宙地の間
地球環境時代のモデル建築
渡辺菊眞
Ⅲ グロカール(地球-地域)建築をめざして 建築作品とプロジェクト
[1] 「太陽系の惑星地球」を体感する
「宙地の間」と「ゲンダイタテアナ」
[2] 地域を生き抜く民家に「改増」する
「角館の町家」と「博士の家 Plat-home」
[3] 地域に「地球の感受」を定位する
「産泥神社」と「金峯神社」
[4] 建築構法の編成で地球-地域環境に適応する
「南シューナ地区コミュニティセンター」と「天翔ける方舟」
[5] 地域と地球がひとつになる
「風景の庭」と「葡萄棚パッシブハウス」
[1]「太陽系の惑星地球」を体感する
四季ある日本で私が手がけるパッシブハウスは「夏季の涼しさ」と「冬季の温かさ」が自動的に切り替わる仕組みを持つ。夏季は日射遮蔽と躯体蓄冷自然冷房を、冬季は直接熱取得型太陽暖房(ダイレクトゲイン方式)を導入している。夏は暑いので日射しはいらない。南に庇を設けて屋内に日射しが入るのを防ぐ。夜になって気温がさがれば風をとおして屋内に涼しさを蓄える。蓄えた涼しさで日中も快適に過ごす。冬は寒いので温かさが欲しい。南に大きな開口を設けふんだんに射し込む太陽からの熱を受け取る。受け取った熱を蓄えて暖かく過ごす。春や夏の気持ちのいい季節では窓をあけて積極的に風を通す。季節を問わず大小さまざまな窓からそそぐ自然の光で採光する。
私のパッシブシステムの恩師・井山武司が一貫して推し進めてきた技術である。師はその技術の根源にあるのは「母なる地球 父なる太陽」だと常日頃から力説していた。それを感じる空間ができたならば、とても官能的なものとなるであろう。そう語っていた。しかし、師は晩年に技術的な追求(パッシブシステムを主にしたゼロエネルギーハウス)に専念し、官能的な空間の追求を止めてしまった。私はかねてからこれをどうにかしたいと強く願い追求を続けてきた。
「宙地の間」「ゲンダイタテアナ」では「母なる地球 父なる太陽」を体感できるパッシブハウスをめざした。「母なる地球 父なる太陽」の体感はそのまま「太陽系の惑星地球」の体感である。「宙地の間」ではパッシブソーラーハウスの要となる太陽を主眼に据えて、その巡りを空間化した。大きな日時計を設置することでそれを可能にしている。太陽の巡りを可視化することは時間の可視化でもある。「ゲンダイタテアナ」では太陽だけでなく空全体の体感化をめざした。「母なる地球 父なる太陽」の大元はプエブロインディアンの世界観「母なる大地 父なる空」である。この世界観への回帰をはかっている。空と大地をむすぶ場として土間床の大きなウチニワを中央に設けている。ここでは南の大開口から陽光溢れる空をのぞみ、はるか高くに位置する北の窓から順光の空をのぞむとともに、夜空の北極星へとまっすぐ通じていく。南北の空から射し込む光はウチニワ全体を覆う金属板で乱反射して万華鏡と化す。
両建築ともに、パッシブハウスの空間深化を図ったものであって具体的な敷地をさだめないまま設計をすすめた。ただし緯度が定まらないと日時計の設置も北極星を向くこともできない。そこで日本標準緯度たる北緯35°に立つ建築として計画した。これを原型モデルとして、具体的な敷地が決まったのちにその環境に適応させた。
[宙地の間] 日時計のあるパッシブハウス
日時計建築に衝撃を受けた。インドのジャンタルマンタルにある日時計である。赤道型日時計では、立つ場所の緯度の勾配で北にまっすぐのびる斜路が時針をなし、その影を大きな逆さヴォールト(かまぼこ屋根を逆さまにしたもの)が受け止める。影は等速度でヴォールトを移動して影の位置で時間を読む。建築と化した日時計はもはや日時計には見えない。都市の向きとは無関係に真北をむいてひたすら上空まで伸び上がる階段(日時計の時針)。逆さヴォールトは緯度の勾配で傾き真南を向く。UFOが大地におりたったような異質さである。都市からみたらとんでもなく風景を異化する建築である。日時計建築で受けた大きな衝撃は時間とともに質の違う衝撃となる。この異質な建築は太陽の運行を忠実に地上に写す。そして時の巡りを私たちに知らせてくれている。異質に感じるのは太陽なんか気に留めずふだん好き勝手に暮らしているからである。日常風景を異化する存在なのかもしれないが、この建築は「太陽系の惑星地球」の風景にぴたりと同化しているのだ。太陽の恵みをうけとり快適に過ごすパッシブソーラーハウス。この家での体感に必要なのは大きな太陽の巡り、そして「太陽系の惑星地球」なのではないか。異質なUFOではなく、UFOのような形態が教えてくれる太陽の巡りと時の巡りを感じて地球で暮らしていく、そんな家を想った。2008年のことである。
設計の概要
「宙地の間」は「太陽と時の巡りとともにあるパッシブハウス」を主題とした私の自邸である。太陽と時の巡りを可視化する空間装置として赤道型日時計を内蔵している。パッシブシステムとして夏季は日射遮蔽と夜間通風による躯体蓄冷自然冷房を、冬季は直接熱取得型太陽暖房(ダイレクトゲイン方式)を採用している。これらが季節変化に応じて自動的に切り替わる。
1階平面は南北3つの帯で構成される。南に広間(居間と食間)、中央に水回り、北はアトリエである。2階中央に巨大な赤道型日時計(直径7m)が浮かび、その東西は個室である。赤道型日時計を機能させるために建築は正確に南面し屋根は敷地の緯度勾配としている。この日時計では屋根にスリット状に穿たれたトップライトから落ちる光線が時を示す。影でなく光線が時を示す。光線の軌跡が時を示すことは影よりも太陽の存在を強く印象づける。私はこれを日時計の空間深化と捉えている。
パッシブシステムは太陽や風といった自然の作用をコントロールして快適性を獲得する技術である。それは持続可能な社会の実現のために極めて有効である。しかし、この技術が当たり前のものとなることで太陽や風が都合のよい空調機械のように感じられ、その恵みに対して鈍感になってしまう危険性もある。この危険性を回避するために日々の生活において太陽という大きな存在を憶える空間が必要だと考えた。日時計があたかも巨樹のようにその地に浮かび、その東西南北にあらわれる空間の個性を読み取りながら家族が好きに集って住まっていく。そんな場所がめざされている。
「宙地の間」を着想したのは2008年である。その後、基本的な空間と機能の計画を定めた原型計画を2013年までの5年間で改良を幾度も加えながら策定した(仮想敷地は北緯35度、気候地域区分は5地域)。これを私の自邸にすると決意したのが2014年である。土地を定めて実施計画に移行し2015年に竣工した。敷地は奈良県生駒郡平群町(北緯34.62°)である。敷地が不定形で緩やかな傾斜地であること、東に向けて矢田丘陵への良好な眺望が開けること、これら敷地固有の特性に対応するために原型計画を変形した。
屋根勾配は35°から34.62°に変更したため断面全体の変形を余儀なくされた。緩傾斜地については一部を半地下にすることで対応し、敷地で唯一良好な眺望が開ける東側にはテラスを設け風景を堪能できるようにしている。テラス上部には幅1間分の倉庫棟が浮かぶ。倉庫棟と住居棟は大屋根で一体化している。倉庫棟によってテラスは屋根付きの半屋内外空間となり雨天に煩わされずに風景を落ち着いて堪能できる場となっている。(Fig Ⅲ-[1]-1〜4)

Fig Ⅲ-[1]-1. 「宙地の間」の外観:南東側全景(上)、北側外観(下)

Fig Ⅲ-[1]-2.「宙地の間」の日時計 表面(上)、裏面(下)

Fig Ⅲ-[1]-3. 「宙地の間」の内観 影の間(上左)、陽の間(上右)、朝の間(下左)、夕の間(下右)

Fig Ⅲ-[1]-4. 「宙地の間」の平面図
環境への適応
自然環境への適応:パッシブシステムの導入
夏季は日射遮蔽と夜間通風による躯体蓄冷自然冷房、冬季は直接熱取得型太陽暖房を導入している。中間期には通風を積極的に利用し年間を通して昼光利用する。
通風は切妻屋根頂部に二つ設けた高窓によってその効率を高めている。夏季は南面大開口上部に設けた奥行き910㎜の庇で日射遮蔽するともに、夜間は高窓を使って効率よく空間全体にわたる通風をほどこして蓄冷する。北側アトリエは土間床でありここへの蓄冷が効果的である。冬季の太陽暖房では1階の広間で蓄熱し、そこからの放熱を吹き抜けを介して2階寝室の「夕の間」に伝達している。2階の「朝の間」は南の開口部から直接熱取得する。
敷地は「住宅の省エネルギー基準」の地域区分5地域である。しかし、地域区分3で要求されるより高い断熱性能とした。基礎は鉄筋コンクリート造ベタ基礎である。基礎立ち上がりの高さを910㎜の高基礎にすることで熱容量の大きいコンクリート部を増やして蓄熱性を高めている。外部に面する立ち上がりには厚60mmのポリスチレンフォームによる内断熱を施し、主要構造である木部は壁と屋根ともに16k相当の高性能グラスウールを充填断熱した。開口部にはすべてLow-Eガラスを採用している。(Fig Ⅲ-[1]-5)

Fig Ⅲ-[1]-5. 「宙地の間」原型計画におけるパッシブシステム導入図解
文化環境への適応:フィールドの読解と設計
宙地の間が立地する奈良県生駒郡平群町は竜田川が形成する南北に細長い谷地形の土地であり、谷を挟んで東に矢田丘陵、西に生駒山地が立地する。竜田川沿いの平地部には田畑が広がり斜面地の多くは戦後に造成された新興住宅地がひしめく。「宙地の間」の敷地もまた春日丘という新興斜面住宅地の一角をなす。この敷地は春日丘の北西端に位置し、その北には別の住宅地である西宮が接している。春日丘と西宮ともに東向きの雛壇造成がなされた住宅地であり、ほぼすべての住宅が東向き正面である。「宙地の間」の敷地は造成できずに余ったヘタ地である。過去の空中写真を確認すると春日丘と西宮の形成当時から「宙地の間」が建つまでは一貫して空地であった[i]。
【都市】フィールドの中でこの敷地がどちらの住宅地にも属さない空地であったこと。この特質(「属さないこと」と「空地」であること)を可能な限り継承することとした。春日丘、西宮のほぼ全ての住宅が東向き正面である。その中で「宙地の間」のみが真南正面を向く。この特質は両住宅地にとって異質であり双方に「属さない」性質を明示する。住宅を建てるので「空地」を純粋には保持できない。ここでは敷地を完全なオープン外構にして開放性を最大限高めた。敷地の東側は二つの釣り堀に面した斜面の空地であり、ここは手をつけずに雑草が生い茂る空地のままを保持した。(Fig Ⅲ-[1]-6)
[i] 1961年の空中写真(国土地理院)では、春日丘も西宮も存在しない。春日丘の位置には里山の森林がある。1974年には春日丘の宅地造成は完了し、西宮も形成されている。春日丘東側には東西方向に下っていく一連の棚田が確認できる。この棚田の方位性を維持し、住宅地として造成したのが春日丘の雛壇であることがわかる。「宙地の間」敷地は、この時点から不定形のヘタ地であり、両住宅地の「はざま」を形成している。ここは、宅地造成時から住宅がたつことがなく、ずっと空地でありつづけた場所である。

Fig Ⅲ-[1]-6. 「宙地の間」広域配置図 オープン外構のヘタ地に真南正面の建築がたつ

Fig Ⅲ-[1]-7. 〈景観〉フィールドに呼応する空間:「宙地の間」のテラスの額縁から開かれる矢田丘陵への眺望

Fig Ⅲ-[1]-8. 春日丘住宅群、西宮住宅群と異質な方位を向く「宙地の間」
地球感受の空間
空や太陽の存在を象徴的に感じられる空間として赤道型日時計を導入した。赤道型日時計では影の移動距離は常に一定であり1時間につき15°回転する。「宙地の間」の日時計は屋内設置であるため影でなく線形トップライトから落ちる太陽光線が時針となる。光が時を示すため太陽の巡りをより強く感じられる。光がヴォールト上を等速度で移動して象徴的に時を示す。1年間の季節変化によっても光線位置が変わる。夏季は南中高度が大きくヴォールトの南端近くの低い位置に光が落ちる。秋から冬にかけては光線位置は上昇し冬至で最も北側の高い位置に移動する。冬至を終えると春分を経て夏至まで光線は南下する。1日における太陽の巡りはヴォールト面に射す光線の西から東への円弧状軌跡によって、1年における巡りは光線の南北(高低)移動で示される。赤道型日時計という簡明な科学装置で「太陽の巡り」を感受する。(Fig Ⅲ-[1]-9)

Fig Ⅲ-[1] -9 日時計に射す光線の軌跡 左:1日の軌跡, 右:1年の軌跡
大きな日時計の四方には方位に応じた個性ある空間を設計した。日時計の南は居間である。南面大開口に直接面する空間であり陽光溢れて冬季には太陽の恩恵を強く感じることができる。南面大開口による「スケスケの落ち着かなさ」に対しては高基礎で南からの直接的な視線を遮っている。日時計北はアトリエにした。ここは北側急勾配屋根の直下であり日時計裏側が浮かんで見える。日時計ヴォールトを透光性あるテント地にしたためその裏からも時を読むことができるとともにヴォールト全体が照明のように静かに光る。とはいえ冬季も直接には日が射さず薄暗い。床はベタ基礎耐圧盤による土間床とすることで大地を思わせる空間とした。北の薄暗い空間と南側の明るい空間を対比させている。日時計東西の2階には2つの個室がある。西の個室は「朝の間」である。日時計に朝日が落ちる時、日時計ヴォールトの西側に光が射す。朝日が室を照らすので「朝の間」である。東側個室は「夕の間」である。東西で光線の射す時間が逆になる。

FigⅢ-[1]-10 「地球感受の空間」の導入:赤道型日時計による太陽の巡りの感受と、方位に応じた空間の形成

FigⅢ-[1]-11 「宙地の間」における「地球感受の空間」としての影の間
[ゲンダイタテアナ]
三内丸山遺跡に点在する竪穴式住居の中でしばし過ごした。すり鉢状に掘られた竪穴の中央には4本の柱。その上部に組まれた横架材には外周からぐるりと垂木がもたれかかり円錐というよりはドームのような屋根がかかる。竪穴の土間には炉があって、入り口からのみ光が漏れる。寒い冬には入り口は固く閉ざしてであろうから、漆黒の闇に火を焚いて、炎が揺らめき輝くなかで家族は丸く集って天に上る煙を時にみあげて過ごしたであろう。真ん中の炉と火がある求心的なシェルター。そこに身を寄せて安らぐ情景が目に浮かび、ここで暮らしてみたいとさえ思った。火で土間床を温めて暖をとるのが竪穴式住居。その火を太陽に代えると直接熱取得型のパッシブソーラーハウスになる。井山武司はそんなことを語っていた。その言葉がずっと引っかかっていた。どこか腑に落ちないのである。パッシブソーラーハウスの南には大きな開口がある。これが屋内に太陽を導いてくれるのだが、その一方でガラス窓一枚を介したそこは家の外である。ガラス窓で外も内もスケスケで求心的なシェルターの姿はない。真ん中を向いて集うのが竪穴式住居であるのに対してパッシブソーラーハウスは太陽が高くのぼる南を向く。パッシブソーラーハウスの起源の一つとして竪穴式住居をすえることはできるかもしれない。ただしそれは竪穴式住居の屋根の南をぶった斬って、その切断面に断熱ガラスをはめた姿ではないか。これが「ゲンダイタテアナ」の起点である。パッソブソーラーハウスは竪穴式住居を切断した空間に太陽を導き入れる。切断された竪穴式住居は幽霊のようだがそれでもパッシブシステムの中核をなす。夏の涼しさや冬の暖かさを生み出す主役は竪穴の幽霊だ。では竪穴の幽霊に私たちは集うのか。集わないとしたらいったい。その姿を模索してスケッチをはじめたのが2020年の末であった。
概要
「ゲンダイタテアナ」は竪穴式住居を原点に据えたパッシブハウスである。ただし、竪穴に居住するのではなく、竪穴を屋内の庭=ウチニワとし、その周囲3方(=東西北)を居室にする。おおもとは、「土間にて冬季集熱するパッシブハウスの「先祖」は、土間中央に炉を据えて集熱する竪穴式住居なのではないか」という着想にある。しかし、竪穴式住居とパッシブハウスには決定的な違いがある。竪穴式住居の開口は入り口と煙抜きの天窓だけであり、入り口を閉じると炉を中心とした求心性の高いシェルターになる。一方のパッシブハウスは竪穴の南面を切断したかのような断面であり、スケスケの大きな南面ガラスが外と接するためにシェルターとしての庇護性が大きく損なわれる。
ゲンダイタテアナでは竪穴空間をウチニワにすることでこの問題に対処する。竪穴とはいえ地面を掘るわけではない。ベタ基礎耐圧盤をあらわしにした土間床がウチニワの床であり、そこから600㎜ほど高い位置に床をはった部分を居室とする。高床の居室がウチニワをぐるりと囲うことでウチニワはあたかも竪穴のように感じられる。この竪穴はニワなのでシェルターの庇護性は必要なく空っぽな場所である。ただし「役立たず」だと仕方がない。ウチニワ南面は大開口を備え冬季集熱と土間床への蓄熱を果たし、頂部北側は高さ10m超えの塔屋にして煙突効果で安定した通風を得る。ウチニワは冬季の熱取得と夏季夜間通風による蓄冷をする場でありパッシブシステムの主役を担う。ウチニワは4550㎜四方の平面に急勾配の四角錐(宝形)屋根をかけた空間を起点に据える。この空間の南面を切断して断熱ガラスをはめるとともに北に屹立する塔屋を設けたのがウチニワである。ウチニワは竪穴式住居が起点だけれども切断したことで幽霊のような姿に転じる。もはや竪穴式の「住居」ではなく、あくまで「ニワ」であり「ニワ」ゆえに何をしても何もしなくてもよい。照明すら設置していない。朝日とともに光がさして夕暮れまでは陽光を存分に受け止め日が沈むと同時に闇に沈む。太陽や風の恵みをウチニワに託しウチニワが受け取った恵みを分配して居室に住まう。現代の竪穴は空からの光がふんだんに射し込むものの、もはや住む場ではなく庭と化す。庭がパッシブシステムの要となりこの周りに人々は住まう。これが「ゲンダイタテアナ」である。ウチニワ頂部の塔屋は真北にのびる緯度勾配の屋根をもち、まっすぐ北極星を向く。北極星は数々の星が廻る中で不動の一点をなす。古来旅人が目印にしてきた星である。塔屋が示す一つ星がわたしたちの居場所を教えてくれる。
「ゲンダイタテアナ」の原型計画を2020年から2022年までの間に策定した(仮想敷地緯度は北緯35度、気候地域区分は5に設定)。次いで実施計画を2023年に着手し2025年に竣工した。敷地は静岡県磐田市の一般的な戸建て住宅地である(北緯34.72°)。 敷地の東西と南に住宅がたち、南庭正面には向かいの家の背面が迫る。近隣家屋は隣家からの視線遮蔽に余念がない。ゲンダイタテアナではウチニワが外部とのバッファーをなすので近隣の視線を気にしなくてよい。近隣住宅が視線遮蔽のために庭に分厚く植栽を施すのに対して、ゲンダイタテアナの外庭(南庭)はただの砕石敷きである。外庭は近隣(向かい三軒両隣り)にとっての光庭となり、この庭から近隣の豊かな植栽を楽しむことができる。持ちつ持たれつの関係がお互いの外庭にて成立する。(FigⅢ-[1]-12〜15)

Fig Ⅲ-[1] -12.「ゲンダイタテアナ」の外観:南側全景(上)、北側外観(下) 撮影:車田保

FigⅢ-[1] -13「ゲンダイタテアナ」のウチニワ内観

FigⅢ-[1] -14 「ゲンダイタテアナ」のウチニワ外周部の空間:居間・食間(上)、東西寝室(下左)、2階ホール(下右)
撮影:車田保

FigⅢ-[1]-15「ゲンダイタテアナ」の平面図(下:1階、上:2階)
環境への適応
自然環境への適応:パッシブシステムの導入
導入したパッシブシステムは「宙地の間」と同様である。ただし、両者では気候地域区分が違う。「宙地の間」は5地域にたつのに対して「ゲンダイタテアナ」が立地する静岡県磐田市城之崎は7地域である。温暖地域の中では最も日照に恵まれているが夏季の日射は強烈であり、その遮蔽を手厚くする必要がある。夏季の断熱性の向上を主眼に「宙地の間」同様、断熱材等は区分3で要求される性能のものとした。
夏季の日射遮蔽において「宙地の間」は夏至の南中時に日射が屋内に侵入しないように庇の出を決めた。「ゲンダイタテアナ」では8月半ばの南中時に屋内に日射が入らない庇の出とした。実に奥行き2275㎜もの庇を設けている。ウチニワは夏季の躯体蓄冷と冬季熱取得の中心地となる。ウチニワの土間床はベタ基礎耐圧盤のあらわしであり蓄熱蓄冷の要となる。蓄冷を導く通風は建物全体に行き渡るようにしている。ウチニワ頂部に位置する高さ10mを越す塔屋が通風の効率を高める。2階居室はウチニワとつながるバルコニーを設けるとともに北側の壁上部に横長窓を配して通風経路を確保した。各居室の収納上や鴨居上には壁がなく空気的につながっていて通風や熱の伝達を阻害しないようにしている。冬季集熱はウチニワ南側全面に設けた南面大開口が担う。南面大開口の幅を8m、高さを5mにすることで奥行きが深い庇であるにもかかわらず、冬至南中時にはウチニワの最奥部にまで日射が届く。土間床に蓄熱しその周囲に位置する居室に熱を導く。なお、ウチニワ頂部とそこから立ち上がる塔屋が空気的につながったままだと熱が塔屋に逃げてしまう。ここではウチニワ頂部に開閉できる開口を設けて冬季はこれを閉めることで熱が逃げるのを防いでいる。年間を通して大小さまざまな窓からそそぐ光によって自然採光を行うのは「宙地の間」と同様である。これに加えて「ゲンダイタテアナ」ではウチニワで光を増幅させる。ウチニワの壁と天井すべてにガルバリウム鋼板平板を被覆している。南面大開口からふんだんに射し込む光を壁や屋根が反射してウチニワは光に満ちる。この光を周辺居室が受け取る。(FigⅢ-[1]-16)
文化環境への適応:フィールドの読解
磐田市城之崎は小高い丘陵に営まれた戦後の戸建て住宅地である。この丘陵の頂部は徳川家康による磐田城計画地であり、ここから南向きに尾根線が走る。この尾根線が南北中央道となり、この道と直交する東西方向の道を前面道路とする南向き雛壇の住宅地が形成される。「ゲンダイタテアナ」の敷地は、この住宅地雛壇の最上壇近くに位置する。敷地北側に前面道路が走り、南側には向かいの住宅背面が迫る。

FigⅢ-[1]-16「ゲンダイタテアナ」におけるパッシブシステム導入図解:8月中旬南中時に日射遮蔽可能な庇の設置
この新興住宅地では南側前面道路を持つ住宅地と、北側前面道路を持つ住宅地が背中あわせになる。ただし個々の宅地の南北方向の奥行きは深く、宅地境界線が背割りにはならない。南側住宅地では前面道路から順に駐車場、南庭、その奥に南向き正面の住宅が配される。一方、北側住宅地は、駐車場、南向き正面の住宅(道路には住宅背面が面する)、南庭が配される。南庭には向かいの住宅の背面が迫る。前面道路、隣地、向かい、あらゆる方向で他者からの視線遮蔽が慎重に行われる。北側住宅地では奥行きの深さを利用して南庭を設けられるものの視線遮蔽のための緑がつらなって、少し薄暗くなってしまう。南庭が連坦して緑の帯ができるのは好ましいものの薄暗くなるのはもったいない。
「ゲンダイタテアナ」のウチニワは文字通り屋内に設けたニワであり居間などの居室ではない。ここは屋内の中核でありながら屋外空間とのバッファーでもある。このため南面大開口を介して南側住宅から視線がウチニワにそそがれたとしても気にならない。視線を遮蔽するための植栽も必要ない。「ゲンダイタテアナ」では南庭から植栽を排して砕石敷きの空間とした。南庭は陽光溢れる空間となり「ゲンダイタテアナ」の庭の役目を超えて隣接する住宅地全てにとっての光庭となる。南庭は隣接住宅5軒が囲む共有の「光庭」として機能する。その一方で砕石敷きの外庭からは緑豊かな隣家の外庭を楽しむことができる。(FigⅢ-[1]-17)

FigⅢ-[1]-17「ゲンダイタテアナ」の配置図(上)と、砕石敷きの外庭、奥には緑豊かな隣地の外庭(下)
地球感受の空間
ウチニワはベタ基礎耐圧盤のあらわしであり一面土間床である。その上部に南北方向に設けた開口部がある。南面大開口から見る南側の空は陽光溢れる空であり、北側の空は塔屋内部を通して見る順光の空である。この塔屋は緯度勾配の屋根を持つことから北極星を志向する空でもある。大地を象徴する土間床と南北の空がここで結ばれる。これはプエブロ・インディアンの世界観「Earth is my mother Sky is my father」[1]、すなわち「母なる大地 父なる空」の空間具現化をめざしたものである。井山武司は太陽建築の原理を「母なる地球 父なる太陽」としているが、これはインディアンの世界観の対句のうち、Sky(空)をSun(太陽)に置き換えたものである[2]。太陽建築の名のとおり、パッシブソーラーハウスにおける太陽は絶対的存在であり空を太陽におきかえる意図は明瞭である。しかし空には太陽をはじめ、夜の月や星、晴天や曇天を含むトータルな広がりがある。山の端や水平線に接する空を見る時、それは太陽に限定された存在以上のものとなる。ここでは、井山による空の太陽への置き換えを排して再びトータルな広がりとしての空を大地の対に位置づけた。ウチニワには陽光溢れる大きな空を南面大開口からのぞみ、順光の空を塔屋の額縁を介して象徴的にあおぎみる。ウチニワの壁と天井は全てガルバリウム鋼板で被覆される。ここには日の出から日没までの光が角度を変えて射し込んでくる。その光を多面体のウチニワの壁が乱反射することで万華鏡のようになる。特に日射が奥深くさす冬季が万華鏡のピークである。夏季は直達光は届かず空の光を静かに反射する。
「宙地の間」の「地球感受の空間」は日時計が担っていた。時の巡りが直接的に知覚できるが、巨大であり逆さヴォールトの造形は空間を強く規定してしまう。パッシブシステムの温熱環境調整には関与しないという問題もあった。この問題の克服をめざしたのが「ゲンダイタテアナ」のウチニワである。ウチニワもまた視覚的象徴性に強く訴える空間である。ただし、ここがパッシブシステムの要でもあり夏は涼しく冬暖かい。パッシブの恵みと視覚的象徴性が重なっており、ここに特筆すべき改善が見られる。象徴的に大地と空が結ばれることを自然の恵みの体感(触覚的景観)とともに感受できる。
南面大開口に面する内外スケスケの広間(居間や食間)に集うという多くのパッシブハウスの常態からの脱することもできたわけである。これはパッシブハウスの平面計画として画期的だと考える。ウチニワをパッシブの要にしてその周囲に住まう形式はこれからのパッシブハウスの有効な雛形になるべきだと、私は強く感じている。
(FigⅢ-[1]-18,19)

FigⅢ-[1]-18「ゲンダイタテアナ」のウチニワ。南面大開口から大空をみる。撮影:車田保

FigⅢ-[1]-19「ゲンダイタテアナ」のウチニワ。北側頂部は緯度勾配屋根の塔屋に通じ、順光の青空をのぞむ。撮影:車田保
第Ⅲ章 註
[1] Griffin-Pierce 「EARTH IS MY MOTHER SKY IS MY FATHER」 University of New Mexico Press 1992
[2] 井山武司 『太陽建築 母なる地球 父なる太陽』 渡辺菊眞編 太陽建築研究会 2022
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