箕浦聖人(みのうらまさと)
1974年生まれ。2級建築士。インテリアコーディネーター
大学卒業後設計事務所勤務を経て、独立ならぬ孤立する。勤務経験に自動車部品の製造業があり、社会と工場の関係に建築の今の時代の見方に思いふけるようになる。著書に「日本人の良いところ」(日本文学館)。美修‐lan(ミシュラン)建築アトリエ の名で広島で活動
住宅地に数寄の景色
奇才のないたまたま都市から外れた郊外の市庁舎の建っている裏の敷地は大都市の非人間的な洒落た純粋主義が建築の流行を引き起こしている。太陽の上る方向、視線の抜ける方向にスカイライトの役目を持った二層吹き抜けの個室を持つ住宅を計画した。街の景色になじんだものの中で唐突なデザインの住宅を提出するのは、それがあるいは<型>といわれあるいは<様式>といわれる、ストック住宅の活用を無視したメーカー住宅の開発の中で、良識的な住宅にかかわらないでいてどうする。
本住宅は前面道路を北側に直角に二本もち、残り二方向は隣接する宅地に囲まれている。日中に階段の光を通じて、夜に玄関(土間)に見るような照明の光を借りて、階段の幾何学的な挿入ガラスの壁と二層吹き抜けの個室が並列している。こうした市庁舎のような公共空間/広場の問題に対し、アイストップとしてまちの活性化を問う。施主の住宅計画は直接工事の時期にはアプローチの計画や駐車場の変更がありえない。そのような予定に対し玄関を土間として大きくする。こうすることですでに住宅単体の中にアプローチを組み込む計画とした。
ル・コルビュジェの建築やバウハウスの教育がルネサンス以来の分析的知性による芸術の展開の流れにあるとすれば、本住宅は感性に基づく発想による新たな数寄の景色である。施主の資金計画/運用がちょうどこのプロジェクトでまかなえない都合に似て、奇抜な住宅といえども、ちゃんと住めなければならない。経営的視点でも総合的な企画でもないとのチェコ・キュビズム(20世紀初頭)での解決とした。まちの人々に愛されためずらしい芸術運動だったと聞く。低層の二階建て。市庁舎のすぐ裏手のよくある住宅地にて今日の建築を占うなどは凶と出るのであろう。4LDKの規模で庭付き一戸建て。駐車場から見える二階デッキのベランダの手すりをステンレスパネルで「レイヤー付き」とした。木造トラスがリビングから吹き抜けの個室まではりいっぱいに2メートルのピッチでかけ渡しており、天井に露出したはりではなくトラスであることが精神的な素材感を演出する。
この課題は目的を「感激するし洒落てもいる」住宅を設計することにある。部分技術である傾斜した壁、ステンレスパイプの三本の柱等施主の依頼によりチェコ・キュビズムはルネサンスから発展して作家とまちが活性化を共有する。ルネサンスから作家とは神を表現するのでなく主観的なものを表現するようになった。格好いい物は、建築家の感性次第で出来る。そうではなくて、いかに毎日のほうに設計で取り組めるかと思う。日常の基盤であり大切な人のために建てた住宅は、日常が些細なことでもあることが原因で、家族に中心はない。今時代がそうであるように、我々はトラブルと近しい日常にいる。大切なのは良識なのである。全体的観念以上に各部分が主張し、相互に影響しあい、その意識を高めるような空間への具体化である。
まちを見下ろす高台からは谷や野の景色に住宅では点景にしかならない。しかしこうして50年の耐用年数を持つ住宅とは、施主にはスタイルとして受け止められる。江戸時代に一般的になる数寄屋は紛れもなく猥雑な経過をたどった。崩壊の初めは90年代、デコンストラクテイビズムはパトロンを失った建築家、行き場をなくした建築の様式が情報化社会での建築のサービスとして始まり、住めればいいとそれ以上求めないインフラとしての建築とはスタイルとして広まっていく。
家族が親子供兄弟のつながりである一方で、仲間という人だけでなくまちや社会とのつながり、自分達だけでなく他人を、もっと言って世の中の弱い立場の人達を助けることに貢献するべきであるところ、脱構築で終わりを縁取った20世紀は、バブル経済崩壊後家族の価値観の多様化として口火を切った。成田離婚をはじめとする家庭崩壊は、自立できない子を狂気にさせていく。混乱の21世紀では、責任を背負うことが道徳なのだとか言っていては質問のための質問で終わる。形や意味やそれらの類似や相反によって様々な語や形を相互に連想させる言葉の豊かさや文法の逸脱を醸しながらでもこうした連合関係に逆らわない建築を作りたい。それが、現代家族のための住居だと思うのである。


























































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