宙地の間

地球環境時代のモデル建築

渡辺菊眞

   

Ⅲ グロカール(地球-地域)建築をめざして 建築作品とプロジェクト

[1]  「太陽系の惑星地球」を体感する

   「宙地の間」と「ゲンダイタテアナ」

[2]  地域を生き抜く民家に「改増」する

   「角館の町家」と「博士の家 Plat-home」

[3]  地域に「地球の感受」を定位する

   「産泥神社」と「金峯神社」

[4]  建築構法の編成で地球-地域環境に適応する

   「南シューナ地区コミュニティセンター」と「天翔ける方舟」

[5]  地域と地球がひとつになる

   「風景の庭」と「葡萄棚パッシブハウス」

[2]  地域を生き抜く民家に「改増」する

   「角館の町家」と「博士の家 Plat-home」

 「改増」とは改修と増築の合わせ技で私の造語である。民家の改修と増築。それをする理由は物理的にもたない、機能・性能が陳腐化してしまった、新しい機能を導入したい、スペースがたりないなど、さまざまであろう。しかし、そこに共通するのは「民家を継承していきたい」という意志である。改修と増築の合わせ技である「改増」はその意志のもとで比較的柔軟にさまざまな改変ができる。建ち続けた民家を「改増」しなければいけない理由は先に挙げたものの他にもうひとつ大きなことがある。それは地域環境ののっぴきならない変容である。地域環境がこれまでのままだったら、あるいは少しずつ変化するだけなら問題ないのだけれど、こう変わってしまうのならば「もう無理」という臨界点に達する時がある。民家の「改増」と地域環境の変容は大きくむすびつく。

 「角館の町家」、「博士の家 Plat-home」はともに地方に立つ民家の「改増」である。

「角館の町家」を「改増」に踏み切らせたのは、まさしく地域環境の唐突な変化であった。具体的には前面道路の大きな拡幅である。敷地を4.5m削られることとなったのだ。当然、このままではいられない。そんな状況での「改増」であった。「博士の家 Plat-home」の場合は少し状況が違う。前面道路が大きく拡幅した(国道という広い車道になった)のは一緒だが、それは今から遡ること50年以上も前のことである。この民家は農家の母屋で小さな平家であり、南は全面ガラス戸である。思い切り南正面なのだが南面開口のすぐそばに国道が走る。環境の激変であるが、それにめげずに相当な時間もちこたえてきた。しかし、ある時期からとうとう空き家になってしまった。以後売りに出すものの南側が「国道ベタ付き」のせいか買い手がまったく見つからず、傷みはどんどんます一方であった。こんなこととは無関係に、これまで手がけたパッシブハウスとは違う新しい環境住宅のあり方を私は考え始めていた。鍵となるのは古民家の「改増」である。そんななか見つけたのがこの民家であった。

 「角館の町家」は2005年に竣工した私の処女作である。「博士の家」はそれから20年後の2025年に着手した。前者はフィールドの読解を限定的に導入したものであるが、後者はフィールドの読解に加えてパッシブシステムとは違う新たな環境建築技術の導入を試みるものである。この間に流れた20年という時間をつい憶ってしまう自分がいる。

角館の町家

 奇妙な来歴の町家である。横町の道に面してたつ町家を建てたのは私の曽祖父である。

彼は角館出身ではなく近郊農村の出だという。山中の果てなく続く尾根道を歩いて町に降り立ち、しばし汽車を乗って上京する。そこで時計を入手して秋田各地で売り歩くのが生業だった。明治時代のことである。その彼が角館横町で町家2軒分の土地を買って片方に建てたのが2階建て町家である。ただし町家に設けた「ミセ」で時計屋を営んだとは聞かない。ミセはミセでなく空っぽだったのだろう。町家のカタチをしているものの機能的に町家ではなかった。この建物の奥には平家があり、水回り等が備わっていた。この平家はどこかから曽祖父が移築したという。かなり普請が好きな人物であった。祖父の代になる。彼はまったく普請なんかには興味がなかった。歴史政治に関心が高い人物で角館の女子校で高校教師をしていたという。おそらく手をいれるのが面倒くださいだけだったと推察するが「家はそのまま何もいじらないでいると、そのうち文化財になる」と事あるごとに言って、補修はとかく嫌っていたらしい。本当にいじらなかった。次の代は私の伯父・渡辺豊國と父・豊和である。21世紀になって角館の大規模観光整備が行われ、それに付随して横町の道路拡幅という事態が発生した。この時点で家はかなり傷んでいた、というよりボロボロに近かった。まったくいじらないのだから仕方ない。奥にたつ平家なんかは半壊であった。道路拡幅で敷地は4.5m供出しなければいけない。さすがにこの状況に対して「何もしない」のは不可能だ。この時はじめて、当代の豊國、豊和は、自身の家を対象化し、それが角館にある意味を考えることとなった。協議の結果、2階建て町家は残すこととなり、その背後にできる余地には増築をすることになった。増築を私が担当した。この時私の関心は大きく二つあった。ひとつは角館にとってこの町家が果たすべき意味を定めることである。もうひとつは町家が持つ奇妙な来歴を読み解き、この一族のヘンテコな歴史をいかに秘めやかに建築のなかに組み込むかである。町にとっては何の意味もないかもしれないが関心は徐々に後者に傾いていていった。

設計の概要

 秋田県仙北市角館にたつ明治末期築の町家の移築と、その後背地における増築計画である。角館は「みちのくの小京都」として著名な城下町である。町の北は武家屋敷が立地する内町、南は町家が立ち並ぶ外町である。「角館の町家」は外町北端の横町に位置する。角館では観光地である内町の歩道化にともない、最も内町に近い横町街路の拡幅工事が行われ、横町の家屋は奥行き4.5m分の敷地を街路整備のために提供することとなった。このため横町の民家全てが解体か移築を余儀なくされた。結果、本建築とその2軒隣の造り酒屋(五井家)をのぞく全ての家屋が解体のちの新築を選択した。本建築は小規模ながら当地における2階建て町家の典型であり、伝統的民家がほとんど残っていない同町の状況を鑑みて移築保存を決断した。この建築の背後にはより古い時代に建立された平家があったが、損傷が激しく補修することも困難であり解体することとした。

 町家を曳家し、その後背地に水回り機能と個室1室を有する2階建て建築を増築する。曳家と増築をあわせて新たな町家とする計画である。曳家部は当地の文化遺産と位置付け、部分的な補修以外は手をつけずに保存した。一方、後背地の増築部は通りから目の届きにくい位置にあり、ここは解体した平屋が担っていた水回り機能を持たせるとともに、曳家部とは違って自由な空間造形を施した。景観形成要素としての曳家部と、私的自由を保証する増築部の、ふたつでひとつの新しい町家を計画した。この設計を実施した結果、この道路に面する唯一の2階建て町家が残されるとともに、2軒隣の五井家が軒斬り保存をしたことで伝統的な町家が群として残る景観が形成された。

 曳家した町家は、切妻平入り2階建てであり、道に面してコモセと呼ばれる下屋を持つ。当地に典型的な2階建て町家であるが、2階の正面と西側一面に、出窓が取り付くのはこの町家ならではの特色である。1階には通り土間が走り、奥に位置する増築部に連結される。増築部1階は水回りと食間からなる。2階は3重入れ子をなし、最奥部が6畳の和室、その外側に、和室をL型に囲む廊下、さらに外側にはL型の吹き抜けを介して建物の外殻となる。和室には曳家部の2階からしかアクセスできず、3重入れ子の狭間を渦巻く動線で和室まで導く。かなり個性の強い増築部であるが、その外観は木造切妻越屋根付きにとどめ、2階建て町家のある景観を大きく損ねないようにしている。(Fig Ⅲ-[2]-1 ,2)

Fig Ⅲ-[2]-1 「角館の町家」の外観:移築保存部と増築部の全景(上)、増築部の外観(下)

Fig Ⅲ-[2]-2 「角館の町家」上:長手断面図,中:東立面図と増築部の短手断面図,下:全体平面図

環境への適応

文化環境への適応:フィールドの読解と設計

フィールドの読解

 「角館の町家」の設計では、同地の町家の構成と横町の状況に焦点を当てた。よって【住居−都市】フィールドの読解は包括的ではなく【住居】フィールドの読解が主である。

1.【住居】フィールドの読解

 同地の町家は切妻屋根妻入りであり、正面下部に「コモセ」と呼ばれる片流れの下屋が付属する。町家の「コモセ」同士は連結されて冬季のアーケードとなる。雪深い地域に見られる共用空間である。「コモセ」の奥にはミセを手前に、その奥にオエ、台所などが連なる。街路から敷地奥の庭には通り土間によって行き来可能である。平入の京都の町家とは違い妻入りのため各町家は独立性の高い造形となる。ただし、「コモセ」がつながることで街路に面して連続性ある空間を形成する(Fig Ⅲ-[2]-3)。

Fig Ⅲ-[2]-3 角館における町家の一般的な平面構成

引用出典=坂田泉『[図集]角館の建築』都市文化社1991(コモセの文字、範囲を加筆して掲載)

2.【都市】フィールドの読解

 横町は外町最北端の町であり、東西方向にのびる街路に面して町家が立ち並ぶ。この北部には火除けを挟んで武家屋敷のある内町が立地する。現在の外町では、伝統的な町家は極めて乏しく、町家に増築を施したもの、新規住宅としたものがほとんどである。横町においても街路拡幅が決定された時点で町家はすでに2件しかなかった。2件のうちの一方が本設計対象の2階建の町家であり、もう1件は造り酒屋を営む五井家である。後者は角館の町家を代表するものの一つである。この2件はほぼ隣接しており、局所的ながらも町家が並ぶ街路景観をとどめていた。

設計

 横町に残存する町家は2軒しかなく、これを保存することは大前提であった。そこに加えて機能的に3つの条件が提示された。①町家には常住せず、ここを実家とする面々が里帰り時に使用する、②常時は近隣の集会所とする、③角館の祭礼時には横町の拠点となる、この3つを前提に設計内容を定めた。

 町家を保存するために曳家することにした。この町家は建設当初からほぼ手を入れておらず元来の様態をよくとどめていた。2階建ての町家としては角館最初のものであり後の雛形となった。この建築は基本的に手を加えずに曳家することとした。なお、この町家=「渡邊家住宅」は2011年に国の登録有形文化財に指定されている[1]。この建築を横町の常時の集会場、祭礼時の拠点として使用することで、活用しながら保存できるようにしている。なお、曳家するにあたって町家背後の半壊平家は撤去した。

 曳家部には後背地ができる。ここに増築を施した。増築部の1階は撤去した平家が担っていた水回り機能を収める。2階には私的で自由な内部空間を計画した。具体的には和室を最奥部に据えた3重入れ子の空間である。この和室は里帰りした家族が起居する場となる。古民家はそのままでは現在生活での不自由を強いることが多い。そのため私的自由を保障する空間の確保は大きな意味を持つ。ただし、外観は切妻妻入り、壁を横板鎧張とし、街路側にたつ曳家部と大きな違和感が発生しないよう留意している。

 景観形成を担う町家と私的自由を保障する空間を前後で直列する形式をこれからの町家の雛形としたい。町家は街路に面してミセを構えることで都市型住宅の機能を果たす。街路側の町家景観は極めて重要である。街路側では文化遺産としての町家を残し後背地には私的自由を許容する増築を施す。この直列で伝統的街並みを守りつつ現代生活に不自由しない新しい町家が形成できる。

補論:私的な空間変容が積み重なる【住居】フィールドの読解と、施工の風景化

 「角館の町家」の【住居】フィールド読解では、この町家に固有の私的な空間変容の積み重なりに着目した。既存住居では明治末期築の2階建町家、その背後に平家が南北に直列し、平家の東隣には第二次世界大戦後に建立した書庫が接続していた。2階建て町家は明治末期の新築だったのに対して、平家はどこかから移築してきた建築であるという[2]。そのこともあってか、2階建て町家の通り土間は西側に、平家の通り土間は東側にあり、通り土間は途中で屈曲する。平家の通り土間は南端で東に90度折れ曲がり書庫に達する。このような屈折を重ねる動線は最終的に渦を巻いていた(Fig Ⅲ-[2]-4)。増築部は3重入れ子の空間によって立体的な渦を巻く動線とした。増築部は私的自由を保障する空間だが、3重入れ子をなすことや、渦巻き動線を描くことは自由の根拠にはならない。これは、既存の町家建築が増改築を重ねた結果、渦巻き動線をなすことを読解し、それを立体的に展開したものである(Fig Ⅲ-[3]-5)。【住居】にみる私的な歴史の積み重なりは公的には意味を持たない。私性の強い歴史の継承は後背地の増築部で秘めやかに行うことにした。

Fig Ⅲ-[2]-4 「角館の町家」既存住宅にみる屈折渦巻き動線

Fig Ⅲ-[2]-5 「角館の町家」増築部:3重入れ子によって渦巻き動線が立体化する

 曳家として特殊な技術を導入したわけではない。ただし、通りに面してたつ町家を曳家したため、このことが公的な出来事となった。町家の公的性は道に面してミセを開くことである。100年以上も道に面してたち続けた町家が曳家されることは、ある家族の私的な建設風景を越えて横町全体の「祭礼」となった。曳家当日には横町の住人が現場前に集まって、家が曳かれていく様を固唾を飲んで見守った。文化遺産としての町家保存をめざしたわけだが、曳家を通してその意図がより強く共有されることとなった。施工の風景化がとても大きな役割を演じたわけである。曳家という「祭礼」のあとに、2軒隣の五井家では町家正面を軒斬りしたものの、その後、家屋正面をもとの町家の様態に整えた。施工の風景化が街の景観継承の意識を高めたと言える(Fig Ⅲ-[2]-6)。[3]

Fig Ⅲ-[2]-6角館の町家」築100年の町家を曳家する

①曳家する前の町家,②③軸組の補修,④曳家の準備⑤曳く,⑥曳家の完了

博士の家 Plat-home

 「宙地の間」、「ゲンダイタテアナ」という二つの新築パッシブハウスを完成させた。完成したのはこの2建築であるが、「宙地の間」ができた2015年からさまざまなパッシブハウスの構想を続けてきた。ただし、これら構想はすべて新築を前提にしていて古民家改修によるパッシブハウスは無意識的に対象の外にしていた。高知には農家が多い。空き家になった古民家も圧倒的に農家が多く、その母屋は南向きに庭があってそこに面して大きな開口を持つ平家である。軒も深く断熱改修のみ行えば、自動的とは言わずとも無理なくパッシブハウス化が可能である。ただし断熱改修こそ大変でありこれを徹底するとなると新築並みの費用もかかってしまう。それもあって構想の埒外になっていたわけである(というより断熱改修だけだと構想にならない)。

 その一方で断熱改修しない、そのまんまの民家については考えるようになった。そのまんまとはいえ、物理的にもたないとまずいので耐震改修して持続性をあげるのは前提である。温熱環境が劣悪である夏季と冬季以外、中間期はそのままの環境を享受できる。パッシブハウスの安定した温熱環境では四季の変化は感じづらい。古民家はのぞむかのぞまないかに関わらず「枕草子」な環境だ。「枕草子」な古民家には従来のパッシブハウスにはない魅力があるのではないか。ただし、これだけだと冬や夏は耐え難い。そこで考えたのが古民家の「改増」である。古民家を耐震改修する。環境改修はしない。「枕草子」な家の外皮は低気密低断熱である。ただし空間的な不備は適宜解消する。ここに「増築」を施す。この増築部のみ高断熱な環境シェルターとする。四季のまんまの古民家と常春の環境シェルターとが相補的にひとつになる家。そんな「四季ある家と常春のハコ」構想が湧き上がった。高知工科大学の建築・都市環境工学研究室代表の佐藤理人先生との共同構想である。

 構想は2024年度春にはじまった。佐藤先生の発案で環境シェルターは稼働式となった。高気密高断熱のトレーラーハウスである。これを格納する空間を備えないといけない。古民家とトレーラーハウス格納空間。これが古民家「改増」の骨格である。トレーラーハウスが発着するためにはそれなりの幅の広い道路も必要である。高知であちこち探しまわった結果、国道沿いという立地で一軒の農家平家を見つけることができた。

概要

 高知県香美市香北町小川にたつ平家の古民家を「改増」してつくる「環境実験住宅」である。対象とした古民家は小さな農家母屋である。水回りや倉庫などは母屋に後付けした下屋と北側に設けた別棟におさまっている。納屋や倉とあわせて全体で屋敷構えを構成する規模の大きい農家ではなく極めて簡素である。立地環境として特筆すべきは敷地南面を東西に走る国道である。農家母屋は南向き正面をもつ。この平家も南側は全面開口であり、国道に「ベタ付き」である。当然これを嫌うわけであり南の敷地境界線にはブロック塀を立てている。車がひっきりなしに通る南に対して北は一面に広がる水田であり、その奥は防風林、下に流れる物部川を挟んで対岸の山並みが一望できる。絶景である。しかし平家北側には下屋や別棟があり絶景を屋内からのぞめない。

 「環境実験住宅」とは何か。古民家は耐震改修のみを施して環境改修はしない。物理的なシェルター化のみをはかる。低気密低断熱であり隙間風は入り放題である。結果として四季の変化のままの環境で過ごすこととなる。良くいうならば「枕草子な家」である。春や秋はよいが夏や冬は厳しい。そこで、「枕草子な家」に高気密高断熱のハコを増築する。春や秋は古民家で過ごして夏や冬は高気密高断熱のハコで過ごす。この考え方でつくる住宅を「四季あるイエと常春のハコ」プロジェクトと位置付けた。高知工科大学都市・建築環境工学研究室代表の佐藤理人先生との共同プロジェクトである。ここでは常春のハコとして高気密高断熱のトレーラーハウスを導入することとした。稼働のハコである。このハコは巨大であり、小さな古民家には到底おさまらない。そこでハコを格納するための納屋を増築する。この納屋は壁も屋根もポリカーボネイト波板で覆われた温室である。古民家とポリカ納屋、その中のトレーラーハウス。この組み合わせで生起する環境変化を測定しては改良を続ける、そんな計画である。高知は空き家がとても多い。ただし環境改修までやると新築よりも値が張る。耐震改修は補助制度がすすんでいて場合によっては補助だけで費用はことたりることもある。耐震改修のみほどこす古民家と環境厳しい夏冬をすごすための増築のセットで空き家問題解消をめざすとともに、新しい環境住宅のあり方を追求する。そんなプロジェクトである。低気密低断熱の四季あるイエの挙動は読みづらく測定しつつ改良を続ける。実験を重ねて環境に適応する。それが「環境実験住宅」である。

 2025年末に古民家改修とポリカ納屋の増築は完了した。トレーラーハウスが格納されるのを待つ状態である。トレーラーハウスはここにとどまり続けるのではなく、里山など、さまざまな場所での環境測定が行われる予定である。(Fig Ⅲ-[2]-7 〜12)

Fig Ⅲ-[2]-7 「博士の家」の外観:南側全景(上)、母屋北面と突出するポリカ納屋(下)

Fig Ⅲ-[2]-8 「博士の家」の内観:改修後の母屋内観:(上)土間から南、(下)高床部から北(下)

Fig Ⅲ-[2]-9 「博士の家」の平面図:(上)改修前、(下)改修後

Fig Ⅲ-[2]-10 「博士の家」の立面図:(上)改修前、(下)改修後

Fig Ⅲ-[2]-11 「博士の家」の断面図

Fig Ⅲ-[2]-12 「博士の家」の母屋とポリカ納屋の取り合い部

環境への適応

文化環境への適応:フィールドの読解と設計

フィールドの読解

1.【住居−都市】フィールドの読解

 高知市を含む香長平野における農家屋敷構えの典型は、矩形の敷地内に南向きの母屋と納屋がL型配置をなす(Fig Ⅲ-[2]-13)。規模が大きくなると、敷地南東角に倉が設けられる。山地などの斜面地を造成して農家を築く場合は、この典型を守ると過度な造成が必要となってしまう。基本的には無理のない造成を施して敷地を築きその形状に応じて屋敷構えを変形させる。典型を守ることよりは地形への応答が優先される。ただし、母屋の南面は保持される。「博士の家」は物部川流域圏中流部にたつ。中流部では物部川は東から西に流れる。そのため川を挟み北と南の領域が向き合う。物部川北(右岸)では北に山を背負い南に開けるので、母屋の南向きは無理なく守られる。問題は南側(左岸)である。こちらは南に山を背負い北側が開ける。地勢でいうと山を背に北向きの母屋を建てた方が無理はない。しかし、農家の母屋南向きの縛りはきつくて母屋は南向きである。南に迫る山を向くことになり開けた北には背を向ける。小川は物部川南(左岸)であり、「博士の家」も南の山側を向く。良好な眺望が開ける北には背を向けて下屋や別棟がひしめきあう。戦後に拡幅整備された南の国道に向けて全開の開口にはどうにも無理ばかりを感じてしまう(Fig Ⅲ-[2]-14)。

2.【住居】フィールドの読解

 高知県中部の農家母屋の平面は、いわゆる「田の字」の高床部と土間からなる。土間は「田の字」の東か西に位置する。特に地域色が強いものでもなく一般的な農家の間取りである。屋根は瓦葺きで入母屋か寄棟が多いが規模が小さいと切妻になる。「博士の家」の古民家は切妻平入りである。ただし小型な母屋なためか母屋内はすべて田の字型高床部であり南正面のみガラス開口に面して廊下状の土間がある。台所は母屋北の土間に位置するがこの部位は明らかに後付けの下屋であり緩勾配のトタン葺き片流れ屋根である。母屋西側には下屋が取り付き物置となっている。敷地には母屋西に大きな空きがある。増築する場合は必然的にこの空きを活用することとなる。

設計

 「四季あるイエと常春のハコ」プロジェクト共通の設計として既存古民家は耐震改修のみを行う。ハコは母屋内に設置か増築部として計画する。「博士の家」のハコはトレーラーハウスである。これを格納するスペースが別途必要である。そこで耐震改修をほどこす母屋の西にトレーラーハウスを格納する納屋を増築することとした。「博士の家」は文字通り佐藤理人博士の単身住居である。スペースはさしていらない。そこで「田の字」を南と北に分節し、南は高床部として存置し、北は床を撤去、土間にして台所や水回りをおさめることとした。母屋のまわりにひしめく数々の下屋や別棟はすべて解体撤去することとした。南の高床部、北には土間が続き北壁には幅2間の大きな掃き出し窓を設けて高床から北の絶景を思う存分眺められるようにした。国道側の南の連続窓は存置するがブロック塀は撤去し代わりに高床南一面に障子をはめることで視線の遮蔽をはかった。高床部の天井は存置し、新たに設けた土間部のみ天井をはがして小屋組みを露出させた。農家の天井の有無の典型を踏襲した形である。納屋は南北奥行き8m、間口3.5mの木造平家である。ただし高さ4m弱のトレーラーハウスを格納するため最大高さは5mにおよぶ。ここに緩勾配の片流れ屋根をかける。トレーラーハウスの屋根に太陽電池をのせるため、それが機能しうるように納屋屋根は透明のポリカーボネイト波板としている。壁も屋根同様にポリカーボネイト波板である。納屋はワンルームであり南と北の妻側には高さ4mのシャッターが設置されるため梁方向への横力に対してこの部位だけでは持ちこたえることができない。そこで納屋にかかる横力は母屋全体に受け流す構造とした。

 南北に奥行きの深い納屋と平家の母屋がエル型で一棟をなす高知中部の農家形式を「とんぼ造り」と呼ぶ。これは母屋と納屋がエル型に配列される農家屋敷構えの集約簡略版である。「博士の家」はこれにならって「とんぼ造り」とした。ポリカ納屋は一面土間床であり、母屋には北側土間を介して行き来する。もちろん納屋土間から直接高床部にあがることもできる。この形式もまた「とんぼ造り」の踏襲である。

Fig Ⅲ-[2]-13 香長平野にみる農家の屋敷構え(小規模なもの)

引用出典=土佐山田町史編纂委員会「土佐山田町史」1979

Fig Ⅲ-[2]-14 「博士の家」広域配置図

敷地南に国道、北には農地と物部川がある。

自然環境への適応:「環境実験住宅」として

 常春のハコを担うトレーラーハウスは高気密高断熱で外皮性能が極めて高い。気積が小さいので最小限の空調によって室内環境を調整できる。問題となるのは母屋とポリカ納屋である。この両者の自然環境適応については以下のようなことを想定している。

  • 冬季の集熱と蓄熱

ポリカ納屋は屋根と西壁の全面が透明ポリカーボネイトで被覆されている。床はコンクリート土間床である。晴天時は屋根、西壁から日射を集熱し土間床で蓄熱する。母屋は南面の全面開口から集熱し廊下状の土間床で蓄熱する。母屋、納屋ともに断熱性が低いが冬季晴天時の納屋、母屋土間空間は日中気温が上昇し汗ばむほどの室温になることを確認済みである。この時は母屋内も十分に過ごせる室温である。

  • 夏季の対応

夏季のポリカ納屋は過剰な集熱によって何の措置もしない場合は灼熱地獄と化す。この対応として西側につる草によるグリーンカーテンを設けて遮熱する。ポリカ納屋最上部に設けた4基の高窓をあけ、暖気を抜くとともに煙突効果によって母屋床下にたまった冷気を吸い上げることで温度上昇を柔らげる。当地は夜間の熱放射がじゅうぶんに期待できる。これにより熱がこもるのを避けつつ夜間の通風によって母屋床下や納屋土間床を蓄冷する。

③中間期は母屋、ポリカ納屋ともに積極的に通風をほどこす。母屋ではこの時期の心地よい外部環境を感じながら過ごす。

 2026年の2月から佐藤研究室による環境測定が開始される。その結果にもとづいて自然環境適応の改良が適宜導入されていく。

地球感受の空間

 「博士の家」では、とりたてて「地球感受の空間」を設定していない。ポリカ納屋は屋根が透明ポリカーボネイト波板であり、空そのものを見上げることができるとともに一面土間床である。ここには空と地をむすぶ空間が見出せる(Fig Ⅲ-[2]-15)。ただし、トレーラーハウスが格納されたのちにこの空間性の保持は期待しづらい。「博士の家」固有のことではなく「四季あるイエと常春のハコ」プロジェクト全体で期待できることはある。古民家に増築を施して一体化させることはかなりの汎用性がある。この増築部のみ高断熱のパッシブ空間にすることは考えられる。この空間が「ゲンダイタテアナ」のウチニワのごとき空と地をむすぶ象徴性を持つならば、「地球感受の空間」として機能する。パッシブシステムの要となり、かつ「地球感受の空間」でもある増築部を有する「四季あるイエ」。そんな展開も今後考えていきたい。

Fig Ⅲ-[2]-15ポリカ納屋にみる地球感受性(土間床と、山の端と空)


[1] 文化庁ウェブサイト「国指定文化財等データベース」(https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008411)において「渡邊家」住宅の特徴を以下のように記している。「東西に走る通りに北面して建つ。木造二階建、南北棟の切妻妻入鉄板葺、間口5.2メートル、奥行き11メートル。妻に小屋組を現し、二階座敷に面して全面を開口とし、一階にはコモセと称する下屋を付ける。角館に残る数少ない町家で、伝統的な表構えを残す。」

[2] 渡辺豊國(「角館の町家」建築主)談。「角館の町家」は私の父、建築家・渡辺豊和の生家であり、豊國は豊和の兄である。曳家した町家は、筆者の曽祖父が建てたものであり、角館における2階建て町家の最初のものであった。全面出窓はこの町家のみに見られる特質である。解体した平家もまた曽祖父が移築したものである。普請好きな人物であったという。なお、祖父、豊介は、「家に何も手を加えないと、そのうち文化財になる」と言い続け、全く手を加えていない。結果的に、これが功を奏して登録有形文化財に指定された。

[3] 「角館の町家」(渡邊家住宅)と五井家の間には、もう一軒民家(町家ではなく現代住宅)が建っていた。この民家は解体され、住人も移転した。解体後の土地は更地となったが、更地化するに際して、この民家の住民が、この土地を囲う塀については、角館に伝統的に見られる門塀に作り変えた。このように、「角館の町家」の曳家は、五井家の軒斬による町家の保存、隣家の伝統的門塀の設置を誘導し、結果的には3軒分あわせて、当地に伝統的な街並みを形成することとなった。吉村篤一は「角館の町家」へのコメント(「新建築 住宅の10年2000-2010」新建築社2010 12)として「消えゆく町家を曳き家して保存再生できたことは評価したい。周辺の町家も2、3軒取り込むことができたらと思ったが、そこまでは高望みか。」と記している。結果的には「高望み」ではなく実現されたこととなる。建築家によって、全てプロデュースするのではないなかでの住民の自発性にもとづく実現であることに、むしろ価値を見出せる。


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