ハイパーミックス・シェアハウス・コレクティブ・雑居
AF=Forum 第43回AB(アーキテクト/ビルダー「建築の設計と生産」)研究会
コーディネーター:布野修司+安藤正雄+斉藤公男 A-Forum 2026年3月21日
司会 山本 至
報告 関係性を編み直す装置としての建築 江島史華(awn)
コメンテーター 青井哲人(建築史・建築論 明治大学教授)
山本至 今日は江島史華さんをキーノート・スピーカーとしてお呼びしました。僕の方から江島さんの紹介をさせていただきますと,江島史華さんは,神奈川県生まれで(1991),2014年に横浜国立大学建築学科を卒業して,大学院Y-GSAの北山恒コースに入られ,修了後(2016),北山恒主宰architecture WORKSHOPに勤務,事務所の組織改編により設立されたawnおよびネットワーク組織AWNにパートナーとして参画されています(2021~)。このAWNのあり方が非常に面白く,ここも本日の議題になるかなと思っております。「関係性を編み直す装置としての建築」と題していただきましたが,最初に1時間ほど江島さんにテーマに沿ってお話をいただきます。その後,青井哲人さんにもご参加いただき,座談会形式で,皆さんも一緒に楽しく議論できればと思います。それでは江島さんよろしくお願いいたします。

awn
関係性を編み直す装置としての建築
江島史華 横浜国立大学を卒業して,北山恒主宰のアーキテクチャー・ワークショップでスタッフとして設計を行ってきたんですけれども,コロナをきっかけに,組織改編をすることになって,今はそのアーキテクチャー・ワークショップにネットワークをつけたAWNのコアメンバーという形で活動しています。プロジェクトごとにチームを組んでいく,コレクティブな組織の一員として設計をしています。
今日の報告は,「関係性を編み直す装置としての建築」と題したんですが,建築や空間の人々の関係性を編み直す装置としての側面に関心があります。現代都市は,家族,会社,学校といった社会の単位に対応する建築の集積として形づくられていますが,私たちの生活は本来,そうした既存の単位内には収まらず,より複雑で自由で快楽的であるはずです。大きな建築でも小さな建築でも,都市や人との関係性のあり方を問い直すことで立ち上がる新たな空間構成を,都市への仮説として提示することを考えて設計をしたいと考えています。そう考えて立ち上がった建築は,時には既存のビルディングタイプでは考えられない多様な状況を許容し,仮説が検証される時間のなかで,さらなる状況の変化を受け止めることができるのではないかと思います。建築家個人の勝手な考えで設計して完結するものではないわけで,使い手や周辺環境の関与を受け止め,更新する余地を持つ建築実現したいと思っています。

蟻の街
自分の設計を紹介する前に,学生時代から建築を考える中で,影響を受けたというか,共同体について意識を持つきっかけになったのが,「蟻の街(アリの街)」とか「蟻の会」と呼ばれた共同体集落なんです。隅田川の言問橋のたもとに存在していた共同体で,戦後1950年くらいの時に,家とか家族とかを失った人たちが集まってきて,廃品回収を生業としながら相互扶助しながら生活してきた集落です。その集落があった場所は,国有地だったので,常に立ち退きの危険を孕んでいたんですけれども,住民の手で理想郷を作るという理念のもとにどんどん大きくなっていって,教会や公衆浴場,保育施設も建設されるんです。大人も子供も混じり合って,一生懸命働いて,一生懸命遊んで,一生懸命生活して,全てが混然一体となっていたような共同体なんです。「蟻の街」を知って,家族を超えた関係性が持てる集団があるのではないか,と思うようになるんです。「蟻の街」は切実な共同体だったわけで,時代背景とか実態を理解することはできないんですけれど,インフォーマルな共同体がものすごいエネルギーを持って存在していたという事実から,人間の自由さだったり,快楽の根源みたいなものを見つけることができるのではないかと思ったりしてきました。
横浜の架構

横浜の架構1
今日は,実際に私が設計した4つのプロジェクト持ってきたんですけれど,どれもその人の生活に関わる人が住むためにつくった建築です。1(南六郷ハウス 賃貸 単身者たちの共同体 2017)は北山恒事務所時代の作品なので最後にして,2(横浜の架構 個人邸 家族と地域 2023)というプロジェクトを紹介したいと思います。私が個人名で活動した初めての建築です。友人の自宅なんですが,核家族と地域の関係を考えたプロジェクトです。敷地は横浜の丘陵地ですが,かなりその高低差がある地域です。台地から川まで続く旧集落が起源なんですが,1952年の開発によって宅地化が進んできたんです。山を切って埋め立てて,切って埋め立てるということを繰り返して宅地を造成してきたんですけれども,切り分けられた個々の敷地はその周辺地盤との高低差を解消する擁壁をみんな持っているんです。設計者として,土地探しの段階から,不動産屋さんと施工者とも参加したんです。いろんなところを見て歩いたんですが,この土地を選んだ理由としては,南向きであること,高低差ゆえの開放性,地域性がよく表れている土地だっていうこともありますが,何よりも売れ残っていて少し安くなっていたことが大きかったんです。敷地面積と有効宅地面積にものすごくギャップがある土地なんです。そういった土地の条件と,個人宅ということで,当然施主さんからいろいろな要求がある。大きな制限のある中で,建築家として何を目指すかというのが出発点でした。
まず考えたのは,この土地に一番適する軸組は何かということです。建蔽率などの法条件,構造,コスト,施工の合理性,そして身体スケールにも応答するモジュールとして2731mm(一間半)を想定したんです。そのモジュールを擁壁も含めて敷地の中に落とし込んでいくと,架構システムが浮かび上がってきて,それは擁壁からオーバーハングしているものなんですけれども,その架構システムの中に,生活を落とし込んでいくという本心で設計を進めたんです。その架構システムは,敷地境界によって切断されていくんですが,それによって生まれた不定形な外壁面が割に長く取れるので,耐力壁として固めていくと,内部空間が間仕切り壁から解放される。柱梁だけが立つ空間に,建具とか家具で空間を仕切っていくことで,施主の生活様式とか家族形態が今後変化していったとしても対応できるのではないか,と考えたんです。
内部は基本的にはその大きな角度とか小さな角度とか,あとは建具で空間をつくっています。オーバーハングした空間が地域と家との間の中間領域のような役割をしていて,建具を全部開け放した状態にすると,室内の連続でもあるし,外を取り込む空間にもなるのではと考えたんです。この中間領域には二重の建具を設けていて,外は「ツインカーボ」で光は通すけれども,目線を遮る。中はガラスで視線と光も通す建具。この二枚の建具の開け閉めによって,居住者の意思で地域との距離感を調整する。この跳ね出した加工の部分は2階で,限定的にその床が張られている状態なんですけれども,将来的には,いくらでも床を増やせるというか,法的な面積なんかをクリアできるように設定にしているので,全てのスパンが埋まることにも対応できる。専用住宅は,閉じられた用途ですけれども,その生活は変化していく,地域との関係も変わっていくという建築の在り方がいいんじゃないかと考えました。

横浜の架構2
東向島の雑居
次は私の自邸3(東向島の雑居 自宅 社旗に開かれる家族 2024)ですが,東向島の敷地は,隅田川に直交するその二本の商店街に挟まれていて,町工場だとか店舗だとか,住居,借家住宅などが混在する準工業地域の外れに位置した3階建てのビルを買ってリノベーションしたんです。自邸ということで,自分たちの生活空間をまず考えるわけですが,社会の中での家族のあり方を考えたいと思ったんです。
購入する時に住宅ローンを組む時にいろいろな銀行を比較したんですが,土地とか上物の最低面積が定められていることを知って,家族という単位を成立させるための住宅の広さが,第三者によって勝手に決められていることに違和感を強く感じたんです。私たちの生活はほとんど都市空間に依拠していたので,住宅としての広さはあまり必要ではないと思っていたんですね。しかし,結果的に私たちにとっては持て余してしまう広さの空間をローンで買うことになる。そこで,本来必要とする最低限の私たちの私的空間以外のすべての空間を占有しない場所として計画してはどうかと思ったんです。
細長い建物は,四本の鉄骨柱と梁による単純なフレームで建てられていて,各階に水回り,台所,リビングとか寝室とかが一層ずつ割り当てられていて,階段室を介して垂直に接続されているとても単純な構成をしていました。それに対して,住宅としての輪郭をどんどん解きほぐしていくようなな操作を場当たり的に行っていくっていうリノベーションを行ったんです。例えば1階は,玄関サッシのラインをセットバックさせて半屋外空間としたり,奥のサニタリーはものすごくコンパクトにつくられていたんですけれども,鍵の開閉によって,外に属することもあり得るし,中に属するっていうこともあり得るような仕掛けをしました。2階はほぼスケルトン状態に解体をして,外部と接続する複数の開口を設けた。正面の窓を設けて,であと何にでも使えるシンクを置いた。3階は占有空間で,私たちの住宅になるんですけれども,資材を収納するための鍵のかかるコンテナを2個設けていて,このコンテナの先の残余空間というのが寝室になってるんです。ここだけが唯一の私的空間だと私たちは考えています。屋上に何か小屋みたいなのものがあったんですけど,それも一旦解体して,何にでも使えるような状態にしたんです。3階の占有空間以外は,開かれている状態になってるんですが,開くための操作として,何か統合された一つの言語で設計したわけではなくて,公と私,共有と占有,その境界をこう行ったり来たりする仕掛けをいろんなところに加えたんです。その仕掛けによって,私が所有する住宅なんだけれども,他者の存在を許容する場に空間の質が変容していく。住民としての私の役割は,それらの仕掛けを日々加えていったりすることかなと思ってるんです。

東向島の雑居1
1階はほとんど屋外です。半透明の御簾も仕掛けのひとつなんですけど,開け閉めができ,毎日開けたり閉めたりします。祭りがものすごく盛んな地域で,祭りの時は,町中の人が道に出てくるみたいなシーンがあるんです。1階っていうのはその時には「浸透性」を持っているべきではないかなと思っているんです。2階は特定の機能を持たない空間で,大きな多用途のシンクがあるだけで,人がいたりいなかったりします。3階の占有部にはコンテナが2つあって引き戸が閉まっていますが,鍵がかかるようになっていて,閉めてしまえば,全て外に開いるんです。屋上はなんにでも使える「余白」で,花見なんかもできます。賃貸して社会と接続するためのプログラムをプラスアルファでつけているわけではないし,シェアハウスみたいに対等な関係で誰かに住んでもらっているわけではない。ただ,積極的にコミュニティを創生する「家開き」みたいなことをやっている。何かバラバラにできることを合わせて共存できる状況を作っているっていう,そういうこと自体を「雑居」と名付けてるんです。

東向島の雑居2
本と公園と子ども
次に,現在進行中のプロジェクト4(本と公園と子ども 賃貸 柔らかなコレクティブ 2028)です。学校の隣に建つ,6階建ての賃貸集合住宅なんですが,目指しているのは「柔らかなコレクティブ」なんです。まず,敷地がユニークなんです。学校へ行く開かれた通路が敷地を貫いていて,この集合住宅の低層階には学校の「離れ」のような形で教育施設が入るんです。6階建ての3階から上が子育て支援住宅の集合住宅になります。それで1~2階は10mスパン,3階以上を5mスパンにしています。子育て支援住宅は全部で21戸です。この21戸の「共同体」をどのように作るか,柔らかなコレクティブハウスみたいなものをつくれないか,ということを考えたんです。具体的には,各階にコモンスペースをつくったんです。コモンスペースというのは,居住者たちが「入会権」を持っていて,さまざまに使えるスペースです。子供たちの安全な遊び場でもあるし,居住者同士が互いにサポートし合える関係を育める可能性のある場所となるんではないか。共用キッチンや本棚とかデスクといった家具を置く想定です。3階は室内化したコモンにするのに対して,4階のコモンは外部化されたコモンで,幅の広い外廊下のような形で,部分的に膨らんだ場所としてコモンテラスを配置しています。3階のコモンと4階のコモンは外階段でつながっているので行き来することもできますが,3階と4階はかなりコンディションが異なっているんで,入居者はそのどの階のどの部屋を選ぶか選択する必要がある,そういう選択肢が用意されているわけです。
コモンに面した住戸は細長い短冊形状をしているんですが,コモン側には全戸土間をもっています。普通のマンションだと完全に閉じられるわけですが,コモンや外部とつながる機会となるのではないかと考えているんです。「共同体」が息苦しくならないために,コモンと接続する余地となるのが土間です。
布野修司 住戸は全て同一のようですが,面積は何平米なんですか?玄関扉はどういう形式ですか。
江島史華 5mスパンですので,25㎡×3,76㎡ぐらいです。ファミリータイプの想定です。土間に面している玄関扉は透明性を持ったものとして考えているんですが,土間をどう使うかは住民に委ねられている。閉じるのか開くのか,開いたままにするのか。土間のすぐ後ろにはキッチンがあって,土間と接続して使ってもいいし,土間との間を閉めることによって独立性は担保できる。そして,ロングリビングと呼んでいる細長い空間があるんですが,キッチンとキッチン周り,個室などがこのロングリビングと一緒に使われていくことを想定しています。コモンから離れて奥に行くにつれてプライベートな空間になっていく空間配列にしています。社会に建築家の職能が誤解されていると感じることもあるんですけれども,特別な「オブジェクト」をつくるということではなくて,人々の生活に密接したプログラムを少しずつその時代に適合する形に変えていくというか。そういうことに共感する人たちにとって,当たり前だなって思えるような建築を作るっていうことが今求められているんではないかなというふうに思っています。

南六郷ハウス
最後は,私がこの北山事務所に入所して初めて担当した1(南六郷ハウス 賃貸 単身者たちの共同体 2017)ですが,敷地は大田区の京急雑色駅から徒歩10分ほどのところにあって,活気のある商店街と裏には町工場が混在しているような地域です。木造アパートの建て替え計画なんですが,何か新しい時代に相応しいものを考えて欲しいということでした。
元々は,最も単純な1Kの住戸が1階に4住戸,2階に4住戸並ぶだけの典型的な木賃アパートだったんです。
提案のポイントは,1階の中央の二スパンにコモンダイニングキッチンとコモンバストイレをつくったことです。中央の2住戸は個室になるわけです。2階は4住戸ありますが,バストイレ付きで,1階のコモンも使用できるというシステムです。個室も含めて。階高を高く設定していて各住戸全てロフトを持っていて,多様な住まい方の余地はあると思います。「共同体」を成立させるテクトニクスとして,この個室同士の音はしっかり遮音できるよう,木造ですが,コンクリートスラブを打っていて,それがそのままテラスや外廊下になっているんです。8つの住戸全員がこのコモンへの入会権を持っているわけで,8LDKみたいな感じにも見えると思うんですけれども,南六郷ハウスと名づけたのは,まさに「共同住宅」という意味があるんです。コモンへの入り口に鍵をかけてしまえば,その6つのワンルームと2LDK一室っていうような風にも見えてくる。そうなると,もう普通のアパートと一緒というか,一室だけ大きい部屋を持ったアパートになる。設計者の想定としては,コモンダイニングによる「共同体」が生まれればいいなとは思っているんですけれども,経営者にとっては,2LDK, 3LDKみたいな貸し方もできる。時代の社会状況に合わせて,木質アパートの新たなプロトタイプみたいなものを提示できたんでではないかなと思ったんです。

南六郷ハウス
山本至 お話ありがとうございます。それでは,最初に青井哲人さんからコメントいただけますか。青井哲人先生は,明治大学で建築史,建築論を担当されており,学位論文を本にされた『植民地神社と帝国日本』,『ヨコとタテの建築論』と言った建築論,斎藤先生,布野さんと一緒に『世界建築史15講』といった本を書かれています。そして,今日も話題になると思いますが,「ジャジャハウス」という「自邸」,と言っていいでしょうか? 2023年に設計されています。
分散的「居住」モデル実験―「雑居」の可能性
青井哲人 江島さんとは先日初めてお会いしました(2026年3月7日)。「ハイパーミックス」という住宅複合体と「東向島の雑居」というご自宅の2つを案内いただいて楽しくおしゃべりしました。ご自宅の発表タイトルにある「雑居」という言葉が僕にはよい響きに感じられて,今日はこの言葉をひとつの軸にして議論ができればと思っています。
今日は妻も一緒に来ていますが,彼女と僕は夫婦で共同管理人というかたちで「ジャジャハウス」という家を営んでいます。その経験から興味が膨らんできたのが,「家のメンバーシップ」という問題です。ジャジャハウスに住み始めてまだ3年に満たないんですけれども,ジャジャハウスのメンバーシップはなかなか複雑で,一言で紹介するのが難しいものに育ってきました。個室が4つあるので,「シェアハウスですね?」と聞かれることがありますが,妻はその都度「シェアハウスじゃないんです」と答えています。僕らは若者のシェアハウスを経営する大家業じゃなくて,血縁のない人たちと子育てを終えた僕らが一緒に暮らすことの意味を考えていて,「非家族の共同生活」,「拡張家族」みたいなことを色々と言ってきました。ただ,それよりもうんと広い出入りがあり,メンバーシップの広がりや入れ替わりがあります。子ども食堂とかですね。こういうとらえどころのない感じをを一言で表現できる言葉が見つからないなと思っていたもので,「そうか,雑居という言葉があるな」と,江島さんに教えられたような気がしました。
ところで「ハイパーミックス」は何戸でしたっけ?
江島史華 各層8世帯,4層ですので,32戸です。
青井哲人 今日江島さんがお話してくださったいくつかのプロジェクトは,それぞれ全体の規模も,一室ごとの規模とかもかなり違うので,メンバーシップのあり方って少しずつ違うわけですよね。
僕は,これからますます流動化し,不安定化していく社会の中で,都市社会の単位,あえてコルビュジエ風にフランス語で言うなら「ユニテ」,英語ならユニットですね。何でもいいんですけど,社会の単位というものをどう考えればいいのか,ということに興味があります。それは第一次大戦後,あるいは第二次大戦の戦中・戦後に必要とされたような均一な標準化の話とは違う。21世紀のユニテはきっと一つではなくて,かなりたくさんの種類が出てくるんだと思うんですけれども,かといって無限ではなくて,一定の何か適合的なユニットみたいなものが現れて,互いに学び合うようなことをイメージしています。先日,江島さんと山岸さんとお喋りしたのはそんな話だったんです。
ただ,僕たちは現場を見ていろいろ喋ったからわかるんですが,今日の発表は淡泊すぎたような気がします。それぞれ,どんな人たちが,どんなふうに暮らしてるんですか?とかね。ハイパーミックスではAさんっていうすごい賑やかで世話焼きの女性に会ったりしたんですが,今日の話にはでてこなかった。ハイパーミックスは江島さんが北山事務所に入る前に北山事務所が作った建物で,入所したらそこに住みなさいって,社命で住むことになったっていう経緯とか。そこでの学びに満ちた雑居経験とか。そういうリアリティを補足的にお話ししていただくのがまずはいいんじゃないかと思います。
もう一つは,建築家にもいろいろあると思うんですが,すごく特異なシンギュラーな解答を見つけて,それが普遍につながるんだというスタンスの建築家がいますよね。しかし,北山恒さんとか江島さんはすごくジェネラルな問いの立て方をしますよね。つまり一般性っていうことを考える。俺がこれだけ突き詰めたんだから普遍につながるに決まってるみたいなことではなく,ドライにジェネラルなものを求めている。でも,一般性があるっていうのはどういうことなのか,これは結構面白い話のはずで,そのあたりをもう少し聞きたい。先日お話をうかがってよくわかりましたが,江島さんは生粋の北山チルドレンのようです。Y-GSAから今まで,北山さんからどんな建築的シャワーを浴びてこられたか。そういうことをお話してくださると,皆さんが江島さんを理解しやすくなるんじゃないかなと思います。
山本至 2点について,重なり合う形で結構ですので補足してもらえますか?
江島史華 私は元々川崎出身なんですが,両親が離婚して,東向島のような東東京に住むようになったのが結構大きいと思っています。「蟻の街」の話をしましたが,同じような人たちが集まっていて,みんな頑張って生きていて,みんなで様子をうかがいながら生きている感じっていうのが衝撃的だったんです。本来人間っていうのはこうやって生きていくんだ,ユートピアとはこういう世界だみたいなことを思ったんですね。
横浜国立大学に入って,社会の問題だとか都市の問題だとかを建築が解決していくんだっていうような,強い何か精神みたいなものをずっとこう刷り込まれたんですね。あとは制度を疑っていきなさいということですね。あなたが当たり前に生活している,その社会っていうのは少しも当たり前のことではなくて,自分の手で変えていかなければいけないというようなことを繰り返し繰り返し叩きこまれて,自分の家族のこととか,今まで住んできた家がどういうものだったのかを本気に考えるようになったんです。
山本至 「ハイパーミックス」も「東向島の雑居」も,メンバーシップの出入りの自由度をどう捉えるか,という共通のテーマがあるというのは分かりますが,「横浜の架構」はかなり違いますよね。まずその違いを説明してもらえると面白いのかなと思うんですが,どうですか。
江島史華 「横浜の架構」は基本的には専用住宅で,3人家族なんですけれども,当然3人だけで住むという条件を求められたわけなんですけれども,お施主さんと話している中で,この地域を選んだという理由がある。どこの場所でもいいわけではなくてこの地域に住みたいという思いがあった。敷地探しからかかわったわけですが,その地域に住むっていうことは,敷地の周りと関わっていくということだと思ったんですよね。必ずしもその住宅自体にその開かれた装置がプラグインされていなくても,その建築自体が,街に対して開いていく,そういう要素を作ることができるのではないかと考えたプロジェクトではあるんです。登場人物としては3人だけですが,玄関も開けちゃうと,向かいに小学校があるんですが,いろんな関係が発生するんじゃないか,ということは考えたんです。
布野修司 ちょっとだけ確認させていただいていいですか?山留があるわけですよね。敷地は水平投影面積だから,山留の上も利用可能ということですよね。架構システムはそれを前提として組み立てられていて,増築しても荷重に耐えるように考えたということですね。それは面白いと思うし,周辺に開かれているという,インパクトある表現になってますね。ただ,他のプロジェクトとは,至さんがいうように,様々なメンバーに開かれている集まって住むかたちとはやや違いますね。
青井哲人 他のプロジェクトと共通していると思うのは,非常にニュートラルなフレームをまず設定するということですね。しかし,占有部として了解されるエリアが狭くて,全体としては,領域構成という点では大幅に「破れ」があるというか,綻びや揺らぎがあって,リジッドではない。そういう構成が全てのプロジェクトに共通していると思うんですね。一方,「横浜の架構」だけが今日のお話の中ではやや議論に乗りにくいなという印象があります。それは,分かりやすくいうと鍵の管理の問題です。つまり「メンバーシップ」の問題にはそれを切り分けるラインの問題がつねにつきまとうはずで,そこに面白さがあるんだけれど,これは基本的には核家族の家ですから,それがない。今回,フレームの「ニュートラル」さ,領域設定の「破れ」,そしてメンバーシップのなかの色々なセキュリティの「ライン」といったところに,最終的には表現の問題までもかかわってくるはずで,できればそこまで議論を深めていけたらなと思っています。
山本至 ある一般化された家族に向けてだとしても,江島さんが作る以上は,そのプランの中に一般化されたものとは違う要素を取り入れようとしてると思うし,そういうものがどこにあるのかをもう少し突っ込みたいとも思います。本日のキーワードをいくつか出すとすれば「雑居」であり「柔らかなコレクティブ」であり「メンバーシップ」ということになるかと思いますが,青井さんのコメントに従って,「東向島の雑居」について,具体的な説明をもう少しお願いできますか。
ハイパーミックス
江島史華 「東向島の雑居」は私の自邸で,誰が所有しているかと言えば,私と配偶者である山岸です。あと保護猫を受け入れましたので,猫が1匹一緒に住んでいるわけです。メンバーとして現れるのは,地域の人というわけではなくて,親しい友達だったりするんですよね。近辺に来たから1階とかでくつろいでいく。今日参加している彼は施工者なんです。彼は使い方をよく知っているからよく訪れます。山岸の友達で,独り身の人がどんどん集まってきて,週末には大体いるんです。今は住み始めてそんなに時間は経っていないので,メンバーシップとしては大体そのような感じかな。
私が一つ前に住んでいた北山事務所が設計した「ハイパーミックス」では,働いている人もいるし,どのような部屋の借り方もできるっていうような,そういう「共同体」だったんですよね。結構長く住んでいましたので,その時の友人たちとは何らか繋がっていてここで何かあれば集まってくるような,そういう関係性はずっと持続しています。今のメンバーシップとしては,大体この建築の使い方を知っている人っていうことになります。今後この仕掛けみたいなものが積み重なっていって,地域に住んでいる人にとっても関係のある建築と思われて,地域の人たちが入ってくる余地っは多分あると思います。まだそこには行っていないわけですが,難しいというか,何と言ったらいいかはよくわからないんですけれども,誰でも来ていいとは思ってないんですよね。誰にだって開かれているわけではなくて,共感するものがいる。それがメンバーシップということだと思うんです。良い関係を作れるような人に入ってきてほしい。しかし,1階で誰かが商売を始めるとしますね。友達だと距離が近すぎて何かトラブルになりそうなわけだけど,あんまり知らない人だったら逆にいいなとか,そういうこともありますよね。

ハイパーミックス
ジャジャハウス

ジャジャハウス コモン
青井哲人 「ジャジャハウス」のメンバーシップについて少し説明しますね。それはどうやら4つぐらいの層に分けられそうです。最近整理ができるようになってきました。
第1層は我々夫婦です。家のオーナーなんですけど,僕らは「管理人」と言っています。管理人2人からなる集合です。前面道路からするっと入るとジャジャハウスの2Fなんですが,その2Fに会所と読んでいる公共空間というか,公民館っぽいフロアがあり,その奥のバックスペース的な位置に我々管理人の宿直室(寝室)があります。
第2層は,1Fの4室に住む若者たちです。そのフロアだけ見るとシェアハウスっぽく見えるんですけど。まあ「同居人」ですね。第1と第2の層がリズムが合う時には一緒に食事をしたりとかします。ここまでが日常生活の層です。
第3層は,2Fの会所を使って子供食堂をやったり,街づくりの会合をやったり,音楽会やったり,いろんなことを持ち込んでくる人たちです。様々な集まりの「運営者」ですね。
そして,第4層はそういった集まりの参加者で,利用者と呼ぶのがよい場合もあります。僕らはできるだけそういう集まりに参加するようにしているんですが,皆さんを覚えるのは無理で,あのひと前にお喋りした気がするけど誰だっけ,ということも多い。
このうち第3層の運営者の皆さんは,地域の街づくりの顔役というか,タレントたちですね。高齢者支援とか子育て支援とかの福祉方面で活躍している方々,あるいは景観街づくりなどで頑張っておられる建築・都市計画専門家とか,いろんなグループがあって,うちに来て何かやる。だから第3〜4層は地縁が基本的になりますが,そこに第2層の同居人たちが異質なひとを連れてきてくれたりすることもありえます。同居人は,一応大人で自立している人を想定していて,彼らには自分のコミュニティがあり,仕事のつながりがあったり,パートナーシップがあったり,いろいろネットワークを広げてくれることもありますし,彼らが運営者になる。管理人不在のときに活躍してもらうことも期待できます。
わたしたち第1層の管理人は,第2層の人たちと第3層の人たちを,この人たちなら大丈夫だな,考え方が共感できるな,一緒に積極的な方向を考えていけるな,というようなことを判断する立場にあります。第3層の皆さんが持ちかけてくる提案,企画についても,それはいいですね,ということになれば,具体的な運営の仕方を協議して,こういうやり方でいきましょう,ルールはこうしましょうと一緒に調整をする役割をしているんです。その運営ルールのなかで,第3・4層の方々に負担していただく使用料(少額)も決めています。
こういった諸関係が多層的にあって,それをいつも調節し続けることになる。それを「雑居のガバナンス」と表現できるんじゃないかなと思います。先日江島さんとお喋りをした後に思いついた言葉です。雑居というと統制がきかない危ない場所のことで,為政者が取り締まらなくちゃならない場所をこの言葉で指すわけですが,この際,閉鎖系の家族空間のオルタナティブを考えるために「雑居」をポジティブに捉え,それをつくり出す方法,そして維持しつづけるための統治技術といったものを考えるのが面白いんじゃないかと思ったのです。かたい言い方ですが,まああえて言うと。
この間も,シェアハウスの研究者がジャジャハウスに来られて座談会みたいなことをやったんですが,その人もシェアハウスを運営していて,共同生活のメンバーシップって結局ひとが変われば関係性も少しずつ変わっていっちゃう,だから作り直し続けるんですとおっしゃっていました。逆にいえば公共施設,あるいは民間のサービス施設なんかでは,あらかじめルール決めて一律に従ってもらわないと不公平,という考え方になるんですが,それをやっちゃうと施設になってしまいます。これは実は「コモンズの悲劇」っていう議論とつながるはずです。コモンズっていうのはなんか限られたメンバーシップの中でいいね,いいねってじゃれ合っていると,そのうち排除が進んでコモンズの基盤を破壊してしまうわけですが,じゃあ一律のルールと杓子行儀な公平性ということでいいのかといえば,それは場の魅力を削ぐ。いったいどうやったら「雑居」を維持できるか,そのガバナンスはどう成立するかということですね。
山本至 「東向島の雑居」というお二人のお住まいの場合はこれからどう展開するかがまだ未知数かと思いますが,今の青井先生の「雑居」のガバナンスについてはどう考えますか。
江島史華 私が学生の時には,「シェアハウス」はすごくいいんじゃないかっていう風に言われていて,実際に住んでみたりもしたんですが,基本的にはシェアしないと生きられないような状況をあえて作っていると思いました。だけどそれはとっても息苦しいということもあるんですよね。「東向島の雑居」というのは私という所有者がいて,その管理下にあって,入居者をコントロールできるっていう状況を作っている。「ハイパーミックス」の場合,みんなが心地よくするにはどうしたらいいのかな,なかなかしんどかったですね。家族も,家の中で閉じ籠っているより社会の中で家族として認められたい,そういう気持はあるので,今の目標としては,ここが地域に認知されることですね。ただ,じゃあどうすればいいのか,運営関連の問題なのか,なんかイベントをやれとかっていうことなのか,私はわかっていないんです。
山本至 「雑居」のガバナンスについては,ルールの決め方の問題があると思うんです。ルールというのは,「セレクション(選別)」と結びつきますよね。「雑居」もひとつのコミュニティですが,それは支配階層からは敵対的な集団になる場合が少なくない。家族でも,その家族の中で独自の「ルール」「セレクション」が存在しているじゃないですか。例えば,旦那さんの会社の人とか奥さんの会社の誰かがパートナーと相性が悪いからその人だけは連れてこないでとか。しかし,お二人が今住んでるところで作られてるルールって,今言ったようなレベルと違うような気がします。ルールがあるかないかとか,選別があるかないかというのは,コモンズそしてコミュニティの基本問題ですよね。山岸さんもいらっしゃってるのでお話伺ってもいいですか。
山岸亮太 建築家としての言い方になるんですが,端的に言えば,人と人の関わり方の理念に共感しているかどうかということですね。自分たちのためだけに閉じられることだけには使ってほしくない,人を拒絶するようには使ってほしくない,そういう考えの人には来てほしくないとか,そのぐらいのことですね。ルールについて突き詰めて考えてはいなかったんですけど,オープンにしている部分は綺麗に保つとか,片付けて私物を置かないとか,取られちゃダメなものは置かないとか,基本的なルールはありますね。この家をなんで開こうと思っているかというと,2人だけの関係だけで空間が出来上がってしまうと,だらっとしてしまうという気はありました。私も学生時代シェアハウスで暮らす経験していて,集まって住むことってすごい楽しいし,いろいろ面白い発見がある。しかし一方,シェアハウスにいる人たちだけの空間になってしまうと,空間がすごく「だらっとする」,その気持ち悪さも感じたんですね。
山本至 流れでいうと「だらっとする」というのは「ルール」がなくなっちゃうということですね。
山岸亮太 「東向島の雑居」は,2人の関係性だけで成り立ってる空間ではなくて,誰かが来る可能性がある,外から見られる,2人のものじゃない,だから綺麗に保とうというのが基本になるとか,2人の関係性の中にも何か別のものが入ってくるっていう状態が,我々にとっては心地いい状態かなと思ってるんです。しかし,2人で暮らしてる時間が長くなってくると,2階もだんだんぐちゃぐちゃになってきたりとか,2人のものが溢れてしまったりみたいなところも予想しています。元々コミュニティを作りたくて開いたわけではなくて,2人の関係を調整するために開いてるというのが大きいというところが正直なところです。ただ,祭りが盛んな地域で,祭りの時は,実際,軒下が集まる空間になるんです。浅草も近いんで,外国人が結構興味を持って写真を撮ってくれたりすることもあるんです。英語で案内書いて,一時的に外国人を受け入れるみたいな開き方とかもあるのかなとか日々考えているところです。
青井哲人 夫婦だけだとダラっとしてしまうと山岸さんがおっしゃいましたが,その前に,そもそも夫婦だけに閉じる状態の怖さっていうのもありますよね(笑)。先日もおふたりがそれをかなり強く言っておられたのが印象的でした。「雑居」というのは,そういう閉じた共有の強さがもたらす息の詰まるような感じを壊してくれます。属性が違う人が集まり,かつ自由に出入りがある。この出入り自由な多様性みたいなことが,お二人が考えている「雑居」のポイントかなと思います。
「ジャジャハウス」に住みたいという人がいた場合,子供食堂とか地域系のイベントがある時に来ていただくんです。どういう家なのか理解してもらえるし,イベントに参加してもらうと,共有感が高まるということもある。お話しするのはルールというよりは,事例を説明するっていう感じです。特にキッチン周りでどういう生活がイメージできるかとかね。一応住み始める時には共同生活規約というのを結びます。第1条には雑多なメンバーで共同生活をすることのメリットを最大化するよう努めること,みたいなことを書いてあって,以降具体的なことを共有します。たとえば1Fの各室では DIYをやっていいよ,ということにしてあるんですが,構造用合板をあらわしにしてある割合がすこしずつ違う。一番自由度が高いのはアトリエとかスタジオとかオフィスとかに使えるイメージで作った部屋なんですが,床も壁も天井もビス打ったりしてOKです。
所有の問題
布野修司 「ジャジャハウス」の場合も「東向島の雑居」の場合も,基本的に所有関係は,はっきりしてるわけですね。「雑居」とか,「シェアハウス」とか言っても,オーナーがはっきりしていて,賃貸契約によって運営されている。「東向島の雑居」の場合は,他人に賃貸することは前提にはなっていないかもしれない。戸建住宅を「家族」に閉じないで,社会や地域にどう開いていくかということがテーマであり,その解答案についての提起ですよね。
しかし,そうした提起がどういう地域なり,社会をかたちづくっていくかについての議論にはいまのところなっていない。いろいろ問題がある,青井さんは,都市社会の単位,ユニットをどう考えればいいのか,どういうかたちに可能性があるのか,多様なかたちの中に一定のかたちが何か出てくるんじゃないかという問題意識を持っている。僕もその問題意識は共有していますが,2つの事例が一般的な解答になるということはないんじゃないかというのが直観です。青井さんが言うように,共同生活を維持していくためには,無限の調整が必要になりますし,空間の所有関係を支配しているのは,不動産メカニズム(ディール)だからです。また,法的な壁があります。あまり議論になってきませんでしたが,「本と公園と子ども」でコモンと呼ぶスペースを設けるだけでも大変なんですよね。集合住宅,マンションの場合は,区分所有法があります。土地,構造躯体,階段・廊下・ヴェランダ,集会所などを共有し,管理組合が管理し,居住者は住戸内のみ専有・専用するかたちですね。
契約上のルールの中でやれることはある。「ジャジャハウス」も「東向島の雑居」も,かなりラディカルな提起を含んでいると思います。「本と公園と子ども」も,コモンの質を階ごとに変える興味深い試みだと思います。区分所有法の下でも,共有空間を拡大することは可能なんですが,ディベロッパーは建設コストや管理の問題を口実にトライしないんですよね。建築家がもっと意欲的に取り組むべきなんです。「コモン」とか,「中間領域」とか,「閾」とか,建築家は言葉だけは言い続けてきてるんですが,法的な枠組みと不動産メカニズムを突破できない。
ただ,「雑居」というのはちょっとピンとこない。『群居』という同人誌を20年間出したんですが,まあ適当につけたんですが,ほぼ同じ時に,芥川賞作家丸山健二(1943~)の『群居せず』が出た。松山巌さんが後に『群衆 機械の中の難民』(1996 読売文学賞1997)を出すんですが,多数の人間がある感情に突き動かされる状況,今日でいえばSNSを介した「推し活」によって動いていく世界にして,丸山健二の主張は,「個」にこだわる,「個」が自立するのが「近代的自我」の成立ということですよね。しかし,「雑居」というのはどういうことか。そして「雑居のガヴァナンス」とはどういうことか,ということですね。むしろ,食堂とか,雑貨屋とか,エステでもいいというのが「雑居」ではないか,という気がしないでもない。「雑居」というのは,文化的背景を異にする人々(外国人)が共住する状況について用いられてきたんだと思います。青井さんがいうように,様々なトラブルが起こることから「市中雑居を許さず」というセグリゲーション(ゾーニング)が行われてきた。中国だと「蕃坊」ですね。
ただ,「ジャジャハウス」も「東向島の雑居」も「雑居」じゃないんじゃないですか。家族の問題であり,家族と周辺地域,コミュニティとの関係のあり方であり,そのための「ルール」がどうあればいいのか,突き詰めると,法的根拠はなんだということになると思う。
安藤正雄 「ルール」については,禁止するルールっていうことになるけど,やめるルールも必要だと思うんですよね。シェアハウスの場合,いろいろ問題が起こりますよね。嫌われものも出てくる。面白いことができても壊しちゃうとか。定期借家権が設定してある場合には,時間を組み込んだ「ルール」がいいのではないかと思うんですよ。所有権と利用権の間にもう少し緩やかな「ルール」があるといい。日本は,所有権が,旧借地権などいろいろあって,新しく少し変えたところもあるけれども,定期借地,借家と利用権と所有権の間に「ルール」が必要なんでしょうね。
布野修司 イスラーム圏では,シャリーア(イスラーム法)があって,自分の家の前の一定範囲,フィナーというんですが,これは自由に使っていいんです。こういう相隣関係については,京町家でもあったんです。通りに物売り台を出してもOKだし,掃除するときには両隣半間ぐらいは合わせて掃くとかね。
山本至 賃貸と区分所有の話は,僕も興味があって,やっぱり皆さんに聞いてみたいところだったんです。僕の実家は「GAZEBO」(山本理顕設計工場)という名前の雑居ビルなんです。雑居ビルというからには,いろんなテナントが入ってきて,さまざまな個性を持った集団が出入りする場になるかと思っていたら,結局オーナーが自己運営している,雑居ビルというよりは大きな自邸のような使われ方に留まっているんです。したがってオーナー自身も想像できないような想定外の人々の出入りがない。もちろん,オーナーは自由にできるわけですし,全てを自己運営しても面白いことは可能かもしれない。ただ,単一の個人が運営をするためには相当に面白いルールが存在しないと難しいですね。一方で複数人が同時に所有している区分所有なんかだと,各々が所有者になるから,関係の調整は難しくなる気がするんですが,多種多様な人の出入りがある分,面白くなる可能性も秘めているのではないかと。区分所有の建物で,例えばそのコミュニティを作ったりとか,あるいはそういう調停をしていくことがうまく行ってる事例っていうのはあったりするんですか。
布野修司 管理組合がしっかりしていて和気あいあいというマンションもあると思いますよ。しかし,長い間,団地に住んできてるんですが,規模にもよるんでしょうが,世の中いろんなひとがいますよ。子どもの声がうるさいと,嫌がらせして追い出した人がいた。代わりにお巡りさんが入居したら,おとなしくなったとかね。毎年の管理組合の総会でだらだらと質問をし続ける人がいる。様々なサークルができたりはします。また,「草取りコミュニティ」と呼ぶんですが,月に一回,階段室ごとに情報交換する機会もあります。しかし,それ以上に何かが起こるわけではない。管理組合はしっかりしているほうだと思うけど,メンテナンスの問題,大規模修繕の積立金,空き家問題,それと少子高齢化はいかんともしがたい,孤独死も起こったりしてる。今年,マンション法が改正されたんだけど,建て替えのための合意形成要件の緩和だけですね。さっき営利目的の入居者は排除するという話があったけれど,管理組合としては,店舗とかシェアオフィスを入れて稼ぎたいんだよね。空家に学生をただで住まわせて高齢者の世話をしてもらうとか,話だけはしてるんだけどね。
青井哲人 私たちが考えているのは,常識的な私的所有権をむしろ前提としても,家のメンバーシップを工夫して,家を出発点として社会的な諸関係を広げていくモデルをつくりうるだろう,そうして家を新しい流動的社会のインフラにしていけないだろうか,ということです。そういう動きは様々出てきているはずです。
布野修司 いろんな面白い動きは出てきてると思います。先日,神戸に行ったら,西村周治さんと三宅陽子さんがやってる「合同会社廃屋」の「梅村」に案内されたんだけど,空家・廃屋を次々に買ってリノベーションしてるんです。神戸では有名らしいけど,学生や外人,ミュージシャンなんかが出入りしていて楽しそうなんだよね。
また,関東圏だとルーヴィス(カリアゲ)というグループがいる。オーナー負担ゼロで空家を再生するというんです。空家を定期契約で借りて,リノベーションし,それを賃貸するんです。空き家をそのまま貸してください。リノベ費用いりませんってね。これはものすごい需要がある。空家は1000万戸あるんだから。
家族システムー核家族と「共同家族」ー
山本至 もう一つ考えたいのは家族です。家族のあり方は人類史と共にいろいろ変化してきてるわけで,核家族が一般的なわけではない。日本の場合は,伝統的には直系家族が一般的であったわけですね。しかし,戦後,核家族が一般的になり,分解するところまで分解が進んだ。今の日本の社会はほぼほぼ核家族か単身者かのいずれかで構成されていると言ってもいいぐらいになりましたね。子供の時は核家族で,いつかは単身になる。また核家族を作る人もいるし,そのまま単身のままでいる人に,大きく二分化されている。それ以上の集団を作るというと,「シェアハウス」もあるけれど,そのモデルが広く一般化されるのは今のところ難しそうでもあります。しかし,夫婦とその子供っていう関係に閉じていると,住宅は閉鎖的無限責任空間になって,辛いという人がたくさんいます。様々な問題が起こった時に背負わなきゃいけない負担があるということだけじゃなくて,日常的な摩擦を家族内で解決しなきゃいけない,そういうプレッシャーを受けている人は結構多いんですよ。国や自治体による公共サービス,税金によるサービスは頼りにならない。民間のサービスには費用負担が必要だし,いろんなサービスが行き届かない層は沢山いると思います。そういう中で,それぞれ身の丈に合った家族の変容の形を許容できれば,新しいメンバーシップを作り出していける。日常のその苦しさみたいなのは相当なくなるだろうという気もするんです。
布野修司 ちょっとだけ解説的発言をしておくと,「周辺地域の保守性原則(PCZP)」というのを持ち出して核家族が家族システムの起源と言い出したのは,E.トッド(『家族システムの起源』(2011)以降)なんですね。エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(1884)が書かれていて,国家や一夫一婦制,私有財産,奴隷制度,賃労働を自明のものとする歴史観に対して,それらは歴史的にある条件のなかで生成したものに過ぎない,その条件が解消されれば,異なる社会が形成されると共産主義社会を展望してきた歴史があるわけですが,一般には,大家族制による共同体を解体するかたちで成立する近代資本主義社会は,一夫一婦制による核家族を社会の基本単位としてきたわけです。しかし確かに,歴史的には多様な家族システムがあるわけです。僕が東南アジア学の手ほどきを受けた時に,東南アジアの家族システムは一般的に「双系制」で,すなわち父方でも母方でも相続でき,同居できる,また,スマトラのミンカバウ族のように世界最大の母系制社会を形成する地域があるとか,東日本は父系的で長子相続だけれど,西日本は末子相続が一般的だということを知ったんですね。E.トッドは,ソビエト連邦の崩壊を予言した『第三惑星―家族構造とイデオロギーシステム』(1983)の段階では,「絶対核家族」「平等主義家族」「権威主義家族」「共同体家族」と4類型だけだったんですが,その後,全世界の家族システムの情報を集める中で10数類型になってる。それだけ,家族システムは多様であるということです。
家族システムの起源については議論がある。僕はトッドに一理あると思ってるんですが省略します。核家族すら解体していく状況の中で,どういうコモンズ,コミュニティ,コミューンが展望できるかということは,「共同体」の問題としてずっと問われてきているわけです。一夫一婦制,核家族にしても西欧社会がスタンダードになっている。血縁関係からどのように独立した集団が作られていくかについては,中世カトリック教会の「婚姻・家族政策」伝統が決定的であったという主張があります(ジョセフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた――人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』『WEIRD「現代人」の奇妙な心理 :経済的繁栄,民主制,個人主義の起源 』)。逆に言うと,西洋社会はかなり珍しいタイプの社会であったということですね。WEIRDといってますが,西洋の(Western),教育を受けた(educated),工業化された(industrialized),豊かで(rich),民主的な(democratic)背景を持つ-「風変わりなWEIRD」集団にすぎない。貧しい男性が配偶者を持てないと未婚男性が大量に発するわけです。そうすると,若年男性は,暴力,犯罪などに走るから,社会的不安定が生じる。一夫一婦制は,男性間の極端な競争が緩和される,つまり,生殖競争を市場競争へ転換する制度であったという指摘ですね。
『はてしなき現代住宅 1989年以後』(2024)という本を出したんですが-残念ながら,「東向島の雑居」も「ジャジャハウス」もとりあげられなかった-,日本の総世帯のほぼ5割が核家族世帯だけれど,夫婦のみ世帯が2割,夫婦+子供の本来の核家族が4分の1です。単身世帯は既に約4割で,残りはシングル・ペアレントの世帯です。世界に先駆けて少子高齢化社会に入った日本は大きな実験場だと思います。
山本至 もう一ついいですか。集まってすむかたちというのがテーマになってるんですが,人と距離を取るためのプランニングもあるのでないか。例えば夫婦であっても親子であっても,距離感っていうのが大切ということもあるんじゃないか,一つの家の中で建築家に何ができるかというときに,距離を取る仕掛けも建築家の役割ですよね。
布野修司 「関係を編み出す装置としての建築」ということについては違和感があるというか,建築を学んだ時からずっと考えてきたことなんです。至さんが言うように,距離を取るということは基本的に建築がやれることだし,やってきたことです。監獄,刑務所,城塞,トーチカ,強制収容所,・・・。しかし,関係を編み出せるのか?ということについては,そんなことはありえない,建築家が用意できるのは,関係を編み出せそうな空間を可能な限り用意することだけではないか?多分,みなさんはご存じだと思うけど,上野千鶴子さんは「空間帝国主義」と言いますよね。建築家が,ここでコミュナルな交流が起きるであろうという空間をつくっても,「不良」のたまり場になったり,ゴミ置き場になったり,建築家の社会観,コミュニティ観,家族観を押しつけるだけではないか。
宇野求 完全に個人が独立して集積してる状態を作る。その方が建築家は楽なんですよね。僕の家は完全に完全に個室になっていて,完全に分離しているんです。敵が襲ってきた時に逃げられるっていう考え方で古来からある。僕の師匠の原(広司)さんの自邸もそうなっている。
布野修司 原自邸は,エントランスから階段を降りていくと,天井の高い素敵な共有空間がある。その突き当りの上部左右に若菜さんと二人の個室がある。面白いのは,二人の個室の間にブリッジがかけられる仕掛けになっていて,そのブリッジは若菜さんの方からしか掛けられないんです。
山本至 江島さん,青井さんの試みはどうしたら普及していくんでしょうか。青井さんは,実験的な試みが水平的につながっていくことを期待するということでしたが,モデルになれば,商品化されていく可能性もあると思うんですけれども。
青井哲人 僕が「ジャジャハウス」を説明する時に言うのは,ライフサイクルを考えましょう,子供が出て行った後の家族はどうなるでしょうか,ということです。子どもは自由ですから,親元から出ていくことは当然の権利です。重要なのは,子どもが出ていった家族はメンバーシップが縮小し,ますます小さな閉鎖系になり,やがて病院や施設へ移り,空き家が生まれる,というのではないライフコースを考えることです。むしろ,子育てを終えて自由になった大人たちなら,半世紀にわたる人生の経験値や知識や人間関係の蓄積を活用して,自分なりの豊かなメンバーシップのあり方を実験できるんじゃないか。それはライフサイクルのなかで第2の人生をデザインすることですよね。そして,それが他者を巻き込むということは,社会をじわじわ組み替える可能性も秘めているということです。こんなふうに考えると,役割を終えたと言われて久しい建築計画学が,これから21世紀の実践的社会科学として活況を呈していくんじゃないかという気もします。
山本至 二時間半ぐらい経ちましたが,会場オンラインで参加の方で発言がありますか。
吉田拓郎 工学院大学では山本理顕さんと一時期一緒でした。布野さんの団地には私の妹の家族が住んでいて,お子さんと小学校の友達だったり,それなりに親しみのある団地なんです。布野さんのところの管理組合は機能しているということなんですが,管理組合がうまく機能している事例は私の感じでは少ない。築40年を超える分譲マンションは約150万戸ありますが,20年経てば500万戸近くになります。その多くは,区分所有者の高齢化 ,修繕積立金不足 ,空き住戸増加,建替え合意形成の困難といった問題を抱えています。全国のマンション建替え実績は累計でも300件未満,約2万戸程度にとどまっているんです。都市再生,防災上の大きな課題です。
神田順 今日は,家族の在り方とか,住まい方の違いがいろいろ表れてきているということを非常に興味深く伺っていたんですが,「雑居」については,下宿人を住まわせるかたちとそんなに違わないのかなとかいうようなことが印象としては残りました。それとシェアハウスで非常に心地よく生活をして,家族ができると別の形の住まいに移るというようなことがあるのかもしれない,息苦しさを覚える,自分には合わないというような人にはワンルームアパートはいくつもある。どういう住み方をしたいのかっていうことがもっと見えてくると,都市の中でどういう形で,住宅をつくっていくかがはっきりしているのではないか,というようなことを考えながら聞いていました。
山本至 それでは斎藤先生締めの発言お願いできますか。
斎藤公男 とても面白くて,僕らにも楽しめました。最初は,趣旨にある「関係性を編み直す装置としての建築」とか,「快楽」とか,一体何だろうと思って聞き出したんですが,自分の住まい遍歴を思い出していました。いろんな人との関係,そのまとまりですね。中学時代の戦争すぐ後の町内では,縁側を全部解放して逃げてきた町の人たちが集まってきたとか,大学に入って東京へ来たら4年間は下宿で,お風呂はもちろんないですし,共同バス。それでもなんか結構楽しかった。結婚して子供ができて,孫もできて,そして誰もいなくなって。いま,介護施設に入ったらどうなるのかを観察しようと思ってるんですけど,行ってみると同じ年齢の九十歳近い人が多いんですよ。しかし,みんな違いますよね,求めるものが。教養のサークルの部屋なんかがあって,歌うのが好きな人や,いろんな好みがあって,それぞれ選んでるわけです。年齢と自分の身辺と環境で選んで変わっていくんだろうと思うんですよ。
今日のテーマで,何度か出てた実験的って言葉はすごくいい。面白い。人生ってのは実験の積み重ねじゃないかと思うんですよね。僕は,物語性と言ったりするんですが,そういう提案していく。それは変わっていっていいと思うんです。そういう実験の場をつくっていくこと,ぜひ頑張ってもらいたいと思います。

ジャジャハウス コモン




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