『ジードルングの思想と集合住宅――日本の過去・現在・未来』03

ワイセンホーフジードルング―敗戦後ドイツに現れた「未来住宅」の実験場

田 中 辰 明

ドイツにおける近代建築の歴史を語るとき、1927年に開催された「ヴァイセンホーフジードルング(Weissenhofsiedlung)」は、避けて通ることのできない出来事である。それは単なる住宅展示会ではなく、第一次世界大戦後の疲弊したドイツ社会が、新しい生活の形態を模索した、ひとつの文明的実験であった。敷地内にはヴァイマール共和国初代大統領フリードリッヒ・エバート大統領のレリーフもある事から、国家プロジェクトに近い形で行われたものと推測される。(写真-1)

写真-1 フリードリッヒ・エバート大統領のレリーフ

この住宅展は、南ドイツの都市であるシュトゥットガルトの丘陵地ヴァイセンホーフにおいて開催された。主催したのは、19世紀末以来、工芸と産業、芸術と技術の統合を目指してきたドイツヴェルクブンドである。そして全体計画の責任者として指名されたのが、後に20世紀建築を代表する存在となるルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエであった。(敷地配置図挿入)

第一次世界大戦後のドイツ社会

1914年に始まった第一次世界大戦は、ドイツ帝国を深く疲弊させた。戦場の多くは国外にあったため、ドイツ本土そのものは第二次世界大戦ほど物理的破壊を受けたわけではない。しかしながら、国家の財政は膨大な戦費に吸い尽くされ、経済は混乱し、社会は深刻な住宅不足に陥った。

図 ヴァイセンホーフジードルング 敷地図

戦争中、住宅建設はほとんど停止していた。さらに敗戦後には復員兵が都市へ戻り、急激な人口集中が起こる。インフレーションは人々の生活を圧迫し、とりわけ労働者階級にとって衛生的で快適な住居を得ることは極めて困難であった。

当時のヨーロッパ都市には、19世紀以来の重苦しい歴史主義建築が並んでいた。過剰な装飾をまとった住宅は建設費が高く、しかも大量供給には向いていなかった。そこで建築家たちは、より簡潔で、機能的で、工業化に適応した新しい住宅のあり方を求め始める。

ヴァイセンホーフジードルングは、まさにその時代的要請のなかから誕生したのである。

ドイツヴェルクブンドの理念

ドイツヴェルクブンドは1907年に結成された団体であり、芸術家、建築家、企業家、工芸家らが参加していた。その目的は、芸術と産業を結びつけ、高品質な工業製品と新しい生活文化を創造することであった。

この理念は後のバウハウスにも大きな影響を与える。

ヴァイセンホーフの計画においてヴェルクブンドが目指したのは、単なる「美しい家」を見せることではなかった。むしろ、近代社会において人間はいかに住むべきか、その新しいモデルを提示することであった。

展覧会の正式名称は「Die Wohnung(住居)」である。この名称そのものが象徴的である。焦点は豪奢な建築ではなく、「住む」という行為そのものへ向けられていた。

ミース・ファン・デル・ローエによる全体計画

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、この計画の総合ディレクターとして招聘された。

ミースは当時まだ現在ほど世界的名声を獲得してはいなかったが、既に近代建築の旗手として注目されていた。彼はヴァイセンホーフの計画において、各建築家に大きな自由を与えながらも、全体として統一感ある住宅群を構成した。

特徴的なのは、白い外壁、平坦な屋根、水平窓、装飾の排除である。これは後に「インターナショナル・スタイル」と呼ばれる近代建築の原型となった。

ミースは、住宅を「機械時代にふさわしい合理的な空間」として捉えた。彼にとって建築とは、歴史的装飾を再現することではなく、現代生活の秩序を形にすることであった。(写真-2)

写真-2 ミース・ファン・デル・ローエ設計の集合住宅

世界的建築家たちの参加

ヴァイセンホーフには当時最先端の建築家たちが集められた。

その参加者には、

  • ル・コルビュジエ
  • ヴァルター・グロピウス
  • ハンス・シャロウン
  • J.J.P.アウト
  • ブルーノ・タウト

など、ヨーロッパ近代建築を代表する人物が含まれていた。

彼らはそれぞれ異なる思想を持ちながらも、「新しい時代の住宅」という共通テーマに向き合った。

たとえば、ル・コルビュジエは、住宅を「住むための機械」と定義し、合理的で衛生的な生活空間を追求した。彼の住宅では、ピロティ、屋上庭園、自由平面といった後年の代表的理念の萌芽を見ることができる。(写真-3,写真-4)

写真-3 コルビジュエハウス

写真-4 コルビジュエハウス内部

一方、ハンス・シャロウンは、より有機的で柔軟な空間を志向した。近代建築といっても、必ずしも単一の様式ではなかったことが分かる。

近代住宅の特徴

ヴァイセンホーフの住宅群には、当時としては極めて革新的な特徴が数多く見られた。

第一に、装飾の徹底した排除である。

19世紀住宅では、柱頭装飾や歴史的意匠が多用された。しかしヴァイセンホーフでは、それらはほとんど姿を消している。建築は純粋な立体として構成され、白い壁面と水平線が強調された。

第二に、工業化への対応である。

大量生産可能な部材を用いることで、低コストかつ迅速な建設を目指した。これは戦後の住宅不足を解決するために極めて重要であった。

第三に、衛生性と機能性の重視である。

大きな窓から光と空気を取り入れ、狭小で暗い19世紀型住宅から脱却しようとした。当時は結核などの感染症対策としても、日照と換気は重要視されていた。

また、台所、浴室、収納なども合理的に設計され、家事労働の効率化が図られた。これは女性の生活改善とも深く関わっていた。(写真‐5、写真-6)

写真-5 ペーター・ベーレンス設計の集合住宅

写真-6 J.J.P.アウト設計の住宅

社会的反響と批判

ヴァイセンホーフジードルングは国際的注目を集め、多くの来場者を迎えた。しかし、その評価は決して一様ではなかった。

保守派からは、「白い箱のような建物」「ドイツ的伝統を破壊するもの」として激しい批判を受けた。平屋根についても、「雪が積もるドイツに適さない」と非難された。

さらに1930年代になると、ナチスは近代建築を「退廃芸術」と見なし、ヴァイセンホーフの理念を敵視した。

しかし皮肉なことに、戦後世界の都市景観は、むしろヴァイセンホーフが提示した方向へ進んでいくことになる。(写真-7)

写真-7 シャロウン設計の住宅

バウハウスとの関係

バウハウスとヴァイセンホーフは密接に関連している。

ヴァルター・グロピウスらバウハウス関係者が参加していたことに加え、「芸術と技術の統合」「工業化された住宅」「機能主義」という理念が共通していたからである。

ヴァイセンホーフは、バウハウスの理念を都市規模で具体化した実験とも言える。

ここで示された近代住宅像は、その後ヨーロッパのみならず、アメリカ、日本、さらには世界各地の集合住宅設計へ大きな影響を与えた。

現在のヴァイセンホーフ

第二次世界大戦中、ヴァイセンホーフの一部は破壊された。しかし戦後、多くの建物が修復され、現在では近代建築遺産として高く評価されている。

とりわけル・コルビュジエの住宅は保存・公開され、世界中から建築関係者が訪れている。

ヴァイセンホーフを歩くと、そこには単なる建築様式を超えた、時代の切実な願いが刻まれていることに気づく。敗戦と貧困、住宅不足という困難のなかで、人々は「より良い住まい」を通じて社会を再建しようとしたのである。

その白い壁面は、単なるデザインではない。それは、古いヨーロッパを覆っていた歴史主義の重圧から脱し、新しい生活へ向かおうとする、ひとつの時代精神の表現であった。

ヴァイセンホーフジードルングは、したがって単なる住宅展ではない。それは20世紀という激動の時代が、「人間はいかに住むべきか」という問いに対して与えた、もっとも鮮烈な応答のひとつなのである。

SLAB – Global Criticism of Architecture & City & Housing


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