(orientation)と通路(path)、③区域(area)と領域(domain)からなる。中心から放射状に通路が伸び、円盤状の領域が描かれる。場所を起点に通路を介して領域に至る。これは水平的な広がりである。その一方で場所(中心)には垂直軸が立つ。ここにみる水平的な広がりが「日常的な世界」であり、中心を貫く垂直軸は「日常を超えたところ」へ向かう軸である。人間が生きられる空間では「日常的な世界」が水平面をなし、その中心に「日常を超えたところ」に向けて垂直軸がつらぬく。とはいえ、このままでは具体的な空間をイメージできない。
ここで改めて、地球-地域における水平と垂直を見ていく。地域は人間が過ごす身近な場所である。人間が住む家があり、家がたつ都市があり、都市をつつむ自然景観がある。こういった地域を地球が包含する。地球は水平的な広がりの最大領域である一方で、山際の空の広がりや大海原の果てに描かれる水平線を目にするとき、そういった自然景観のさらに向こうに「かなた」を感じることがある。この経験は空や海といった目に見える自然景観を起点としているが、そこで感受されるのは「かなた」という「現実を超える何か」である。自然景観の向こうに「かなた」を感じる経験は地球-地域環境で自身が垂直につらぬかれる経験である。地球は水平世界の最大領域であり、「かなた」を想うことで垂直な開けを導く場でもある。地球が水平と垂直をむすびつけて人間存在が成立する。本書で地球−地域という二重環境を提示した最大の理由はここにある。
[3] 建築にみる水平と垂直の二重性と、グローカル(地球-地域)建築
人間が生きられるのは、水平と垂直が重なる場である。水平は地域(家、都市、自然)から地球まで広がる領域であり、地球が垂直な開けを導く。では、人間を容れる器たる建築には何が求められるのであろうか。言うまでもなく人間が「生きられること」をサポートすることが建築の役目であろう。これは建築の根源的な役目である。したがってこの役目を果たす姿を見るためには建築の始まり(起源)に遡る必要がある。
森田慶一は「建築論」において、建築起源の二元説に触れている[3]。二元なので根っこが二つある。その一つが「事物的なシェルター」であり、もう一つが「超越的なシンボル」だという。前者は洞窟住居のように厳しい自然から身を守る建築であり、後者はストーンヘンジのような存在である。これは原初のカオス(混沌)にシンボルを配置して秩序あるコスモス(宇宙)を獲得するための建築である(Fig Ⅰ-1)。

FigⅠ-1 ストーンヘンジ 出典=Andreas Volwashsen『COSMIC ARCHTECTURE IN INDIA』
根っこが二つとはいえ、両者は相補的な関係を持っていたはずである。事実、ストーンヘンジがたつ場の近隣に人々が住まう場も設定されていた。カオス(混沌)をストーンヘンジがコスモス(宇宙)に転じることで人々は安心して居住できるわけである。人々は日々暮らす場を基盤としながら時にストーンヘンジに祈りを捧げてコスモス(宇宙)を維持していく。
このような建築の二元的な在り方は起源に限定されることではない。人が社会的存在となって生業を持つと、漁村、農村などの生業に応じた住居群配置とその単位としての住居が形成される。それが舟屋、散居、町家などの地域型住居(生業に応じたシェルター)となる。また、集落・都市には神社、寺院、墓地といった聖なる空間が配置される。原始の巨石とは違うが、聖地という象徴的な空間が場に秩序をもたらす。家(シェルター)があつまって村となり、村を支える自然の大切な場所には神社などの聖地が配される。聖地はその象徴的な構え(シンボル)によって垂直な開けを導く。シェルターを中心とする場と超越的なシンボルの双方があって、ふたつでひとつの全体=「生きられる空間」=コスモス(宇宙)が成立する。
香山壽夫は建築起源のシェルター一元説を否定する。原始の人間がつくりあげた最初の建築は単なるシェルターではなかったことを人類学者のルロワ・グーラン、宗教学者のミルチャ・エリアーデ、建築家のルイス・カーンの言説を援用しながら示している[4]。住居をつくる際に要求されることとして「宇宙の秩序を与える」必要が含まれていること(グーラン)、「住居の建築様式において、宇宙的な象徴が強調される」こと(エリアーデ)、「建築は、大いなる超越に対する高遠な試みであって、最高の宗教的行為である」こと(カーン)、これらの言説は住居と建築が単なるシェルター以上の存在であることを示している。こういった前提にたち、香山は「建築は、私たちの平凡な日常の行為から、根源的な祈りにまで、空間的に働きかけて」くると主張する。
このことを如実に示すのがプエブロ・インディアンによる最初期の住居、ピットハウスである。これは竪穴式住居であり円形平面に4本の柱をたてて中央には火を焚く場、そのそばに大地に眠る先祖と会話するための小さな穴がある。大地に眠る先祖の霊と立ちのぼる煙が天へと抜ける穴が垂直軸をなす。シェルターと祈りがひとつとなった空間でありコスモス(宇宙)をなしている(FigⅠ-2)。

FigⅠ-2 ピットハウス 出典=香山壽夫『建築意匠講義』
プエブロ・インディアンの集落はピットハウスを起点とするものの、のちに住居と祈りの空間は分化していく。具体的に住居は竪穴から地上に上がり段状の集合住宅となり祈りの空間は地下にとどまり「キーヴァ」という礼拝場となる。ここでは、ふたつでひとつの全体がコスモス(宇宙)をなしている。
建築の起源は、ピットハウスのようにシェルターとシンボルがぴたりと重なりあいコスモス(宇宙)を形成するものだったのかもしれない。ただし、住まう場で祈りをささげつつ、そのそばにシンボルを配して村という共同体全体をコスモス(宇宙)にする姿もまた建築の起源であろう。日常を過ごす水平世界と祈りを捧げて垂直な開けを得ること、その両者をむすんでコスモス(宇宙)をもたらすことが建築の起源であり根源なのである。
[4] 環境における二つの位相:自然環境と文化環境
環境は一つの全体であり部分に分解できるものではない。しかし、全体のなかでの表れとして便宜的に区別することは許されるであろう。本書ではその表れを二つの位相で捉えている。一つが自然環境であり、もう一つが文化環境である。自然環境は、地勢、天候、生物などを含む状況のことである。天候(気候と天気)は建築環境工学において熱、光、風といった要素に分解され、制御する対象となる。文化環境は、地域の風土・歴史に裏打ちされた周辺空間の様態のことである。建築学において都市計画や農村計画の研究対象領域となる。
21 世紀の幕開けに向けて2000年に建築関連5団体により「地球環境・建築憲章」が宣言された[5]。そこでは「持続可能な社会を実現していくことが緊急の課題」であるとし、「建築はそれ自体完結したものとしてではなく、地域の、さらには地球規模の環境との関係においてとらえられなければ」ならないとしている。これは地球-地域という二重環境に建築が適応することの必要性を問うものである。この憲章では創造すべき建築に以下の5つの指針が与えている。
建築は世代を超えて使い続けられる価値ある社会資産となるように、企画・計画・設計・建設・運用・維持される。(長寿命)
建築は自然環境と調和し、多様な生物との共存をはかりながら、良好な社会環境の構成要素として形成される。(自然共生)
建築の生涯のエネルギー消費は最小限に留められ、自然エネルギーや未利用エネルギーは最大限に活用される。(省エネルギー)
建築は可能な限り環境負荷の小さい、また再利用・再生が可能な資源・材料に基づいて構成され、建築の生涯の資源消費は最小限に留められる。(省資源・循環)
建築は多様な地域の風土・歴史を尊重しつつ新しい文化として創造され、良好な成育環境として次世代に継承される。(継承性)
5項目のうち、「自然共生」「省エネルギー」「省資源・循環」の3つは自然環境に適応する建築の在り方が、「継承性」では文化環境に適応する建築の在り方が示されている。なお、「長寿命」は、価値ある社会資産(ストック)になりうることを目指しており、自然と文化双方にまたがる評価軸である。このように、「地球環境・建築憲章」では地球環境時代の建築が自然環境と文化環境の双方に適応することの重要性を説いており、本書が提示する環境の2位相の妥当性を裏付けている。
Ⅰ 註
[1] 上田閑照 『場所 二重世界内存在』 弘文堂 1992
[2] ノルベルク・シュルツ 『実存・空間・建築』 加藤邦男訳 鹿島出版会 1973(原著1971)
[3] 森田慶一 『建築論』 東海大学出版会 1966、pp143-167
[4] 香山壽夫 『建築意匠講義』 東京大学出版会 2009、pp2-23
[5] 『地球環境・建築憲章』 建築関連5団体(日本建築学会,日本建築士会連合会,日本建築士事務所協会連合会,日本建築家協会,建築業協会) 2000






















































コメントを残す