布野修司 持続可能な地球をデザインせよ!Design a Sustainable Earth!
建築と都市の未来 The Future of Architecture and Cities
第Ⅲ章 メガロポリスと人間居住-アーバン・ヴィレッジ

3 ローコスト・ハウジング
人類全体のすさまじい建設活動からみれば,スター建築家たちのグローバルな活動は,それこそ泡(バブル)のような世界のことに過ぎない。しかし,多大なエネルギーを必要とする空気調和設備がなければ成立しえない超高層建築に建築の未来はないことははっきりしている。
世界中の大都市を埋め尽くすアーバン・ヴィレッジの居住者たち,さらに数億を超える圧倒的な貧困者のための居住環境をどう設えるかは,建築家にとって最大の課題である。産業革命が引き起こした都市問題,住宅問題に対して,建築家は果敢にその解決のための建築そして都市のあり方を提案,実現しようとしてきた。
しかし,近代建築そして近代都市計画の理念と方法が制御できない事態がさらに進行してきたことは,前項でみた通りであるが,住宅困窮者のために公的に住宅を供給する方法(パブリック・ハウジング)も,その限界が明らかになった。端的に,圧倒的な量の建設に対応できないのである。そこで,様々な創意工夫が展開されることになった。セルフヘルプ(自助)・ハウジングあるいはセルビルド(自力建設),また,ミューチュアルヘルプ(相互扶助)・ハウジングと呼ばれることになる手法である。この理論的主導者となったのは,『建設の自由Freedom to Build』(1973)『人々によるハウジング-建築環境の自律を目指してHousing by People:Towards Autonomy in Building Environments』(1977)(J.F.C.ターナー(2025))を書いたJ.F.C.ターナー(1927~2023)である。J.F.C.ターナーは,若いころはアナキストのピーター・クロポトキン(1842~1921)と詩人で文芸・美術評論家のハーバート・リード(1893~1968)に傾倒し,アーツ・アンド・クラフツ運動の主唱者ウィリアム・モリス(1834~96),生物学者で地域調査をもとにした外科的保存(コンサバティブ・サージェリー)の手法を提唱,イギリスのみならずインド,パレスチナでも活動したパトリック・ゲデス(1854~1932)に私淑し,建築家フランク・ロイド・ライト(1867~1959)とも交流があった文明評論家ルイス・マンフォード(1895~1990)の影響を受けたとされるが,自らの住居,自分たちのコミュニティは自ら,自分たちでつくり,管理するという思想が,国や自治体の施策に期待できない状況の中で,世界中で受け入れられていったのは当然の流れであった。J.F.C.ターナーは,後述する国連人間居住センターUN-HABITATのプロジェクト・マネージャーをつとめることになる。
PREVI
国連開発計画UNDPとペルー政府が共催してロー・コスト・ハウスのモデルを具体化する国際コンペPREVI(El Proyecto Experimental de Vivienda,Lima: Diseño y tecnología en un nuevo barrio)が行われたのは,1968年である。
発展途上地域における急激な都市化はラテン・アメリカが先行する。アフリカ大陸からの大量の黒人奴隷の移住が大きいとされるが,ペルーの首都リマの人口は1960年代に120万人(1961)から250万人(1969)に倍増する。このすさまじい人口爆発に対してどのような住宅をいかに供給するかが喫緊の課題となるのである。この実験的なプロジェクトをフェルナンド・ベラウンド・テリーFernando Belaúnde Terry(1912~2002)大統領に提案したのは,住宅銀行のコンサルタントとしてリマに滞在していたイギリス生まれの建築家ピーター・ランドPeter Land(1953~)である。建築家でもあったベラウンド大統領は,このPREVIプロジェクトの構想をUNDP に提出,資金提供を含めて承認されるのである。
フェルナンド・ベラウンド・テリーはペルー生まれであるが,首相を務めた父親がフランスに追放されたのに従って海外で育ち,米国(マイアミ大学,テキサス大学;1930~35)で建築を学び,1936年にペルーに帰国して建築家として活動してきた。そして,1955年には国立工科大学の建築学部を創設するなどペルーのリーディング・アーキテクトであったテリーは,1965年に大統領選に立候補するが落選,1962年に再立候補して当選する。PREVIプロジェクトが決定されたのはこのテリーの第1期大統領期間(1963~1968)である(1967年6月)。テリー大統領は,1968年の軍事独裁政権樹立によって失脚するが,幸いにもプロジェクトは実施されることになった。テリーは,1980~1985年,再度(第2期)大統領となる。
3つのパイロット・プロジェクトからなるPREVIの具体的な内容と経緯は,半世紀の時を経てプロジェクトを主導したPeter Land(2015)(Peter Land(2015),”The Experimental Housing Project(PREVI), Lima: Design and Technology in a New Neighborhood: El Proyecto Experimental de Vivienda(PREVI), Lima Diseno y tecnologia en un nuevo barrio ”, Department of Architecture, Universidad of Los Andes.)がまとめるところであるが,パイロット・プロジェクトとして選定されたのは,新市街地のパンアメリカン・ハイウェイに隣接する人口急増地区(PPⅠ),旧市街地(バランコ地区)の都市再生地区(PPⅡ),自力建設によるパイロット・プロジェクト地区数ケ所(PPⅢ)(リマ市周辺に数カ所仮決定されていたが,地震が発生し復興計画の一環に変更された)である。

ハイライトとなったのは世界中から13チームの建築家を招聘して行われた国際コンペ,パイロット・プロジェクト(PPⅠ)である。プロジェクトが決定された後,社会経済的譲許を分析に基づいて,住宅需要と目標コストの設定,住宅設計と建設のガイドライン仕様の作成,立地調査と土地取得,国際コンペの組織化が行われた(1967~69 年) 。コンペが開始されたのは, 1969 年である。選定されたのは,C.アレグザンダーChristopher Alexander(①UCバークレー環境構造センター),アトリエ5Aterier5(②スイス),G.キャンディリスGeorge Candilis+A.ジョジッチAlexis Josic+S.ウッズSchadrach Woods(③フランス),C.コレアCharles Correa(④インド),アルド・ヴァン・アイクAldo Van Eyck(⑤オランダ),O.ハンセンOaskar Hansen+S.ハートレーSvein Hartley(⑥ポーランド),J.ルイスJose Luis Iniguez de Ozono+A.ヴァスケスAntonio Vazquez de Castro(⓻スペイン),菊竹清訓+黒川紀章+槇文彦(⑧),T.コルホーネンToivo Korhonen(⑨フィンランド),H.オールHerbert Ohl(⑩ドイツ),G.サンパーGerman Samper+R.エスゲーラRafael Esguerra+R.ウルダネットRafael Urdanet(⑪コロンビア),J.スターリングJames Stirling(⑫UK),K.スヴェンソンKnud Svenssons(⑬デンマーク)の13チームである。C.アレザンダー(1936~2022)は弱冠32歳,日本の菊竹清訓+黒川紀章+槇文彦のメタボリズム・グループが34~40歳,C.コレア(1930~2015)が38歳,J.スターリング(1926~92)が42歳と総じて若いけれど,既に国際的に注目される建築家であり,その後も国際建築家として活動していく建築家が選ばれた。
PREVIが基本コンセプトとしたのは,郊外型の戸建住宅を中心とした低層低密度の住宅地や都市型の高層集合住宅ではなく,低層高密度のヒューマンスケールで住民同士の接触が豊かな多様な住居形式からなる居住地である。田園郊外型の居住地は,土地の造成や取得に資金が必要であり,自動車の利用が不可欠であり,その購入や維持のために費用がかかるし,大気汚染や騒音などの問題がある。高層集合住宅は,規模や住居形式にヴァリエーションを持たせることが困難であり,拡張はほとんど不可能で,居住環境は極めて制限されたものとなる,という認識である。
2000戸の建設を予定したパイロット・プロジェクト(PPⅠ)は,大きくは4つに分けられ,中央に公共施設が置かれ,各住区にはユネスコによって教育施設が配される計画であった。そして,住区の設計条件とされたのは以下である。
①家族形態の変化,ニーズに合わせて,水平方向や垂直方向に拡張し,段階的に建設することができること。
②家族のさまざまなニーズに対応できるようユニットの成長,サイズ,形状に多様性を持たせること。
③プライベートな小さな中庭を家の一部としてデザインユニットとして考えること。
④オープンスペースは,個人の庭としてプライベートな性格を主として,道路のようなパブ リックな空間は最小限に抑える。
⑤車道やアスファルトで舗装された部分を最小限にすることで,緑の環境を増やし,夏の外気を下げること。
そして,徹底したローコスト化を目指した構工法の提案が求められた。
1969年2月に公募が開始され,1970年に結果が発表された。優秀作品として選定されたのは,アトリエ5,H.オールそして日本のメタボリズム・グループである。しかし,軍事クーデターの混乱もあり,その一案を実施するのではなく,結局,13チームすべての案にペルーの建築家グループが加わって26チームがブロックごとに約20戸ずつそれぞれの提案する住戸を建設するという決定がなされる。そして,建設費が合わなかったH.オールを含めた2チームの案は建設されず,実際に建設されたのは24案である。結果として,多様な住居タイプを実現することはできず,全体的に統一性を欠いた住宅展示場のような住区が建設されることになった。

それでも,この当時の精鋭たちの低層高密居住地の提案には,世界中のアーバン・ヴィレッジの未来の住居形式を示すものであったと言っていい。しかし,現実は,低層高密度のローコスト・ハウジング(低下価格住宅)が一般化していくことは総じてなかった。
UN HABITAT-マニラ国際コンペ

発展途上国の都市問題,居住問題とその取組みを支援すべく,第1回国連人間居住会議(UrbanⅠ)がバンクーバーで開催されたのは,上述のように1976年であり,その決議(人間居住のための世界行動計画World Habitat Plan)に基づいてUN HABITA(国連人間居住計画)がナイロビに設立されたのは1978年である。
1976年の第1回国連人間居住会議の開催と合わせて,マニラのダガ・ダガタンDagat-Dagatan地区を対象地区とした人間居住のモデル住宅地区提案を求める国際コンペが行われた。主催したのは,国際建築財団IAFである。
ダガ・ダガタン地区は,東南アジア最大の「スラム」であったトンド地区の北部に近接した地区であり,トンド地区の住人17,000人が移住することが予定された。コンペで求められたのは,地区全体(約315ha)の基本計画と最初に建設される約5ha,500世帯(3,500人)が居住する地区の詳細計画である。
応募要項は,PREVI同様,低層高密度,ローコストに加えて,自給自足システム,自然エネルギー利用,リサイクル・システムの提案を求めている。
第1図面(1: 6,000)では,住宅地200ha,商工業地115haに,10万人から14万人のニュータウンの大きなゾーニングと土地利用,全体で25から35のバランガイの構成を示すことが求められた。家族人数は5~10人,近隣住区(ブロック)は100~150家族(700~1,000人),コミュニティ(バランガイ)は500~750家族(3,500~5,000人),ゾーン1,500~2,500家族(10,000~15.000人)とかなり具体的な条件が指示された。第2図面(1:2,000)では,バランガイの近接部と他のバランガイとの関係を示すこと,第3図面(1:500)では,典型的バランガイの内部構成,住居ユニットの組み合わせと配置,内部交通,環境設備,サーヴィス施設,社会施設の配置を示すこと,第4図面(1:50)では,典型的な住居単位とその相互関係を平面図,断面図,詳細図などで示すこと(2階以下,最小面積は35㎡,増築や住民の総意に委ねる部分と基礎単位の区分を明白にすること),第5図面では,適当なスケールで,住居と環境設備との関係(水供給,料理用の熱源,廃棄物処理・・・)を示すこと,が求められている。
審査委員長は,エリック・ライオン(英国),審査員は,バリクリシュナ・ドーシ(インド),モシェ・サフディ(カナダ),ミルドレッド・シュメルツ(米国)ガウデンシオ・トビアス(フィリピン),投票権を持たない予備審査員が吉阪隆正,ウィリアム・ホイットフィールド(英国)であった。応募登録者68ヶ国,2531,応募作品476点から,以下の入賞3点,佳作4点が選定された。
最優秀案 イアン・ファスフィールド(ニュージーランド)
第2位案 高木幹郎・早川邦彦・高橋慶一郎
第3位案 サウ・ライ・チャン(マレーシア)
佳作案 エクトール・エラン・ペナ・ラ・ギナ(メキシコ),スティーブン・ホール(米国),ジム・フォング&ロバート・オウエル(米国),栗生明
人間居住の未来を指し示すさまざまな提案が寄せられた。1等当選したニュージーランド・チームの案は,自然エネルギーに依拠した自立コミュニティのすぐれた提案であった。各応募案も,募集要項案に沿った未来の住居について真摯に応答するものであった。しかし,諸般の事情から,その一等当選案が実現することはなかった。1976年のこのマニラ国際コンペが示した方向へ世界は動いてはいかなかった。半世紀の時間の流れは取返しのつかないものであるが,建築家が取組むべき方向は,既に示されてきたのである。
コア・ハウジング
J.F.C.ターナーの自力建設,セルフヘルプ論については,住まいへの権利を住民自身の自助努力に押しつける二重の搾取であるといった議論が展開されたのであるが,自力で住居を建設せざるを得ない圧倒的な現実があった。各グループは,公的機関とも連携しながら住宅建設,居住環境改善に取り組んだのであるが,公的な施策としてグローバルに採用されたのが,上下水道,電気など最小限のインフラ整備をした土地と一室程度のコアハウスを供給するサイツ・アンド・サーヴィス(宅地分譲)あるいはコア・ハウジングと呼ばれるプロジェクトである。一室あるいは骨組みだけを公的に供給し,内装,増改築などは住人に委ねる手法である。
コアハウスによるサイツ・アンド・サーヴィスの基本形態はおよそ以下のようである。
( 1 ) 住宅地の インフラ ストラクチャー( 上下水道,道路,電気,ガス)および公共施設(学校,病院等)は,公的機関によって整備される。
( 2 ) また,敷地 計画,ロット割および コアハウスの形態,建設ヽンステムも 公的機関によって決定されるが,個々の住宅の建設は居住者の自由に委ねられる。
( 3 ) 居住者は必要な材料を集め ,セルフ・ ヘルプ(自助),ミューチャル・エイド(相互扶助)によって建設を行う。必要に応じて,公的機関によって,材料の支給,技術援助が行われる。また,公的資金の融資が行われるのが一般的である。
( 4 ) 居住者は,各自の収入レベルに応じて段階的に建設を行う のが基本である。したがって,コアハウスの形態は,増改築の可能なシステムのもとに決定されるのが一般的である。
(5)サイツ・アンド・サー ヴィス・プロジェクトは,都心部よりも ,リセツルメント・プロジェクトとして,また新規住宅地開発において行われるのが一般的である。
コア・ハウジングにはさまざまな形態がある。
サイツ・アンド・サーヴィス・プロジェクトは東南アジア地域においては,タイのランシットRangsit,トゥン・ソン・ホンTung Song Hong,フィリピンのダスマリニャ ス Dasmarinas,サバン・パレイSapang Palay,サン・ペドロ San Pedro,ダガ・ダガタン,インドネシアのクレンダーKlender ,デポッ クepok,ブカシBekasi などで行われたのであるが,コア・ハウ スの形態は,国によって,また,プロジェクトによっていくつかのタイプがある。
フィリピンでは,マニラの南20kmのダスマニリャスのリセツルメント(再定住)・プロジェクトにおいてトイレ・洗面台と木造骨組(スケルトン)だけのコアハウスを供給することが試みられた。2軒で1セットのコア・ハウスが供給され,居住者は廃材など建築材料を調達して,1日足らずの作業で屋根,壁をつくってとりあえず住めるようにする。中には予め2軒をつないで1軒の家にするものもある。もうひとつのコアハウスとして,予め屋根・壁もつけたタイプも用意されたけれど,価格は高い。リセツルメント・プロジェクトとして実施され,雇用対策が十分でなく,都心(マニラ)にユーターンする事例も見られた。 当初はバラック然とした住居であるが,時を経るとそれなりの住環境が形成された。
フィリピンでは,基本的には同じコンセプトに基づいたコアハウスが建設されたが,用いられる素材,仕上げの程度によって,RC の柱梁とコンクリート・ブロック壁によってつくったもの,さらにそれに木造のタル木を付けたもの一いずれもダガダガタン・プロジェクトーなどがある。
タイのランシットの場合,平屋の長屋形式で,短冊状の敷地に増築していくシステムを採る。C.アレグザンダーが,リマのコンペで示したシステムと同じものといっていいが,ここでは8つの増築の形態が考えられている。構造はRC 造で,サニタリー・コ アとワン・ルームが造られ,エントランスと庭との境に木造の格子がつけられたものが居住者に供給される。トが,コンベンショナルな建設方法によったのに対して,トゥン・ソン・ホンでは,ユニークな工業化構法が導入され,コアハウスのタイプも6つのタイプがあり,オープン・プロットのみのものと合わせて7つのオプションが用意されている。いずれも長屋形式が基本となっている。
インド ネシア には,4 分割された敷地の中央に4 戸分のサニタリー・コアとワン・ルームをつくり,それぞれの敷地へ増築していくシステムがある。壁体はトラス・ライム・ブロックでつくられ,屋根には波形鉄板が用いられるのが一般的であった。
ビルディング・トゥゲザー
西欧諸国に倣った低所得者(ローインカム)向けの住宅供給が莫大な費用を要し,提案された住居形式が積み重ねって住む経験を持たない伝統的な生活様式と合わないという問題もあって,実効性を持たない中で,インフォーマル・グループによって広範に展開されたのが自力建設(セルフビルドあるいはセルフヘルプ・ハウジング)のプロジェクトである。東南アジアでは,マニラの「フリーダム・トゥー・ビルド」とバンコクの「ビルディング・トゥゲザー」が知られる。前者は,建設資材を市場価格以下で販売し,建設はそれこそ自由に居住者が自力あるいは相互扶助によって行う,後者は,コンクリート・ブロックを主要な構造材とする連棟のテラスハウスで,居住者は

建設作業に参加することで分譲価格が安くなるというシステムである。
マニラの「フリーダム・トゥー・ビルド」は,まさにその名をJ.F.C. ターナーの著書から採っていることが示すように,その思想に共鳴する運動体である。率いたのは,イエズス会士ウイリアム・キースWilliam J.S.J. Keyesで,チリのベルギー生まれのイエズス会士ヨッセ・ファン・デル・レストJosse van der Rest(1924~2020)によってサンチアゴを拠点として設立されたSELAVIP(SERVICO LATINOAMERICANO AFRICANO Y ASIATICO DE VIVIENDA POPULAR )ラテンアメリカ・アフリカ・アジアの庶民住宅のためのサーヴィス )が支援した。そのアジア代表として参加したのはホルヘ・アンソレーナJorge Anzorena(1930~)(1930年,アルゼンチン生まれ。東京大学大学院(工学)博士課程修了。工学博士号取得。日本建築学会会員。SELAVIPディレクター。居住権のためのアジア連合(ACHR)創設に携わる。長年,上智大学で教鞭をとる。現在,世界各地のスラムで低コスト住宅作りのアドヴァイザーとして活躍。第1回国際居住年記念賞受賞(1988年)。マグサイサイ賞国際理解部門受賞(1994年)。イエズス会司祭)である。ビルディング・トゥゲザーを率いていたのは,AIT(アジア工科大学)のS.エンジェルShromo(Solly) Angel(1946~)とP.チャムニールンPaul Chamniern(1949~)(自然保護国際連合 international union for conservation of nature (IUCN)タイ代表。タイ環境研究所thailand environment institute所長)である。S.エンジェルは,スラエル工科大学(ハイファ)そしてカリフォルニア大学バークレー環境デザイン建築学部を卒業し(1972),AIT(1973~82)後,80年代半ばから90年代半ばにかけてUN-HABITAT,アジア開発銀行,タイ政府の住宅および都市開発コンサルタントとして活動し,2014年からニューヨーク大学マロン研究所(2014~)の特任研究員を務めた。著書に,世界2000カ国以上の住宅事情と政策を比較する『住宅政策の問題 Housing Policy Matters: A Global Analysis, Oxford University Press』 (2000),『都市の惑星 Planet of Cities, Lincoln Institute of Lang Policy』(2012)がある。SELAVIPは現在もラテンアメリカ・アフリカ・アジアの各地で自力建設の活動支援を続けている。
J.アンソレーナは,吉武泰水研究室に属した建築家で,日本で学位(工学博士)を取った後,上智大学,イエズス会社会司牧センターなどを拠点として,貧困者の住宅確保,低コスト住宅の建設に取り組んできた(ホルヘ・アンソレーナ/伊従直子(1984), ホルヘ・アンソレーナ(1987), ホルヘ・アンソレーナ・伊従 直子(1992), ホルヘ・アンソレーナ(2007))。アジアを歩き始めてすぐにマニラ南郊のダスマリニャスにおけるフリーダム・トゥー・ビルド(1979),バンコクのビルディング・トゥゲザーとAIT(アジア工科大学)(1981)を訪れたのはJ.アンソレーナの導きによる。『アジアの声Voice of Asia』(第29号,特集;住宅問題を通しての開発,イエズス会社会司牧センター,1982年11月)には,フリーダム・トゥー・ビルド,ビルディング・トゥゲザーの他に,フィリピンではマニラの貧困者の居住環境改善に取り組むアニシタ・アビオンAniceta Abion,韓国のボグン・ジャリ(ソウル),アーメダバードのASAG(Ahmedabad Study Action Group)など数多くのグループ,活動家が挙げられている。J.アンソレーナは,こうしたSELAVIPそしてイエズス会のネットワークを基礎に,ACHR(Asian Coalition for Housing Right)の立ち上げに尽力することになる。その起源は,アジアの都市貧困層のコミュニティを支援するためにNGOや市民団体,専門家などが集まって1988年にタイで発足した「アジア・コミュニティ・デベロップメント・ネットワーク(ACDN)」に遡るが(1996年にACHRに改称),中心となったのは,HIC(Habitat International Coalition)のアジア代表で,事務局長となるソムスク・ブンニャバンチャSomsook Boonyabancha(1951~)である。HICの正式発足は1987年の国際居住年IYSHである。
S.エンジェルは,カリフォルニア大学バークレー校のC.アレグザンダーのもとで学んだ。エンジェルは,『パタン・ランゲージ』(C.アレグザンダー 1984)などを共著者として執筆している。C.アレグザンダーは,ペルー政府が実施した低所得者向けの住宅団地の設計コンペに参加,ペルーの建築家と協働している。ビルディング・トゥゲザーのプロジェクトにもその影響を窺うことができる。エンジェルは,AITを拠点に低所得者層向けの住宅供給のためのネットワークを組織した。AIT在任(1973~1982)後,ビルディング・トゥゲザーの副会長を務めて(1981~85)以降,タイのNHA(国家住宅機構)をはじめとして,UN-HABITATや世界銀行のコンサルタントとして活動する。
J.アンソレーナは,日本で設けられた国際居住年記念賞の第1回受賞者(1988)となる。さらに,1994年にはフィリピンのマグサイサイ賞国際理解部門受賞を受賞する。1970年代末から1980年代初頭にかけて,J.アンソレーナの媒介する貧困者のためのハウジング・ネットワークに参加するメンバーに次々に出会った。J.F.C.ターナーにも彼が東京を訪れた際に会って直接議論をする機会があった。彼らは,国際居住年記念賞を次々に受賞することになった。





コメントを残す